日 本 野 鯉 紀 行 1 7 

− 宮 川 ( 三 重 県 ) − 

 濃尾地方には寒鯉ポイントが多く、年末年始の休暇を利用して、ここ十年来「行く年来る年釣行会」と称し、牧田川や水門川そして長良川等で年越し釣行を行ってきたが、年々仲間が増え、今回は三重県の宮川で『巨鯉会』のメンバ−達と行う事となった。

 濃尾野鯉会からはここ数年同行している川島氏と小川氏に私、『巨鯉会』からは会長の丸林氏に新矢氏、阿曽沼氏、西岡氏、そして『ワンハンドレットクラブ』の田辺君の8名が、通称「津村」のポイントに集合した。

 宮川は、紀伊半島の大台ケ原を源流とする清流として知られ、その川相は全体の9割以上が渓流といっても良く、山と山の間を岩盤を削り右へ左へと蛇行し、瀬と淵が交互に連続している。瀬には当然アユやアマゴにオイカワといった渓流魚が生息しているが、湖のように流れの殆ど無い淵には野鯉が生息しているのである。その水はあくまでも青く澄み先頃の調査では四万十川を抜き、清流日本一の一級河川となっている。その為、地元の釣友は高所から淵を見通し、野鯉の棲息を確認して竿を出すほどである。一寸見にはとても野鯉の棲息しているような川には見えないが、実際は、春秋はおろか真冬に大鯉が良く釣れる所なのである。

 数年前に地元の丸林氏や溝川氏によって教えられて以来、折に触れて釣行してきたが、真冬でも水温が6度を割る事無く場所によっては10度を超える所もある。それは、上流に降雪のある所が殆ど無く、逆に暖かい地下水の湧出する所がある為と思われる。

 宮川を一口で表現すると、秘境という言葉が最もふさわしいように思われる。普通の川のように川添いの道路が殆ど無く、川へ下りるには村間のもの寂しい林道を辿って降りねばならない。途中、人影は殆ど無く、川原に出るまではいつも不安がよぎる。しかし、薄暗い林道を抜け、開けた川原に出ると、そんな思いはさっと消え去る。目の前に広がる白い石の絨毯の先には、鏡のように静かな水面とどこまでも透かせるような青く澄んだ深淵が悠々と佇み、対岸に高くそびえる岩盤と周りを覆う樹木と調和して、まさに一服の絵と化している。春には山桜がウグイスの鳴き声と共に深淵を淡く彩り、秋にはもみじが鮮やかに影を映す。そして、澄み切った深淵の底には、悠久の時を刻んできた大鯉がひっそりと群れを為す。

 さて、三重県はその殆どを海岸線に接し、釣りと言えば海釣りを指し、川で鯉を採る者は殆どいない。その為、宮川には長年を生き延びた大鯉が多く棲息しており、90cmを超える超大型も少なくない。

 宮川の淵の規模は大体が100〜200m程と小さく、一つのポイントで10尾も釣果が上がると暫くはアタリが少なくなる。この事はここ数年の間のデ−タで明らかになった事であるが、初期の頃はこれが判らず、良く釣れたポイントに後から入ってはボ−ズを繰り返していた。そこで、今回は最近余り竿の出ていないポイントとして、「津村」のポイントが選ばれた。

 「津村」は宮川の淵としては下流から3番目位に当たる所で、淵の規模としても2番目か3番目位の大きさになる。私が初めて宮川に釣行した場所がこの「津村」の淵で、その景観と水色の美しさには息を飲まれる思いであった。あれから5年、再びその「津村」に帰って来た…。

 暮れの30日、当会の小川氏と待ち合わせ、昼過ぎにポイントに到着。既に、ポイントには『巨鯉会』の4人と川島氏が竿を並べており、29日に新矢氏が釣り上げた81cmの大鯉が泳がせてあった。他にも、中型が2尾上がっているとの話に、心が騒ぐ。

 とりあえず、空いている所に竿を出し、先客の横に私のテントを張る。各々が皆テントを用意しており、寝る為の他に宴会用の大型テントが2張り立ち、全部で6張りのテントが真冬の川原に立ち並んだ様は、壮観であると共に異様である。知らない者がこれを見たら何と思うだろうか。昨今はアウトドアブ−ムで、夏ともなれば各地のキャンプ場はおろか随所でテントが立ち並んでいるのを見かけるようになった。しかし、真冬のしかも年の暮れにキャンプを行う酔狂は、我々位のものであろう。それを、私は既に十数年続けている。我ながらあきれると共に感心もする。そして今、陽気で楽しい仲間がいる。タフで優しい仲間がいる。川島氏には『濃尾野鯉会』結成以来、毎年お世話になっているし、小川氏はその翌年からずっと同行している。『巨鯉会』の丸林氏も、昨年の長良川に奥さんやお子さんを同行されて以来病み付きとなり、今回のお誘いとなった訳である。もちろん、今回の釣行にも奥さんとお子さん二人が一緒である。京都の田辺君は、遠く離れているにも拘らず、連休となると利根川や琵琶湖等各地でいつも一緒になる。

 そして、忘れてならないのが、川島氏の奥さんと猛犬のフトシである。二泊以上の遠征となると必ず川島氏に同行して、氏の食事はおろか同行した者全員の面倒を見ないと気が済まないという性質で、私なんかは毎回お世話になり放しである。いつだったか霞ケ浦の鯉釣り大会に一緒に参加した時、居合わせた釣人十数人の夕食を即座に用意してしまった程である。また、フトシは秋田犬か紀州犬の血が交じった白色の中型犬で、その主人に対する忠誠心は絶大なるものがあり、川島氏以外は絶対寄せ付けず、その激燐に触れた者は数知れず、私も数十回と同行しているが未だ眉間に険しいシワを刻んだ顔で睨まれている。

 竿を並べテントを張り終えると、後はいつもの宴会の始まりである。川島氏が用意した会場は、『濃尾野鯉会』の宴会用大型テントに自分のテントを繋ぎ会わせ、リビングとキッチンの1DKとなっている。リビングにはカ−ペットが敷かれ、中央にはテ−ブルと火鉢が置かれ、隅にはビデオ付きテレビ迄置かれて、至れり尽くせりの状態である。

 『高橋さん、ビ−ルがいい?それとも、お熱いの?何でも好きな物を言ってくださいね小川さんは、まずお熱いのが良かったわね。』

中に入ると、早速奥さんがアルコ−ルを勧めてくれる。

 『かあちゃん、俺、ビ−ルを貰うわ。川原を行ったり来たりしたら、喉が渇いてしまってさ。』

小川氏はいつも、川島氏の奥さんを、かあちゃんと親しみを込めて呼ぶ。いつも誰彼と隔てなく皆まとめて面倒を見る奥さんには、この言葉が良く似合う。

 隣のテントにいた『巨鯉会』の丸林氏達も遣って来て、テントの中は一気に熱気が盛り上がり始めた。皆、年齢も職業も地域も各々違っているのに、野鯉釣りという同じ趣味を持っただけの事で、家族同様に打ち解けあう。あそこで大物を上げた、ここで物凄い引きに出くわした等と、たあいもない話に大の大人が夢中になって眼を輝かせる。そこには、何の打算もない純粋な人間の交わりがある。それは釣人の話だから、中には自慢話もたまには出る。しかし、そこはお互い判っているから、直ぐに酒の肴に落とされる。外は日も暮れ、しんしんと冷え込んできたが、テントの中はいつまでも陽気な笑い声が熱く燃え盛っていた。

 翌31日は1年の締めくくりという事で、今年最後の野鯉と対面しようと、夜明けと同時に眼が覚めた。エサ交換にテントから外へ出ると、既に人影が二つ川原に立っていた。『巨鯉会』の阿曽沼氏と新矢氏である。二人は、川島氏の竿の下で、何やらモゾモゾやっている。朝の挨拶に二人の側迄行くと、中型の野鯉を繋いでいる。

 『釣れましたか。』と、声をかけると、複雑な顔をして新矢氏がこちらを見る。

『いやあ、夜明け前にセットしてあったブザ−が鳴ったので、喜んで走ってきたのはいいのですが、取り込んでみると川島さんの仕掛けとオマツリしていましてね。口に掛かっていたのは川島さんの仕掛けの方だったんですよ。』新矢氏は力無く答えた。

『それに、どうももう1本、川島さんの竿がおかしいんですよ。』と川島氏の竿を指し示す。

 見ると、なるほど真ん中の竿の道糸が弛んでダラリと垂れている。

『川島さんの、スイッチを入れて呼んでいるんですが、全然起きて来られなくて、どうもブザ−の調子が悪いようですね。』

 そこで、私が川島氏の寝ているキャンピングカ−の様子を見に行くが、起きている気配は無い。そのうち、忠犬フトシが猛然と吠え出し、ようやく川島氏が姿を現した。

 アタリの事を伝えると、横から奥さんが顔を出して言った。

『ほら、お父さん、やっぱり夜中のブザ−はアタリだったじゃあないの。いくら起こしても、スイッチを切って寝てしまうんだもの…。』

 なんと、川島氏はアタリのブザ−が鳴ったにも拘らず、スイッチを切って寝てしまったのである。どうやら、昨夜は少しアルコ−ルが過ぎたようである。

 ようやく川島氏が重い足取りで竿の所に辿り着いた所で、タイミング良く弛んでいた道糸が走り始めた。川島氏になんなく寄せられたのは、先程よりは少し小型であるが、紛れも無く宮川らしい鮮やかな黄金色の野鯉であった。

 朝一番にそんなハプニングがあったあとは、何事も無く大晦日の夜を迎えた。いよいよこれからが『行く年、来る年、釣行会』の本番である。今年最後の野鯉と来年の初鯉を誰が釣り上げるか、皆、我こそがという思いで、テントの中に集いあう。

 暗くなって暫くしたところで、『今晩わー。』という声と共に最後の客が現れた。京都の田辺君である。とりあえず竿を出して、宴の仲間に加わると、間も無くプ−という独特の音色がテントの中に響き渡った。田辺君のブザ−である。

 『こりゃあ、ニゴイだな。』と、小川氏が言った。

慌ててテントを飛び出して行った田辺君と丸林氏達が、ニゴイでしたと、帰って来た。宮川はニゴイが非常に多いため、他の皆は干イモの食わせ仕掛けで野鯉を狙っているのであるが、田辺君は吸い込みと干イモのダブル仕掛けにしていたのである。それから30分置きに田辺君にニゴイが掛かり、そのうち呆れて誰も付いて行かなくなった所で、鯉が釣れましたと声をはずませて戻ってきた。型は少し小振りであったが、田辺君の粘り勝ちである。

 そうなると、皆の目付きが俄然変わってきた。一番後から遣ってきた田辺君にやられては、先客の面子が立たない。酒を酌み交しダシャレを飛ばしながらも、アタリのブザ−音に耳をすましている。そして、ピッピッピッ…、という聴き慣れた電子音が小さく鳴り始めた。新矢氏のブザ−である。まず、『巨鯉会』の新谷矢氏と阿曽沼氏が矢のようにテントを飛び出し、それに丸林氏が続いた。

 暫くして新矢氏が戻ってきて、『高橋さんは、何番ですか。』と尋ねる。

『4番です』と答えると、『それじゃ、高橋さんにアタリだ。』という返事が返って来たどうやら、新矢氏と阿曽沼氏、それに私が同じ周波数を使っているようだ。私の竿は、150m程離れた一番下流で出しているから、どうも電波が届かなかったようである。

 そこで、おつとり刀で駆け付けると、阿曽沼氏が既に待っていて、

『高橋さん、早く!この竿ですよ!』と、私を急かす。阿曽沼氏の指し示す竿を手に取ると、どっしりとした手応えが反って来た。この重みからすると、ニゴイでは無い。待望の野鯉の手応えである。赤子を扱うように慎重に竿を操作し、阿曽沼氏の差し出すタモで、無事に取り込まれた獲物は、70cmを超えるまずまずの野鯉であった。

 何とか行く年の獲物が挙がり、テントに戻ると、まず祝杯をあげる。自然に話す言葉も饒舌になる。そして、行く年もあと1時間程となった所で、また新矢氏のブザ−が鳴り始めた。今度こそは…と、意気込んで新矢氏と阿曽沼氏がまた飛び出した。

 『高橋さんは行かなくてもいいのですか。』と、田辺君がまだビ−ルを手にしている私に声を掛けた。

 すると、程無くまたしても、『高橋さんにアタリですよ−』という呼び声が聞こえてきた。半信半疑で駆け付けると、やはり阿曽沼氏が既に側で待っている。竿を手に取ると、これも先程と似た大きさの野鯉が、重い手応えで上がってきた。

 『どうせなら、あと1時間待って来てくれたなら、日本で最初の獲物になったのに…』贅沢な溜息が口を突いて出て、行く年は暮れた。