− 大 沼 − 

 大沼では、夜半から明け方にかけて少し雨が降り、明け方は少し肌寒く、岐阜とはかなりの違いである。

 期待した夜の間に、1度もアタリは見られず、やはりキャンプ優先のポイントでは無理なのか。

 朝まずめのライズでも見られないかと、静かな湖面を見回すと、右手のワンドの沖合に、人影がふたつ立ち込んでいるのが見えた。かなりの遠浅と見えて、岸から50m程離れているのに膝までもない。どうやらフライでマスを狙っているようで、同じ釣りでも、北海道ではこの方がやはりしっくりくるようで、周りの景色と溶け合って実に絵になっている。ぶっこみの野鯉竿が、何本も湖岸に突っ立っているのは、どうも異様に見える。

 さて、そのまま暫く水面を眺めていると、右手の方でしきりに波紋が起きるのに気が付いた。良く見ると、どうも魚の尾ヒレが水面を掻き回しているようだ。そっと湖に立ち込んで近寄ってみると、わずか30cm程の浅場で、50cm較いの大きさの鯉の群れがエサを漁っている。しかし、いくらなんでもこの深さでは、仕掛けを投げても驚かせて群れを追い払うだけだろう。

 取りあえず、エサ交換をしてテントに戻ると、すぐ後ろに老人が一人、所在無さそうに立っていた。声を掛けると、仕事の待ち合わせで早く来すぎたとの事で、大沼について尋ねると、気持ち良く次から次へと教えてくれた。

 それによると、昨日見かけた大きな白い鳥は、やはり白鳥であったが、それもヨ−ロッパ原産のコブ白鳥で、十数年前にIBMが何かの記念に寄贈した1つがいが、繁殖して居着いたものだという。冬になれば、多くの渡鳥が飛来して、その中にはアジア本来の白鳥も多く交じるとの事だが、帰るル−トを知らないコブ白鳥は、春になっても寂しくここに取り残されるのだ。何だか、開拓民として北海道へ渡ってきた人々に似て、少し物悲しい。 私も岐阜を離れて、既に1週間が過ぎた。涼しい北海道とはいえ、まだ9月も前半である。あちこち動き回ると、すぐ汗を掻き、汚れ物が大分溜りだした。日が高くなると、抜けるような青空が澄み渡り、絶好の洗濯日和りとなった。幸いこのポイントはキャンプ場であるから、洗濯場には困らない。水道のあるところへ行って、溜まっている汚れ物を一気に洗い上げ、テントを囲んで立ち木の間にロ−プを張ると、色とりどりにぶら下げた。さすがにキャンブ場とはいえ、釣場で洗濯物を干すのは初めての経験で、少し気恥ずかしい。しかし、そんな程度で物怖じしていては、とてもこの長丁場は乗り切れない。あくまでもタフである事が必要なのだ。タフ・アンド・ジェントル、これが自然と長く付き合う条件である。

 しかし、幾らタフでも、昨日から丸1昼夜何のアタリも無いと、少し考える。前回のアタリから通算すると、既に3日間が過ぎている。そこで、他にどこか良さそうな所は無いかと、午後からもう1度大沼の湖岸を探り歩くと、今のポイントから1km程右へ行った所の林の前に、小さなワンドが幾つか続いているのが目に付いた。岩場と岩場の間が100m程の砂浜になっており、いつものように水深を探ると、3番目のワンドに来た所で、岸から10m程の所に3m程のかけ上がりのあるポイントに気が付いた。その先は4m程の水深となっており、下流はなだらかに浅く続いている。大沼にしては、珍しく変化に富んだポイントである。

 『ヨシ、ここに決めた!』

そう思うと後は、「善は急げ」である。キャンプ場に取って返すと、生乾きの洗濯物もそこそこに、キャンプの撤収である。テントに寝袋、コンロにランプ、マットに水タンク、イスにロ−プ、おまけに洗濯物と、ありとあらゆる物を拡げているから、全てをしまい終えて新しいポイントに竿を出し終えた時は、既に夕暮れが迫りかけていた。

 この移動で汗をかき3日分の旅の垢も溜まって気持ち悪いので、近くに「留めの湯」という温泉が地図に出ていたのを思い出し、仕掛けにブザ−をセットして、そそくさと出かけることにした。

 「留めの湯」は、25万分の1の地図にも出ている程の温泉であるから、さぞかし立派な温泉街でもあるのかと思っていたら、キャンプ場の裏から曲がりくねった細い砂利道を10分程辿って行った先に、ポツンと1軒ひなびた家が立っていただけであった。

 しかし、普通の旅と違う私に取って、きらびやかに観光化された温泉よりも、こうした静かな温泉の方が、気が落ち着いて休まる。札幌では、「ACB」という名の、健康センタ−と間違える程、非常に近代化された銭湯に驚かされたが、旅の風情は田舎のひなびた温泉に限る。暮れ行く秋の1日を、のんびり温泉に浸かって終えるのは、まさに至上のひとときである。

 久し振りの温泉につい長風呂をして、さっぱりした気分でポイントに戻って来ると、セットしてあったブザ−が鳴り出した。丸1日ピクリともしなかったのに、ポイントを移動した途端に、アタリが出るとは…。

 とにかくヘッドランプをセットして、車を飛び下りると林の中を遮二無二一直線。しかし、竿に辿り着いた時は既に遅く、1番上流の竿先が締め込まれたまま動かない。竿を手にすると、道糸が下流の沖へ50m程引き出されたまま、根掛かりしている。押しても引いても、気配が無い。それにしても、やられた時にいつも思う事だが、野鯉の賢さと狡猾さにはほとほと感心する。まるで、いつもこちらの様子を伺っているように見える。24時間辛抱して、僅か1時間程離れた隙に、狙い済ましたようにアタッテくるとは…。

 仕方無く仕掛けを引き切って、新しい仕掛けの準備をしていると、いきなり右手からクリックの激しい悲鳴が聞こえてきた。アタリである。20m程沖の、少し浅場に打ち込んだ仕掛けであった。結び掛けの仕掛けもそっちのけ、脱兎の如く飛び付いて、思い切りアワセをくれると、50m程沖で水しぶきが上がった。続いてグイグイとくる、懐かしい重みのある手応えが反って来た。中々元気の良い引きを見せて、右へ左へと走り回る。数回やり取りのスリルを楽しんで、慎重に取り込んだ獲物は、紛れもない野鯉であった。引き締まった体型に、黄金色の鱗。スケ−ルを当てると71cm。大沼の初物としては、まあまあであろう。

 釣人とは現金なもので、留守の間の失敗によるショックもこれで無くなり、急に元気が湧いてくる。

 「とにかく、移動して僅か1時間余りで、2回も連続してアタリが出たという事は、このポイントへの移動が正解であったという証明である。まだまだ、これからアタリも出るだろう。」

 そう考えると、切れた仕掛けを結ぶ手にも、自然と力が入る。エサも入念にセットし、ポイントに投げ込んで次のアタリを待つ。しかし、どういうわけか期待して待つと、アタリが出ない。結局、アタリの無いまま夜明けを迎えた。

 明るくなると早速新しいエサに付け替え、ビデオカメラをセットして辺りの景色を写していると、もうアタリが来た。カメラから1番遠くに離れた仕掛けである。穂先がお辞儀を繰り返し、激しくクリック音を響かせて、道糸が沖へ突っ走る。絶好のタイミングである。その様子を写そうと、カメラをセットするや、その竿目駈けてダッシュする。ところが何たる事か、まさに竿に辿り着く寸前に、パッタリと道糸の出が止まってしまった。しかし、勢いの付いた私は止まらない。そのまま竿を掴むと、いつもの如く大アワセ。それでも帰らぬ手応えに、リ−ルを巻きながらもう1度。しかし、時既に遅く、ただ空しい手応えが残るだけ。

 どうやら、アタリの出るのが早すぎた為、干し芋がまだ堅く、掛かりが浅かったようである。それにしても、残念。折角、最高のシ−ンが撮れたのに…。

 皮肉なことに、アタリが早すぎても釣れないとは、野鯉釣りの難しさを改めて思い知らされた1発であった。

 こうなると、もう後へは意地でも引けない。新しいエサを付け替えると、竿の側にくっ付いて、じっと穂先の動きを見つめる事にした。すると、良く見ていると、どの竿先もブルブルという小刻みな震えが見られ、時折チョンというアタリが見られる。その中の、少し大きめなアタリを、次から次へとアワセをするが、さっぱり手応え無し。ジャミである。昨夕から打ち込んでいるコマセに誘われて、鯉だけで無くジャミも寄ったようである。 一体どんなジャミが寄っているのか、針を小さくして試してみると、早速針に掛かってきた。最初に来たのは、20cm程の小鯉。次に来たのも、同サイズ。そして又、次から次へと小鯉のオンパレ−ド。これでは、とてもキリが無い。

 そこで、ハタと思い出したのが、茨戸川のおみやげに貰ったトウモロコシである。とても全部食べ切れないで、こんな時の為に残して置いたのである。これを実だけにして、3〜4個針に指す。これは、かなりエサ持ちの効果を発揮した。干し芋の場合は、30分も立たない内に奇麗に無くなってしまうのが、トウモロコシの実は殻が固いから、3時間立っても殆ど残っている。

 しかし、本命のサイズは相変わらず来ない。ただ、ジャミアタリが減っただけである。夕方、昨日の再現を狙って又、エサを干し芋に戻す。その途端、又ジャミアタリ。結局、朝のバラシを最後に、野鯉の群れは戻らなかった。

 天気予報を聞くと、台風が近づいている。明日を逃すと、暫くは本州には渡れない。函館はもう、直ぐ目の前である。予定より少し早いが、思い切って本州に渡る事にした。

 翌朝、夜が明けると1回だけエサ交換をして、片付ける事にした。最後の未練である。今まで、この未練が、何回も感動的な出会いをもたらした。長良川の12月の釣行会で逆転の1発がそうだったし、戸田川の1mの大鯉もそれだった。野鯉釣りは、粘りの釣りだと言われる。その最後の奇跡に、一縷の望みを託す。釣り人の悲しい性である。

 その一縷の望みも空しく、時間は過ぎた。しかし、今度はうつむかない。遠く離れたこの北の大地に、しっかりと息づいている野鯉の証を、この目で、この腕で、はっきりと確かめたからだ。

 1週間に亘る、北海道の野鯉釣り。思えば、短い1週間だった。初めは、野のものとも山のものとも知れないものが、この1週間で、何とかおぼろげながら姿が見えてきた。

 初めの予定の石狩川も山上湖も、天候や季節の関係で釣りにならなかった。野鯉釣りの釣人にも、殆ど出会えなかった。しかし、この広い北の大地には、多くの野鯉が何処にでもと言えるほど、確実に生息をしていたのだ。

 『待ってろよ。今度来る時は、嫌になる程釣ってやるからな。』

 北の大地に、野性のままに息づく野鯉に再会を期して、函館から船上の人となった。