4. 漂 泊  

 茨戸川で大釣りをしたあと、やはり石狩川本流が気になって、下流から江別辺りまでポイントを見て廻ったが、まだ台風の名残の濁流は収まらず、とても本流に向かっては竿を出せそうにない。

 仕方無く、もう一度茨戸川に戻ると、すぐ裏に住む農家の主人が覗きにきた。昨日から見知らぬ車が夜通し停まり、時折出入りする音が気に掛かっていたのである。

 しかし、別に怪しいものではなく、遠い岐阜から野鯉釣りの旅に来ているのだと知ると、非常に驚くやら、感心するやらで、とても気さくにかつ熱心に話を始めた。

 聞けば、やはり釣りが大変に好きなようで、鯉釣りはした事が無いが、シ−ズンになると秋アジ(サケ)釣りに、1週間程泊まり込みで出かける事もざらであると言う。他には、海釣りにも良く出かけるそうで、昔はこんな大物のソイが良く釣れたと、両手を広げる。釣りの旅の楽しさは、ただ釣果を得た時のみに限らず、訪れたその土地独特の風土や人との触れ合いに、その真髄がある。鯉(恋かな?)あり、友あり、山河あり、である。

 『ちょっと待ってなさいよ。』と言い残して裏へ消えて暫くすると、両手に何やら新聞紙に包んだものを持って来て、『昼に茹て食べた残り物だが、どうですか。』と真黄色に茹たトウモロコシをくれた。

『やあ、これはどうも、畏れ入ります。これは、本場のトウモロコシですね。』と有り難く頂戴すると、

 『本当は、茹たてをあげると良かったけれど、このトウモロコシは店では売っていない種類でね、少し軸は短いけれど、とても歯切れが良くてね。歯の間につまらないのがいいですよ。そうだ、明日、帰る前に寄りなさい。お茶でも飲みながら、婆あさんに聞かせたい』と暖かい言葉で笑いかける。

 残念ながら、その夜の釣果は無く、帰り支度を済ませてお礼にその農家に寄ると、丁度、奥さんと土間で農機具の手入れをされている所で、

 『やあ、これから帰るのかね。婆あさん、この人が岐阜からわざわざ鯉釣りに見えた人だよ。ところで、昨夜は釣れたかね。』と、手を休めて尋ねた。

 『いやあ、どういうわけか昨夜はさっぱり駄目でした。』と、力無く答えると、

お茶を差し出して、

 『そうですか、駄目でしたか。それで今度はどちらの方へ行かれるのかな。』

 『石狩川は、当分竿を出せそうにもないようですから、湖でも廻ってみようかと思案している所です。』

 『そうですか、それなら一度、洞爺湖へ寄ると良い。定山渓を抜ければここから近いし、先日あちらの方に行ったとき見ると、温泉街の反対のほうにキャンプ場になる良い感じの砂浜があったから、そこへ行くと良い。』と、親切に色々と教えて戴く。

 暫く四方山話に花を咲かせたあと、おいとましようとすると、

『何もありませんが、こんなもので良ければ、途中で食べてください。』と言って、茹たトウモロコシの包みを戴く。

 こちらこそ、何のお礼もしないで、大いに心苦しいところであるが、有り難く押し頂いて札幌を後にした。

 心残りなのは、その主人の名前も確かめずに、別れたことだ。行きずりの旅には、名前も名乗らず別れることは良くあることだ。しかし、おみやげ迄戴いて、それっきり知らないでは済まされぬ。せめて、今度、北海道へ出かけた時は、改めてお礼を言って名前を聞きたい…。

 札幌から洞爺湖迄は、豊平川沿いに230号線を走り、定山渓のつづら折れを抜けて、約3時間の道程であった。洞爺湖は、面積約70平方キロ、周囲46キロの円形の湖で、その中央に中島を浮かべるカルデラ湖である。北海道では、ヒメマスをはじめとするマス類や、鯉科の魚の生息することで知られ、釣りファンも多いと聞く。

 洞爺湖に至る山道からの眺めは、まさしく天下一品で、思わず車を停めて見惚れるほどである。青く澄んだ湖水に、中島が浮かび上がり、周囲の山の木々の緑が映える様は、写真と見間違える程で、これが紅葉の季節となればどんなに素晴らしいものになるのか、とても想像ができない。

 さて、洞爺湖に到着したのは既に夕方に近く、温泉の反対の湖岸を見て回ると、何やらキャンプ場に使われたような松林のある砂浜に出会った。砂浜の左側は岩場の岬となり、500m程続く砂浜の右側には小川が1本流れ込んでいた。水深を測ると、沖合30m程迄は1m程の浅場で、その先がかけ上がりとなり藻が繁茂していて、その向う側は約3mの深さとなっていた。

 もう、太陽も山間に姿を隠し、辺りは夕闇に包まれ始めたところで、あわてて藻の切れ目を狙って竿を出す。すると、右手200m程離れた所に一人の釣人が現れ、仕掛けを投げ込んだ後、こちらに向かって遣って来た。

 『あんたも、鯉釣りかね。釣れたかい。』

どうやら鯉狙いの釣人らしい。

 『いやあ、今、竿を出したばかりですが、最近は如何ですか。』

と、逆に尋ねると、

 『私も、今年の7月から鯉釣りを始めたばかりだが、1匹釣ったら病み付きになってね。面白くてたまらないから、禁漁期に入ってもこうして夜釣りに来たのだよ。』と言う。その言葉に私は驚いて聞き返した。

 『えっ、禁漁ですか。本当ですか。』

『ああ、そうだよ。今月の9月から、釣りは禁止だよ。だけど、鯉は今が面白いから、地元の者は9月一杯は竿を出しているよ。』と平然としている。

 日が暮れて、仕方なく、今夜はこの儘ここに泊まることにして、翌朝、夜明けと同時に竿を終うことにした。

 すると、朝凪の鏡のような水面を、野鯉とおぼしき姿のモジリが、右手の沖からだんだんと近づいて来るのが見えた。もし、禁漁でさえ無かったらと、今更ながら恨めしく思われた洞爺湖であった。

 折角、洞爺湖迄来て何たる事ぞ、と嘆きながらも、他にも禁漁の湖があるかも知れないと思い、通り掛かった本屋で調べると、マスの生息している殆どの湖が9月から禁漁になっている。これは、えらい事である。最初の計画が大幅に狂ってしまう。

 最初の予定では、石狩川を釣り昇り、その後各地の湖を釣り歩く計画であった。それが、台風の影響で石狩川が駄目になり、湖まで竿を出せないとなると、全滅である。石狩川の代わりに、茨戸川で鯉は釣れたが、これだけでは何の為に北海道迄来たのか、わかりゃしない。この世には、神も仏もないものか。やはり、今までの無信仰に、天罰が降ったのか。鯉釣りが出来る所が見つかるなら、鰯の頭でも、お狐さんでも何でも信仰してやると、ワラにもすがる気持ちで、本のペ−ジを捲ると、幸い函館の大沼は禁漁にはなっていないようだ。

 洞爺湖から大沼迄は、国道37号線から5号線に出て、内浦湾を左に見ながら、海岸沿いに走ると3時間程で到着。

 駒ケ岳噴火の落とし子と言われる大沼は、洞爺湖のような火口の陥没によって出来たカルデラ湖では無く、堰止め湖である。その為か、大沼国定公園として一角を為す小沼、じゅんさい沼と共に、非常に浅い。北海道では、随一のヘラ鮒釣り場として知られ、鯉の魚影も濃いと聞く。

 洞爺湖の素晴らしい景観と澄んだ水の美しさのイメ−ジの儘、大沼のほとりに到着して、その水を見てびっくりした。何と、洞爺湖はおろか残跡沼の茨戸川より、遥かに汚いのである。特に、大沼と小沼を分ける水道付近は、びっしりとアオコに覆われるほど汚れている。標高130mの山間の湖とは、到底思われない水質である。まるで、汽水湖の三方湖並である。ただ、水質を除いては、ここも大変に美しい景色の所である。特に、あの独特の山頂の形で知られる駒ケ岳を正面に、周りの樹木の緑をちりばめた景観の雄大さには圧倒されるばかりである。

 とりあえず、湖の周りを一周して、竿の出せそうなところで、あちこち水深を探ってみると、どこも非常に浅い。力一杯遠投しても、1mも無い所が多い。結局、東の外れのキャンプ場にテントを張って、竿を出す事となった。

 大沼のキャンプ場は、9月というのに、まだかなりの数のテントが立ち並び、家族連れも少しはいたが、多くはオ−トバイで旅する若者で賑わっていた。おそらく、フェリ−で多く見かけた大学生達と同じように、夏休みを利用して北海道のあちこちを周って来たのであろう。中には、かなりくたびれたテントも見られ、フライシ−トの代わりに古びた木綿のシ−トを立ち木の間にぶら下げている者もいた。

 私は、それらの混雑を避け、少し離れた右手の砂浜にテントを張って、竿を出す事にした。いつものように、オモリを投げて底を探ると、岸から20m程は1m程の浅場で、その先は沖合40m較いまで藻が繁茂して、その先は3m以上の水深となっている。

 とりあえず、藻の前後に分けて仕掛けを投入すると、次はテントの設営である。北海道へ到着してからテントを張ったのは、考えてみると僅か2時間程しか無い。折角、琵琶湖でリハ−サル迄してきたのに、使わないのでは勿体無い。

 テントの上にタ−プもセットして、折り畳みのひじ掛けイスに深く腰掛けると、ようやくゆったりとした北海道の気分が蘇ってきた。駒ケ岳をバックに、正面に広がる湖水を見渡し、林の中に立ち並ぶ色とりどりのテントを見ると、とても釣りの気分では無い。どこかのリゾ−トにでもいるかのような、錯角に陥ってしまう。砂浜には、2羽の大きな白い鳥が泳いできて、若い女性にエサをねだっている。

 あれは、白鳥かな。いや待てよ、まだこの暑い季節に、白鳥が渡って来るだろうか。鵞鳥にしては大きいようだし、良く見ると鼻の所にコブのような物がある。何だか白昼夢に陥ったような不思議な気分の儘、しばらくはこのム−ドに浸る事にした。