日本野鯉紀行2

 −旅立ち−                    

 琵琶湖でのリハ−サルを終えた数日後、いよいよ本番の旅立ちとなった。

今回、私が使用した交通機関は、敦賀から北海道の小樽を連絡している、新日本海カ−フェリ−である。週4便運行で、夜の11時30分に敦賀を発ち2泊1日して、早朝の4時頃に小樽に着く、約29時間の船旅である。ちなみに運賃は、5m未満のワゴン車に、乗員1名、2等寝台付で、2万7千7百円と格安である。

 この忙しい現代にあって、この悠々たる時間を浪費する船旅に、一体どんな人間が乗るのかも私の興味を誘った。

 私の住む岐阜から敦賀迄は、高速道路を使用すれば、1時間半も掛からない。昼食をゆっくり採ったあと、一般道をゆっくりと走り、途中、余呉湖に道草をしても、埠頭にはまだ陽の高い午後4時半に到着した。

 駐車場には、既に10台程の乗用車が並び、待合室にはやはり10名程の先客がたむろしていた。

 中年の男は、長椅子の上で既に高イビキ。一見して判る、若いライダ−の二人連れは、缶ジュ−スを飲んでいる。手持ち無沙汰で、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする若いカップルに、奥では、一人テ−ブルにノ−トと辞書を拡げている若者。

 あたりが夕闇のとばりに包まれる頃には、だんだん待合室も賑やかになり、あちこちで話し声が交錯する。

 その中には、一人で旅する若者の姿が、多く目に就いたが、特に目を引き付けられたのは、やはりロンリ−ライダ−と思われる、若い女性が3人もいたことだ。

 彼らはこれから出かけるのか、それとも帰路の旅に就くのであろうか。

全体を見回すと、若者が多い割に、思ったより皆、あまり陽に焼けていないものが多く、私が一番黒い程であるから、おそらく皆これから出かけるのだろう。

 さて、これから2泊1日の船の旅、一体どんな旅になるのだろう。

昔の人は言いました。『旅は道連れ、世は情け。』

 今でも船旅は、その情緒を残しているだろうか。

そして、まだ見ぬ最果ての海(何と大袈裟な、ジェットならたったの1時間、という声が聞こえる)の向こうには、どんな大物が待っているのか。

 年甲斐もなく胸躍る気分になるのは、やはり旅に懸ける、心意気の現れという事にしておこう。

 さて、今回の船旅で、圧倒的に多いのが、バイクで旅する若者達であった。男性はもちろんであるが、若い女性も3人程いた。その内、隣り合わせた二人に聞いた話を、紹介しよう。

 それぞれ一人旅なのだが、大阪からきたA子さんは、大学2年生。9月20日頃迄夏休みがあるので、自転車で一人、北海道を廻るのだと言う。ちなみに、敦賀迄は、電車に自転車を担いでやってきたとの事。

 次に、やはり大阪からやってきたB子さんは、会社勤務のOLだとの事。今年の夏は、北海道へはこれで既に2回目との事で、今回は250ccのオ−トバイで道北を走るのだと言う。

 いずれの二人も、決まった宿はなく、自由にあちこちへ行って泊まるとの事。

いやはや、今の若い人は、女の子といえども非常に行動的であるが、その計画と較べると、非常に内気で、無口なおとなしい所が、何ともアンバランスで不思議である。

 9月6日、フェリ−による最初の夜が明けた。フェリ−の航行は、非常に快適で穏やかだ。適度なエアコンのおかげで、ぐっすりと眠ることが出来たが、それでも目が覚めるとまだ6時である。やはり、いつもの習慣で、胎内時計が時を知らせるようだ。釣人としての習慣が、骨の髄まで染み込んでいるようで、我ながら感心する。

 フェリ−の中は涼しく快適であるが、甲板の上に出ると、朝の7時だというのに意外と暑い。航路は、佐渡ケ島を右後方に見える位置迄来ているが、この辺りもまだ夏の高気圧の圏内なのだろう。いやに、空が眩しく、青かった。 

 さて、乗客は、皆比較的静かである。大多数を、若者が占めている割に、この状態は、まだ環境に慣れていないせいであろうか。

 静かに読書に励む中年の婦人。長椅子に仰向けになり、惰眠を貧る初老の男性。そして、静かにくつろぐ若いカップル等…。

 この船の中だけは、忙しい現代の時間から取り残された、空間が形成されている。

まだ、この時間の中で取り残されて、戸惑っているようだが、しかし、多くの者は、少しずつ、このゆったりとした時間の贅沢を味わう喜びを、見出しつつあるように思えた。

 さて、フェリ−の施設や装備は、初めに懸念した、運賃の低さからくる危惧は、微塵も感じられなかった。

 ゆったりとしたソファを包み込む、広々としたラウンジでは、無料映画が公開され、各所に設けられた休憩所では、ビデオが放送されていた。食事も、一流ホテルにも似たレストランで、好きなものをバイキング型式で取ることができ、もちろん入浴もできる。

 デッキで居合わせた、女子大生のグル−プは(ごめんなさい。どうも若い女性にすぐ目が行ってしまうんです。)、4人用である1等船室を3人で使用して、一人1万3千円ちょっとの料金で済むという。向こうへ着いたら、朝市で買物をし、レンタカ−を借りて、知床辺りまで交代で走るのよ、と口がはずむ。

 そんなこんなで、何時の間にやら日が沈み、2晩目の眠りに就いたが、夜半を過ぎた頃より、船の揺れが激しくなり目が覚めた。周囲の息遣いも何やらざわめいて、到着の時間が間近になったことが、感じられる。

 簡単な荷物を整理して、まだ真っ暗なデッキの入り口に立つと、激しい雨と風と波の音が、入り交じって聞こえてきた。何やら少し、嫌な予感に襲われたが、キャビンに下りて行くと、既に多くの人が支度を終えて待っている。まもなく、船内放送で下船準備の案内がコ−ルされ、車内で上陸を待ち構えることとなった。幸い、背の高いワゴン車は最後尾から乗船したので、最初に下船できることとなる。

 いよいよ、初めて北の大地に降り立つのである。薄暗い船底で、だんだんと胸の高鳴りがおおきくなるのを、押さえ切れない。

 そして、船尾の扉が開かれ、土砂降りの大地に降り立ったとき、「遂に来たぞ!」という感慨と同時に、言い様のない不安に襲われるのも隠せなかった。

 とりあえず、まだ夜明けには間遠い、雨の暗やみの中を、予定の石狩川に向けて、車を走らせたのである。

 石狩川は、全長約300km、大雪山系の石狩山を発し、旭川から岩見沢を経て、江別を通り、札幌の北で石狩湾へと注ぐ、北海道最大最長の大河である。その流域は、北海道最大の平野である石狩平野を形成し、支流も数多い。その中でも、特長的なのは、三日月湖、通称古川とも呼ばれる残跡沼を無数に形成していることだろう。その中には、おそらく大鯉の生息している所も多くあるだろうと、自分勝手に決め付けていたのである。

 小樽から石狩川迄は、国道5号線を東進し、途中337号線に左折して、231号線にぶつかった所を左折して、そのまま直進すると、石狩川の河口に架かる石狩河口橋に出る。距離からいくと35km程で、夜明け前の車の少ない時間帯とあって、1時間程で到着の予定であった。ところが、何処をどう間違ったのかわからないが、着いたところは一つ上流に掛かる札幌大橋の袂。

 しかし、橋の袂に辿り着いたときは丁度雨も止み、空も明るく白み始めて、鯉のハネやモジリを見るには、絶好の時間帯。思わず一人、『ヤッホ−』と叫んで、堤防を駈け下り、川面を眼を凝らして見つめるも、何か変。何だか凄く水が濁って、流れが速いのである。とてもこの辺りでは、鯉の釣れるような流れではない。

 そこで、堤防を川沿いに下って行くと、途中、残跡沼と思われる三日月状の川が二つほど見え、その先にア−チ状の吊り橋のかたちを持った、美しい橋が見えてきた。石狩河口橋である。河口橋という名が示す通り、ここから海までは、もう5kmも無い近さである。 橋の側まで行くと、その手前に大きな水門があり、そこで運河が繋がっている。そこの出口に、一人、釣人が竿を出していた。

 『お早う御座います。』

と、挨拶をして、いつものように

 『釣れますか。』

と声を掛けると、陽に焼けた60過ぎと思われる釣人が、顔を皺だらけにして振り向いた。『いやあ、いつもならここは、釣り人で一杯になるんだが、今日は雨が振ったせいか、誰も来ない。釣れるのは、ゴミばかりで、流れが強くて、釣りにならない。』

と、首を横に振って言う。そこで、

 『ここでは、何が釣れるのですか。』

と、尋ねると

 『私は、カレイを狙っているんだが、何を釣りに来たんだね。』

と、逆に質問が帰って来た。

 『ええ、実は、鯉の釣れるところを捜して、来たのですが、それにしても凄く水か濁っていますね。』

と、もう一度尋ねると

 『ここでは、鯉を釣る者は誰もいないが、いつもなら、あの橋の下でそれらしきものも跳ねるけど、今日はダメだ。何せ今朝まで台風崩れの低気圧のせいで、大雨が降ったからな。』

と、寂しい返事。

 そこで、暫く川の様子を見ていたが、流れは益々濁流となるばかりで、とても竿を出せる様子ではない。

 車に戻って、地図を眺めると、10km程上流で、札幌から流れてくる豊平川という支流が、合流しているのが目に就いた。

普通、魚は増水すると流れを遡る習性がある。中でも鯉や鮒は、比較的流れの緩い支流があれば、そちらに多く遡る事が多い。もし、この豊平川がそのような条件を満たしていれば、必ず大鯉もいる筈だ。

 そう考えてもう一度、今来た堤防を上流に戻る事にした。途中、今朝到着した札幌大橋の袂を抜けて3km程進むと、堤防が大きく右へカーブしている所で、1本の川が合流しているのが目に付いた。目指す豊平川である。

 堤防を下りて合流点まで行くと、川幅約100m、周囲を葦や柳に覆われた、いかにも良さそうな感じの川である。

 川岸に立って水面を眺めると、石狩川本流はかなり流れが速くて濁りも強いが、豊平川の方は思った通り流れも緩く、水も丁度良い笹濁りである。

 暫く川の様子を見ていると、合流点の対岸の方で何やら魚のモジリが見えた。目を凝らして見ていると、更に幾つも波紋が断続的にその周辺で湧き上がる。大きさからいって鯉かそれとも鮭かはっきりしないが、魚がいるのは間違いない。

 そこで、早速仕掛けを用意して、合流点の境目から豊平川にかけて竿を並べる事にした。

 今回の釣行に際して用意したのは、今までの実績からいって、万能的なネリエサの吸い込み仕掛けと、干しイモの食わせ仕掛けである。これを1本おきに付けてポイントに投げ込むと、今度はベースキャンプの設営である。

 幸いこのポイントは、川岸はアシに覆われているが、あとは平らな草原で、まさにキャンプ地にふさわしい、ゆったりとしたムードを満喫できる条件を完璧に備えている。

 リハーサル通り、ドーム型テントの上にタープをセットすると、いかにも北の大地へ来たという実感が湧いてくる。

 車から他の荷物を降ろしてふと竿を見ると、一番下流の竿先が揺れている。竿を上げると吸い込み仕掛けを口に咥えて良く肥えたウグイがぶら下がっている。北海道へ来て初めての獲物である。ていねいに針を外してしげしげと姿を眺めるも、別に岐阜のウグイと何ら変わりなく、水の中にお引取り願うことにした。

 すると、隣の竿も同じように揺れているのに気が付いた。今度のは、干しイモを咥えたウグイである。さすがに両方とも私が選んだ万能餌である。

 ところが、ところが、暫くすると一大事である。時間がたつにつれて、石狩川本流の濁流が増水し、だんだんと豊平川の中へ押し寄せるようになったのである。水だけならまだ良いのだが、中には20mもあろうかという大木までが押し寄せて、私の釣りの邪魔をする。

 仕方なく、順に竿を豊平川の奥の方へと移していくと、あとからあとから濁流が追いかけてきて、これ以上は柳の林に囲まれて万事休すである。

 そして、容赦のない流木の手は、遂に私の仕掛けを奈落の底に引きずり込み始めたのである。

 やはり、あの時、船の中で感じた嫌な予感が当たったのである。キャンプまで設営して用意万端整えた途端に、一番肝心の釣りができなくなるとは…

 僅か2時間程のキャンプであった。暫くゴーゴーと流れ下る濁流に未練を残していたが、やがて力無く荷物を纏め始める私であった。