日 本 野 鯉 紀 行 18 − 霞 ケ 浦 − 

                               

 宮川の『行く年・来る年釣行会』から1ケ月程過ぎたある週末、私は新幹線の車中にいた。毎年行われる『淡水大魚研究会』の新年会に出席するためである。

 行き先は、同会会員である小山市の坂入氏の経営する割烹料理店『江戸一』である。同会の新年会は、坂入氏が入会以来ここ10年来同氏宅で行われており、私も数年前から参加しだして恒例の行事となっている。

 岐阜から栃木県の小山市迄は、新幹線を乗り継いで約3時間、待ち合わせ時間を入れても、朝一番の列車に乗れば午前中には到着する。

 既に到着していた地元の会員に駅まで迎えに来てもらい、坂入氏宅に到着するとまだ役員会が行われている最中であった。今年は小西会長の体調が悪く、昨年夏から入院生活が続き、皆が心配していたのだが、その病状の説明などが御子息の光記氏からあったようである。小西会長も今年既に80余才。驚異的な気力と体力で、ここまで淡水大魚研究会を引っ張ってきたが、病魔には勝てず、今年の新年会は光紀氏が代理の参加であった。

 しばらくして、役員会が終了すると、久方振りの懐かしい顔ぶれが一同に会した。黒川氏、坂入氏を始め佐藤氏、田中氏、橋本氏などいずれも利根川や各地でお世話になった方ばかりである。

 やがて、黒川氏の乾杯の音頭と共に新年会がはじまったが、最初に小西会長の病状説明と、今後の会の運営についてこの席で方針を決定したい旨、光記氏より説明があり、意見の交換に入った。会員の気持ちは皆同じであった。いつまでも、小西会長に元気で引っ張っていて貰いたい、しかしそれが無理ならその間、誰かが代行して会を続けて欲しいというものである。

 黒川氏が、光記氏に白羽の矢を立てたが、光記氏の強い辞退でそれは流れ、しばらく座が重苦しい空気に包まれた。

 『大変僭越ですが、私の意見を述べても好いですか。』

私はその場の重苦しい空気に堪えかねて、思わず立ち上がった。

 『この事は、私だけでなく、殆どの皆さんの気持ちだと思うのですが、人望があり、実績もキャリアもある黒川さんに、是非引き受けて戴きたいと思います。いや、この会を纏められるのは、黒川さん以外には無いと思います。』

 『一寸、待ってよ。高橋さん。』

すかさず、黒川氏から反撃の狼煙が上がった。

 『俺は、向いてないよ。こういった全国組織なんて、とてもできないよ。この関東だけ較いなら何とか引き受けてもいいけど、仕事もあるし、とても無理だよ。』

 『いやあ、黒川さんに小西会長と同じ様に全てを押し付けようというのでは無く、出来ない事は我々会員が出来るだけの協力をして、色々な実務は他の会員の方に分散して戴いて、全体のまとめをして戴ければ良いと思うのですが、皆さんはどう思われますか。』

 『そうだよ。黒さん、頼むよ。』

 『そうだ、そうだ。』

他の会員からも一斉に、賛成の声が上がった。黒川氏は片手で頭を掻きながら、小さな声で恥ずかしそうに言った。

 『駄目だよ。俺、そんな器じゃないよ。』

 『黒さん、引き受けてやんなよ。俺も皆も、何でも協力するからさ。黒さんが引き受けなかったら、誰もやんないぜ。』

 それまで、じっと聞いていた坂入氏が、引導を渡した。

 『判ったよ。皆が、そこまで言ってくれるのなら、あまり役には立てないかもしれないけど引き受けるよ。その換わり、坂入さんと高橋さんには、副会長となって俺を支えてくれないかな。そうでないと、俺はやんないよ。』

 こうして、黒川氏が小西会長の代行として、淡水研を纏めていくことが決定。会員は、皆ホッと安心して、いつもの和やかな新年会に戻り、各所で旧交を温める話の花がいつまでも咲き続けたのでした。

 さて、新年会の翌日、私は坂入氏の誘いを受けて、予定通り霞ヶ浦の寒鯉釣りに同行することになった。この釣りは普通のぶっ込み釣りと違い、船から誘導ウキを使っての探り釣りである。そのため、風の静かな朝のうちが勝負である。

 まだ日も昇らぬ午前5時。

『高橋さん、高橋さん。』と、呼ぶ坂入氏の声に

『あっ、どうも。今すぐ起きます。』と言って、あわてて布団を飛び出した。

さすがに家の中とはいえ、真冬の夜明け前は寒さが身にしみる。勝手口に降りていくと、坂入氏は既に支度を整えて、車のエンジンまで掛けてある。

『高橋さん、早くしないと日が暮れちゃうよ。』

坂入氏は、のろまな私を急かせると、真っ暗な夜道に車を漕ぎ出した。道路の脇には、まだ先日の雪が白く残り、道路のところどころには凍て付いた跡が不気味に黒く光っている。坂入氏は、そんなことを知らぬかのように、車を一路、霞ヶ浦へ向けて矢のように走らせる。

『この時間帯なら、1時間半もあれば行っちゃうよ。』

坂入氏は恐ろしいほどのスピードで走りながら、平然として言う。途中、コンビニで弁当と缶コーヒーを仕入れると、ちょうど夜明けに霞ヶ浦の柏崎に到着した。周囲の田圃にはまだ雪がうっすらと残っており、湖の水面は波一つ無く、まるで凍っているかのようであった。

 霞ヶ浦は、琵琶湖に次ぐ日本第2位の広さを持つ湖である。面積178平方km、最大水深8mの浅い富栄養湖で、隣の北浦と下流で合流し、さらに下流部で坂東太郎こと利根川と合流する。その一帯は広大な水郷地帯である。日本水郷と呼ばれ、大物釣りのメッカとして親しまれている。

 しかし、全体に浅いため水温の変化が激しく、真冬には岸辺に氷が張ることも珍しくない。坂入氏によれば、水温が5度を下回れば寒鯉釣りも本番だという。

 坂入氏は車を小さな漁港の際に止めると、

『高橋さん、この服使って。ほら、去年の奴』

と言って、見覚えのある防寒服を差し出した。

実は、去年も淡水大魚研究会の新年会に参加した翌日、坂入氏に誘われて、ここ柏崎で霞ヶ浦の寒鯉釣りを初めて経験したのである。その時は、坂入氏が70〜80cm級を立て続けに5尾も上げ、私にも辛うじて60cm台が1尾つれた。坂入氏のその鮮やかな手並みと釣技にはただ驚嘆するばかりであったが、それ以来この日の来るのを首を長くして待っていたのである。

今では、簡単に霞ヶ浦の寒鯉を手にする坂入氏であるが、決して一朝一夕にここまでになった訳では無い。ここに辿り着くまでには、長い年月と人に言えない数々の苦労があったに違いない。霞ヶ浦の野鯉釣りには長い経験を持つ坂入氏であるが、寒鯉釣りを始めたきっかけは、寒鮒釣りの釣人の仕掛けに度々大鯉が掛かる、という話を耳にしてからと聞く。

それから大型の寒鯉を求めて坂入氏の苦労が続く。初めの数年は、新利根川下流や古渡入の地元の釣人から聞いたポイントを中心に、餌や仕掛けをあれこれ試しながらの釣りであった。厳寒の湖上に一人船を浮かべての試行錯誤には想像を絶する苦難もあったろう。

とにかく、道を聞き教えを請う者の無い釣りだけに、総てを自分で開拓しなければならない。そのかわり。成果を得たときの歓びはまた格別のものがある。

そして、開拓者にはそれに見合った報酬が自然から与えられる。誰の手垢もついていない純粋向くな大鯉が、面白いように釣れるのである。柏崎のポイントを見つけた時の坂入氏の歓びは如何程であっただろうか。坂入氏は、寒鯉釣りのこととなると、そんな苦労などおくびにも出さないで、目をキラキラ輝かせていつも話し出す。

『高橋さん、寒鯉の穴を見つけた時の気分はもう最高だよ。居る居るてなもんで、誰も居ない湖上で笑いが込み上げてきてたまらんのさ。知らない人が見ていたら、きっと気が狂っているとしか思わないよな。』

さて、坂入氏の操縦するボートに同乗して、柏崎漁港を出発。その周辺に散在している隠れオダの一つを目掛けて走り出す。夜が明けたばかりの湖上に、白い線を引いて波が突っ切っていく。船首に陣取った私の額に風が当たって痛い。

5分も走っただろうか、水中から飛び出た1本の竹杭の側まで来ると、坂入氏は手馴れたもので、水中に隠れて見えないオダの横に船を止めるとさっと竿を出す。

タックルは5.4mの2号の磯竿に小型のベイトリール付け、道糸はナイロン5号を80m程巻き、大型のヘラウキを誘導式にして、オモリ2号、ハリスはナイロン2.5号という細仕掛けである。餌は、赤虫を束にして赤糸で縛り、針に結ぶ。

寒さで手がかじかみ、まだ私が仕掛けを結ばないうちに、もうアタリ。

『おっ、来た!来た!高橋さん、来たよ!』

神業のような早さで竿が満月に絞られている。アレヨアレヨという間に、70cmの野鯉を取り込んだ。そして、素早く餌を付け直すと、同じ所へ放り込む。

『居る居る、高橋さん、まだ幾つか居るよ。この穴の大きさなら後4尾位は居そうだな。おっ、来た!』

またもや、坂入氏の竿が大きく孤を描いた。と思う間に竿先が強く絞り込まれて、仕掛けが宙に舞った。

『うーむ、残念!。』と、声を掛けると坂入氏はすました顔で答える。

『今のはスレアタリだな。どうやら尻尾の方に餌を入れたようだな。』

と言って後を続ける。

『湖でも流れがあってね。風向きやら全体の潮流のようなものが影響して、その日の流れが決まるんだけど、魚は必ず流れの方に向かって頭を向けているんだ。だから、その流れの向きを知らないと、口のありかが判らず、今のようにスレアタリになってしまうのさ。』

 私の方もようやく仕掛けを結び、坂入氏の反対の方で何やら穴らしきものを見つけ、その周囲を少しずつ仕掛けをずらしながら探り出した。すると、いきなりスッとウキが引き込まれた。そこをすかさずアタリをくれたつもりであったが、残念ながら手応え無し。そんな事が数回続いたが、坂入氏のほうは次から次へと大鯉をヒットさせ、1時間半程の僅かな間に80cm級を含め4尾の大釣果である。

『じゃあ、高橋さん、アタリの少なくなったところで次の場所へ移ろうか。ほら、このあいだ多摩の橋本さんが大物を掛けて竿が立たなかったという所。』

この場所は先程の場所と違って目印となる竹杭も何も無く、坂入氏独自の山立てがあるようだ。丹念に四方を見ながらボートをポイントに固定しようとする。しかし、坂入氏がここだという場所で私が竹杭を打ち込もうとするのだが、少し風と流れが出て中々固定できない。数回やり直したところで、ようやくボートをもやったが、さすがにポイントを荒らしたせいか、坂入氏にも直ぐにはアタリが見られない。

 ところが、オダの穴を探していた私に、いきなり良いアタリ!チョンチョンという前触れの後、スッとウキが消しこんだ。思わずアワセをくれると、ズシッとした重みを感じ、暫くしてノシノシと走り出した。

『来た来た!坂入さん、来ましたよ!』

思わず叫んで、グッと竿を矯めて耐えようとするが、何せハリスは2.5号。どうしようも無く、糸を出す。敵はそのまズンズン糸を引き出し、80m程巻いてある道糸が残り少なくなり、もうこれまでかと諦めかけたところで向きを変えた。

『この引きはレンギョのスレだな。高橋さん、ゆっくり遊んでなよ。』

このやり取りを写真に取っていた坂入氏はそう言うと、自分の仕掛けを手にして背中を向けた。

 私も、これはやはりレンギョのスレだとな思った。しかし、何でもいい、型が見たかった。このどうしょうもないパワーの主の正体が知りたかった。15分程掛けてボートの周りを1週半したところで、敵が浮いた。何と!鯉である。それも、デカイ!

『坂入さん、鯉ですよ!鯉!それも、デッカイ鯉!』

思わず叫んで、坂入氏に助けを求めると、ニヤニヤしながらこちらを振り向いて、

『高橋さん、一体何処ですり替えたの?それは絶対レンギョだったぜ。あっ、さっき急に軽くなってバレタとか言ってた、あのあと引っ掛けたんだな。』

と茶化してタモを出す。

 ボートに引き上げると、良く肥えた幅広のメスの鯉で、スケールを当てると90cmもある。

『いやあ、こいつは凄い大物だ。』

などと言いながら記念写真を写したが、実はクライマックスはこれからだった。

『しかし、悪運が強いとは知っていたがこれほどとは思わなかったよ。まあ、この辺りで少し一服しようか。コーヒーを入れるからこっちへおいでよ、高橋さん。』

 坂入氏の言葉に仕掛けを上げて傍に行くと、坂入氏はコーヒーをすすりながら時折水面のウキに目をやって、

『この間もさ、橋本さんと一緒にラーメンをすすっている時にアタリが来てさ。ラーメン片手にやり取りしてさ、あせっちゃったよ。』

 そう言っている間に、いきなり竿を立てる。

『やっ、本当に来ちゃったよ!オオットット!』

 飲み掛けのコーヒーを脇に置くと、両手でグッと竿を引き絞る。獲物は、暫く根掛かりしたように、そのまま動かなかったが、さすがに坂入氏、落ち着いた竿捌きで底を切ると、あとは5分もしないうちに船べりに引き寄せた。

『80cm位かな?』と、小さく呟いた坂入氏に、

『いやあ、デカイですよ。身体は細いけれど、長さは先程の私の奴と同じ位ありますよ。』と、タモで掬いながら私は答えた。

 ボートに上げると、見事な雄の天然型。これも同じく、90cmの大鯉だった。

結局、このポイントではこの2尾に終わったが、それにしても僅か半日で、70〜90cmまでの大鯉5尾を釣り上げた坂入氏の技の鮮やかさと、霞ヶ浦の魚影の濃さに、改めて感嘆させられた釣行だった。