『藤田家のたさい』外伝

柏木家の幸せ〜幸せへの前奏曲(プレリュード)〜
第三章 絶望の精神世界


 今から五百年前、エルクゥと呼ばれる、今の地球人よりもはるかに進んだ科学 力を持った宇宙人が地球にやってきた。  彼らの宇宙船が故障したためだった。  その宇宙船は、地球への不時着のショックで完全に壊れてしまったため、彼ら はやむなく地球にとどまることになった。  彼らの姿形は地球人とまったく同じであったため、彼らにその気があれば地球 人と共存できたかもしれなかった。  が、彼らは自らの本能に従って地球での生活を始めた。  彼らの本能、それは「狩りをする」というものであった。  彼らの行う「狩り」とは、地球人が野生動物に対して行うものとは少し違った。  それは、彼らの「狩り」の対象は人間だということだった。  彼らの「狩り」にあった者は、その場で殺された。  また、エルクゥが男の場合、「狩り」にあった女性は慰み者(なぐさみもの) にされることが多かった。  従って地球人たちは彼らを「鬼」と呼び、恐れた。  だが、地球人たちもただ黙って狩られているわけではなく、地球人と彼らの間 で戦(いくさ)が始まったのも、当然の事だった。  高い科学力の他に並はずれた運動神経、精神力を持った彼らに戦国時代の地球 人がかなうはずもなく、鬼の討伐隊は瞬く間に全滅した。  ただ一人を除いて――。  ただ一人生き残った武者、その男の名は、次郎衛門といった。  次郎衛門は戦に負け、瀕死の重傷を負っていた。  彼は瀕死の体を支えながら、やっとの思いで追っ手を振りきり、とある洞窟に たどり着いた。  洞窟には、エルクゥの皇族四姉妹の三女、エディフェルがいた。  エディフェルを見た次郎衛門は、死を覚悟した。  だが、エディフェルは彼を殺すどころか、彼の傷の手当を始めた。  その行動は世間一般では気まぐれと呼ぶのかもしれない。  次郎衛門は、エディフェルにとって「狩り」の対象であり敵でもあるのだから。 だが、彼女はそうは思わなかった。  理由はわからないが、今まさに息絶えようとする次郎衛門をほうってはおけな かった。  次郎衛門に死んでほしくなかった。  だから瀕死の重傷を負い、普通の手当では助かる見込みのない名前も知らない 男を、エルクゥの禁を犯してまでも助けた。  エルクゥの禁、それは異種族との血の交わり。  他星生物に自らの血を分け与えることによって、その生物にエルクゥと同じ力 を持たせる行為。  他星生物を狩りの対象としか、下等としか見なさない彼らにとってこれ以上の 禁忌はなかった。  だがエディフェルは自らの血を次郎衛門に輸血した。  自らの心のままに。    エディフェルの行為のおかげで次郎衛門はエルクゥの力、強い回復力を身につ けることができ、命を取り留めることができた。  だが、彼は命が助かるのと引き替えに、地球人としての自分を失い、エルクゥ と地球人のハーフとしての自分として生きる道を選ばざるをえなくなった。  自分を憎い敵である「鬼」に変えたエディフェルを、次郎衛門は激しく憎んだ。  しかし、裏切り者となることを承知で自分を助けてくれたエディフェルの、温 かい心に触れるうちに、次郎衛門はエディフェルを愛するようになっていった。  そしてまた、エディフェルも――。  次郎衛門の看病をする間、エディフェルは常に次郎衛門から罵倒され続けた。  「なぜ自分を助けた」、「なぜ自分を鬼にした」と。  しかしエディフェルは決して次郎衛門から離れようとしなかった。  次郎衛門の看病をするうちに、エディフェルは彼を助けた理由に、自分の心に 気づいていたから。  次郎衛門のことを愛しているという、自分の心に。  そして次郎衛門の傷が完全に治癒した夜、二人の想いは一つになった。 二人の心は結ばれた。  彼らは互いに愛し合うようになったが、エルクゥの皇族の人間がそれを許そう はずもなかった。 すぐに次郎衛門とエディフェルへ追っ手が差し向けられた。  追っ手の名はリズエル、アズエル。エルクゥの皇族四姉妹の長女と次女だった。  次郎衛門とエディフェルは追っ手をかわしながら必死で逃げた。  エルクゥの力を得、最強の存在になった次郎衛門の実力なら、二人を殺すこと などたやすいことだった。  だが、愛する女性の姉を殺すことなど、彼にできるはずもなかった。  彼らには、ただ逃げるしか取るべき方法はなかった。  やがて悲劇が訪れた――。  次郎衛門の留守の隙をついて、エディフェルが殺されたのだ。  次郎衛門が気づいたときには、すでにエディフェルは虫の息だった。  その側には呆然としたリズエルとアズエルが立ちすくんでいたが、次郎衛門の 姿を見たとたん、逃げ出した。  嘆き悲しむ次郎衛門の腕の中で、エディフェルは息を引き取った。  生まれ変わって再び愛し合うことを、次郎衛門と誓い合いながら。  エディフェルを失った次郎衛門は半狂乱になった。  そんな次郎衛門に声をかけたのがエルクゥ皇族四姉妹の四女、リネットだった。  姉の想いを知っていた彼女は、地球人とエルクゥの共存を願っていた。  そんな彼女の願いを聞いた次郎衛門は、彼女からエルクゥ秘蔵の刀と光り輝く 鎧を借り、一人エルクゥのすみかへと向かった。  和平交渉に来た、という次郎衛門をエルクゥは最初相手にしなかった。  だが、次郎衛門の持つ武具を見た彼らは次郎衛門が自分達に匹敵する力を持つ ことを悟り、怪訝ながらも彼をすみかに迎え入れた。  だが、そのエルクゥに対して次郎衛門は突如虐殺を始めた。  不意をつかれたエルクゥは大混乱となり、逃げまどうエルクゥに対して次郎衛 門は容赦なく刀を振るった。  リネットの願いを自らの復讐に利用し、その想いを踏みにじった次郎衛門の行 為は、すでに人の行うことではなかった。  復讐に心を奪われた彼には、大人も子供も、男も女も関係なかった。  目につくエルクゥを次から次に殺していった。  エルクゥをほぼ全滅させた次郎衛門は、ついにエルクゥの長と相まみえること になった。 決着はあっけなくつき、長もまた次郎衛門の刀の錆となった。  長を殺した次郎衛門だが、その闘いのさなか、彼は意外な真実を長から聞かさ れた。  エディフェルを殺したのは長であり、リズエル、アズエルは何もしていない、 という事実を。  半信半疑ながらもリズエルたちの元へ向かった次郎衛門を待っていたのは、す でに死を覚悟した二人だった。  エディフェルは二人の目の前で殺された。  エルクゥの長は、「姉妹だけの話がある」とリズエルたちの名を使い、エディ フェルをおびき寄せ二人の目の前でエディフェルを殺したのだ。  討伐を続ける間に次郎衛門に惹かれ始めていた二人への、見せしめのために。  エディフェルの死を防ぐことができなかった二人は、次郎衛門の手によって死 ぬことを望んでいた。  しかし二人の態度から、長の話が真実だと悟った次郎衛門は狂気から解放され、 二人を殺そうとはしなかった。  次郎衛門が自分たちを殺すつもりのないことを知った二人は、自らの手で自分 たちの命を絶つことを決め、互いの胸を刀で突き差し合った。  あわてて駆け寄った次郎衛門に、二人はエディフェルを守れなかったことを詫 び、自らの想いを伝えた。  次郎衛門は涙を流しながら二人を抱きかかえ、その話を聞いていた。  その態度に満足した二人は息を引き取った。  エディフェルと同様に自分たちも転生し、再び次郎衛門に会えることを願いな がら。  二人の死と共に地球を訪れたエルクゥは全滅し、次郎衛門の復讐も終わった。  狂気から解放された次郎衛門を襲ったのは、激しい後悔と自己嫌悪だった。  彼は、来る日も来る日もリネットをだましエルクゥを虐殺した自分を責め体を 痛めつけ、徐々に心を閉ざしていった。  心を閉ざした次郎衛門にすでに生きる気力はなく、彼の体はどんどん衰弱して いった。  その次郎衛門を救ったのが、エルクゥの中でただ一人生き残った、リネットで あった。  彼女は自分を利用した次郎衛門を責めることもなく、ただひたすら彼の介護に 努めた。  やがて彼女の願いが通じたのか、次郎衛門の体力は徐々に回復していった。  それと同時に、闇に包まれた彼の心にも、リネットという光が射し込んだ。  全てを失った次郎衛門とリネット。  彼らが互いに惹かれ合い、結ばれたのは当然のことだった。  だが、どんなに二人が愛し合おうとも、次郎衛門の心からエディフェルへの想 いが消えることはなく、そのことは互いを深い哀しみに包みこんでいた。  やがてそんな二人にも子宝に恵まれる平穏な日々が訪れ、月日は流れていった。  二人が出会ってからおよそ五十年後、リネットは次郎衛門に見守られながら、 老衰のため、息を引き取った。  リネットの死をみとった次郎衛門からは、急激に生気が失われていった。  どんなにエディフェルへの想いが消えてなかろうとも、次郎衛門にとっては、 リネットもやはり大切な存在であった。  生きる支えを失った次郎衛門もリネットの死から三日後、彼女の後を追うよう に息を引き取った。  それから五百年の時が過ぎた。  その日、千鶴たちの父は自ら命を絶とうとしていた。  次郎衛門とリネットの子孫である柏木家の人間には、生まれながらにしてエル クゥの血が流れている。  その血が目覚めなければそれでよいのだが、万が一目覚めると、女性は特殊な 力を身につけるだけですむが、男性は血と快楽を求め人間を「狩る」殺人鬼にな ることが多かった。  耕一の祖父のように鬼の力をコントロールして、殺人鬼にならない者もいたが、 その子供である千鶴たちの父にはそれができなかった。  そうなると、柏木の男性には取るべき道は二つしかなかった。  一つはそのまま、体に流れる鬼の血の本能に従い、殺人鬼になること。  そしてもう一つは、自らの命を絶って、殺人鬼にならないこと。  千鶴たちの父は、後者を選択した。  彼に後悔はなかった。鶴来屋と、娘、千鶴たちのことは弟に頼んだ。  唯一残念だったのは、娘たちの晴れ姿を見ることができないことだった。  せめて一目だけでも娘の晴れ姿を見たかった。  だが、鬼の血がそれを許してくれそうもなかった。  気を抜けば、すぐにでも鬼が暴走しそうになるのだから。  だから彼は、車に乗り込んだ。  車は彼の意志通り、事故を装い荒れ狂う海に向かってダイブした。  だが、車を運転していたのは彼ではなかった。  彼の体はすでに車の運転すらまともにできない程、鬼にむしばまれていたのだ。  その彼に変わって車を運転したのは彼の妻だった。  彼女は、自らの意志で彼と運命を共にした。  彼が人として、千鶴、梓、楓、初音の父親のままであるために――。  それからさらに数年の月日が流れた。  千鶴たちを引き取った耕一の父もまた、兄同様に鬼の力を制御できなかった。  睡眠薬などで鬼の力の暴走を必死に押さえていたが、限界がきていた。  せめて息子である耕一に将来降りかかるであろう災厄を払うまでは、と思って いたがそれもかなわぬことだった。  すでに鬼の血に目覚めている姪の千鶴と楓には、自分と兄のことについて話し て聞かせてあった。  二人には辛い思いをさせることになったが、真実を知る者が必要だったための やむおえない処置だった。  二人にあとのこと、耕一のことを頼むと、彼もまた兄と同様、人間の心を持ち 続けるために自らの命を絶った。  自殺の際、彼が兄と違ったのは、妻を連れていないことだけだった。  彼が兄夫婦のような悲劇が起こることを恐れて、妻と息子耕一と離れて暮らし たためだった。  それがどんなに二人を哀しませることになっても、彼には最善の方法に思えた のだ。  だが人生とは皮肉なもので、彼の妻は病により彼よりも先に命を落としていた。  自殺の道連れという悲劇は回避したものの、結果として彼は、病で命を落とし た妻の死に目に会うことすらできなかった――。  記憶がよみがえり、目を覚ました梓と初音はゆっくりと起きあがった。  二人は目を真っ赤にさせ、顔に涙の跡をくっきりとつけていた。  眠っている間に泣いていたためだった。  やがて初音が口を開いた。 「お姉ちゃん、見たよ。エディフェルやリネット、リズエル、アズエルの想いや 哀しみを。そして、喜びも」 「喜び……」 「うん。だって、死ぬときにみんな笑ってたもん。でもね」  初音はぽろぽろと、涙を流し始めた。 「でも、やっぱり哀しいよね。いくら好きな人にみとられて死んだって、死んだ らなんにもならないもん。大好きな人とおんなじ人生を歩めない、おんなじ夢を 見られないんだよ。そんなのって哀しいよ、絶対」  黙って初音の話を聞いていた梓が話しだした。 「そして、その想いを受け継いだのがあたしたち」  千鶴はその言葉にうなずいた。 「そう、私が長女リズエル。梓が次女アズエル。楓が三女エディフェル。初音が 四女リネット。そして耕一さんが次郎衛門の魂を受け継いだ。……彼女たちの想 いを受け継いだ」 「それが、あたしたちの知った真実の一つ。もう一つの真実は――」 「お父さんやお母さん、おじさまの死の真相」  梓の言葉を受けた楓の言葉に、千鶴は哀しそうな表情をした。  そのとき、初音が声を出した。 「まさか、お父さんやお母さん、おじさまが……ヒクッ……あんな理由で死んで いたなんて……こんなのって……グスッ……こんなのってないよ……。お父さん、 お母さん。おじさま……」 「初音……」  堰を切ったように泣き出した初音の頭を、楓が胸に抱きかかえた。  泣きじゃくる初音を見ながら、千鶴がつぶやくように声を出した。 「梓、初音、ごめんね。あなたたちにはこんなこと、絶対に話したくなかった。 知られたくなかった。辛い思いをするのは、心に傷を持つのは、私たち二人だけ で、いえ私一人だけで十分だったのに……。楓も、本当にごめんね」  千鶴の言葉を聞いた瞬間、梓が千鶴の胸ぐらをつかんだ。 「ふざけるな、この偽善者! 何寝ぼけたこと言ってんだ。『辛い思いをするの は自分だけでいい』だ? いいかげんにしろよ! どうして千鶴姉は、そういつ もいつも自分だけで、なんでもかんでも背負い込もうとするんだ! なんで今ま で黙ってたんだ!」  「梓……」 「月並みな言葉だけど、あたしたちは姉妹だろ、家族だろ? どうしてあたした ちに何も言ってくれないんだよ! 千鶴姉みたいに自分一人で背負い込んでる と、いつか心が壊れちまうぞ! おじさんはそんなことを望んで千鶴姉に真実を 話したのか? みんなで乗り越えて欲しかったんじゃないのか? わかってるの か、なんとか言えよ、千鶴姉!!」 「……そうね、ごめんなさい梓。でもね、やはり私は姉として、家長としてあな たたちに辛い思いをさせたくなかったの」 「そうじゃないだろ。真実を知るよりも、あたしたちは千鶴姉が一人で苦しむこ との方がよっぽど辛いんだ、なんでわかんないんだよ……それに楓を見てみろよ。 そんな千鶴姉の気持ちがわかってる楓が、どんなに辛かったか。これからは、あ たしだって、初音だって、耕一だっているんだ。もっとみんなを頼ったっていい じゃないか……」 「…………」  しばらくの間、誰も一言も話さなかった。  初音の泣き声だけが部屋を包んだ。  やがて千鶴は小さく笑うと、わなわなと震えている梓の手にそっと自分の手を 重ねた。 「ごめんなさい、あなたの言う通りね、梓。私が間違っていたわ。そうよね、そ うなのよ。これからは耕一さんに頼ればいいのね、そうなのよね!」 「そうだ……ん? ちょっと待て千鶴姉。どうして耕一だけなんだ?」 「そうだよ、どうしてなの? なんかその言葉、裏があるみたいだよ」  いつの間にか泣きやんでいた初音も、口を挟んだ。  楓も首を縦に振っていた。 「べ、別に裏なんてないわよ。そう、あるのは真実だけよ。よく言うじゃない『真 実はいつも一つ!』ってね」 「姉さん、何言ってるんですか?」  いきなり明るくなった千鶴に、梓たちは頭を抱えた。 「まったく、何考えてるんだ? さっきまでと全然違うじゃないか……でも、そ れでこそ千鶴姉だ。落ち込んでるなんて似合わないよ」 「うん、そうだね」 「そうです」 「あなたたち……」  千鶴は妹たちを見ながら、ハンカチでそっと目元を拭った。 「みんなありがとう。あなたたちは、最高の家族だわ」 「当然だろ、千鶴姉!」 「じゃあ、お姉ちゃんも立ち直ったことだし、早く耕一お兄ちゃんを助けよう!」  初音の言葉に全員がうなずいた。 「でさ、耕一を助けるって、具体的にどうやるんだ?」  梓の質問に楓が答えた。 「あ、そういえばまだ言ってませんでしたね。先ほど千鶴姉さんが言ったように、 現在耕一さんは、精神を亡霊たちに乗っ取られかけている状態だと考えられます。 次郎衛門に殺され、魂だけの状態になった奴らには、それしか次郎衛門、つまり 耕一さんへの復讐を果たす方法はありませんから」 「ふむ、それで?」 「ですから耕一さんを助けるには、私たちも耕一さんの精神世界に入り込み、直 接亡霊たちを叩くしか方法はありません」 「そんなことできるのか?」 「できます。私たち四人の力があれば」  楓はじっと千鶴たち三人を見つめた。 「ですが、それは大変危険です。他人の精神世界なんてどんなことがあるかわか りません。しかも、そこにはいまだに次郎衛門への恨みを持つエルクゥの亡霊が いるんですから。それでもいいですか?」  そんな楓に、全員を代表して初音が答えた。 「いいに決まってるよ。みんな耕一お兄ちゃんが大好きなんだから!」  千鶴と梓もうなずいていた。 「わかりました。それでは、これより耕一さんを助けに行きます。みんな、耕一 さんの胸に右手を置いて」  そう言いながら楓が耕一の胸に右手を置くと、他の姉妹たちもそれにならった。 「みんな、目を閉じて。そして耕一さんのことだけを考えて。今から、私の精神 同調の能力をみんなの力で増幅させ、耕一さんの精神世界に入ります」  四人は耕一のことだけを考えた。  その瞬間、楓の体が一瞬光り、四人は耕一の体に覆い被さるようにして、気を 失った。  四人が気づいたとき、彼女たちは見知らぬ空間にいた。  そこは大きな空洞のような空間で、全体は赤茶けたような色をしていた。 「お姉ちゃん、ここは?」  初音が口を開いた。その言葉に楓が答えた。 「ここは、耕一さんの精神世界。ここのどこかにある深層心理に、耕一さんとエ ルクゥの亡霊がいる」 「いるったってこんなに広いんだ。どこを探せばいいか……」  梓の言葉に、楓は困ったような顔をした。 「そうですけど。でも、一刻も早く耕一さんを助け出さなければ、耕一さんは亡 霊に殺されてしまう!」 「わかったわ、みんなで手分けして探しましょう」 「ねえ、みんな。なんか道みたいなのがあるよ!」  初音が大声を出した。  その声に千鶴たち三人は、初音が指さした場所を見た。  その地面には、一本の線のような物があった。 「確かに、道、みたいですね」  楓がつぶやいた。 「でも、変じゃないか? なんで道なんかがあるんだ?」  梓がつぶやいたとき、楓が何かに気づいたように声を出した。 「耕一さんです! 耕一さんが道を用意してくれてたんです!」 「え? どういうことなんだ、それは?」  梓に質問された楓は説明を始めた。 「ですから、耕一さんが私たちのために道を用意してくれたんです。本来、精神 世界には多くの道があります。心には、楽しい心、哀しい心、いろいろな心があ るんです。だからそこに行く道もいろいろあります。ですが、耕一さんは私たち が迷わずに自分の所に来られるように、他の道を消してくれてるんです」 「でも、お姉ちゃん。もしいっぱいある道のほとんどが消されていたとしても、 この残った道はわなかもしれないよ」 「いいえ、おそらくそれはないわ。だって亡霊たちの目的は、耕一さんの精神と 肉体を殺し、五百年前、耕一さんの前世である次郎衛門に滅ぼされたことへの復 讐を果たすこと。ならば、私たちがここに来たことを知れば、なるべく迷ってほ しいはず。それなら、他の道を消したりしないわ。道が多い方が迷うもの。そう じゃない、初音?」 「うん、でも……」 「確かに、初音の心配通り、唯一の道にわなを張っているのかもしれない。でも、 私は信じる。亡霊に精神を殺されかけた状態でも、耕一さんは必死で奴らと戦っ ていると」  楓にそう言われても、なお心配そうにする初音の肩に、千鶴が手を乗せた。 「初音、私たちの耕一さんを信じましょう。大丈夫よ、だって耕一さんだもの。 ね!」  初音はようやくうなずいた。 「じゃあ、みんな、行きましょう!」  四人がその道に沿って歩き始めると、五分もたたずに道は終わった。 「やっぱり、わなだったんじゃ……」  初音が心配そうに言った。  しかし、楓はうれしそうに答えた。 「いいえ、やっぱり耕一さんだったのよ、あの道を用意したのは。後ろを見て」 「後ろって……あ!」  楓の言葉に全員が後ろを見ると、彼女たちの後ろには延々と長い道があった。 「これはワープできる近道だったんです。ならば、ここが深層心理。耕一さんが いる所!」 「そう、とうとう来たのね。みんな、油断しないで!」                            四人は道が途切れた先の空間を歩き出した。 「みんな、あれ耕一じゃないのか!」  梓が指さした先には、大きな黒い壁があった。 「耕一さん!」  その壁の側に耕一の姿を確認した四人は、壁に向かって走り出した。 「耕一さん、まだ無事だったんで、す――」  そこまで言って楓は声を詰まらせた。  耕一は、壁に磔にされていた。  しかも、ただの磔ではなく、耕一の下半身は、壁にめり込んでいた。  さらによく見ると、そのめり込みは徐々にひどくなっており、上半身も少しず つめり込んでいた。 だが、四人を絶句させたのは、耕一の様子だった。  耕一は目を閉じたまま、何かにたえているようだった。  その目からは、涙がぼろぼろと流れており、口は少しだけ動き声にならない声 を出していた。  しばらくすると、耕一は唯一動く頭を必死に動かして、何かを嫌がるような仕 草をし始めた。  だんだんその動きは激しくなっていき、その状態がしばらく続くと、耕一は涙 をあふれさせた。  涙があふれ始めると、耕一は頭を振るのをやめ、がたがたと歯を鳴らし始めた。  しばらくその動きが続いたあと、再び耕一は必死になって頭を振り始めた。  耕一はずっとこの行動を繰り返していた。  耕一の顔は、すでに涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。 「一体、どういうことなんだ。どうして耕一が、こんなことに……」  梓たちは、耕一の様子のあまりのむごさに言葉を失った。  突然、彼女たちの影から何かが飛び出した。 「耕一さんを、離せ!」 「楓!」  飛び出したのは楓だった。  楓は耕一の側に行くと、無理矢理壁から耕一を引き離そうとした。 「楓危ない!」 「きゃあ!」  突如上空から放たれた光線が楓を襲い、彼女は吹き飛ばされた。 「楓!」  千鶴たちはあわてて楓の側に駆け寄った。 「誰、出てきなさい!」  千鶴が叫ぶと、上空から、笑い声と共に黒い影が表れた。 「ふふふふ――よく来たな、エディフェル、リネット、リズエル、アズエル。こ の裏切り者どもめが――」 「お前が、エルクゥの亡霊」  千鶴たちはその影をにらみつけた。 「まさか、お前たちがここまでやってくるとは――。次郎衛門を片づけたあとで、 ゆっくりと殺してやるつもりだったものを――。そこまでこの地球人ごときに心 を奪われるとは、この恥さらしめが――! 貴様らは、我らエルクゥの名折れだ、 ゴミだ――!」 「あなたね、耕一お兄ちゃんをこんな目にあわせたのは!」  初音が影に向かって叫んだ。 「耕一――? 次郎衛門のことか――。そうだ、次郎衛門に悪夢を見せ、精神を 破壊し尽くしたあとで、その肉体を乗っ取る――」 「悪夢? てめー、耕一に何を見せた!」  梓が叫んだ。 「何を――? よかろう、見せてやろう――」  亡霊がそう言うと亡霊の側にスクリーンのような物が表れ、映像が流れ始めた。 「これは……!」 「これが次郎衛門が今見ている物――くくくくく、まったく、愚かで心の弱い男 だ――。奴にも狩猟者の血が流れているはずなのに、これしきのことで苦しむと は――。しかも、同じ光景に何度も哀しみおって――こんな、こんな奴に我らは 負けたのか――!」  そこに流れていた映像は、耕一が昼間見た悪夢――耕一が次郎衛門となってエ ルクゥを虐殺し、最後に千鶴たち四人を殺すという物だった。  唯一違う点は、その映像が終わりなく続いていることだった。 「こんな物をずっと見ていたの、耕一さんは……それであんなに苦しそうに。そ れでも必死に私たちのために道を……」  千鶴は口に手を当て、瞳を潤ませた。 「もうすぐ次郎衛門の精神は、破壊される――。そして、こやつの体を乗っ取っ たあとで、次郎衛門の力を全て引き出し、我らを全滅させた地球人どもを根絶や しにする――。それが我らの復讐――」 「そうはさせるか、耕一は絶対助ける。お前たちの好きにさせてたまるか!」 「うるさいゴミめ――貴様らごときの力で何ができる――。だが邪魔であること には違いないな――やむおえん、もう少し、次郎衛門の苦しむ姿を見ていたかっ たがな――」  亡霊は耕一の方を向いた。 「すぐに殺してやる――。あの壁に次郎衛門が全て取り込まれたときが、奴の最 後――」  そのとき、楓が耕一の前に両手を広げて立った。 「絶対に耕一さんは傷つけさせない。絶対に守ってみせる!」 「どけ、エディフェル――」 「うるさい! 私はエディフェルなんかじゃない。柏木楓だ!」 「どちらでもいい――。どかぬのならば死ね、次郎衛門、エディフェル――」  亡霊の前方から出た光線が、耕一と楓の方に向かって放たれた。  楓は楓は死を覚悟して、目を閉じた。  ど――んと、光線が当たる大きな音がした。 「え……?」  しかし、楓の体に衝撃はこなかった。  ゆっくりと目を開けた楓の前には、千鶴たち三人がいた。 「お姉ちゃん、初音!」  千鶴たちは楓の方を向くと、ニコッと笑った。 「あなただけに、いい格好はさせられないものね」 「あんたがここまでやってんだ、あたしたちも根性見せないとな」 「耕一お兄ちゃんが大好きなのは、みんな同じだよ」 「ありがとう……」  亡霊はその光景を見て、いまいましそうに言った。 「邪魔をしおって――リズエル、アズエル、リネット――」 「私は柏木千鶴よ、リズエルなんて昔のおばさんじゃないわ」 「よく覚えておきな。あたしの名前は柏木梓だ」 「リネットはもう死んじゃってるの、わたしは柏木初音だもん」 「……クズが――」  千鶴たちは亡霊をにらみながら小声で話した。  「でもよ、千鶴姉。本当に勝てるのか、あんな奴に? なんだよ、さっきの光線」 「大丈夫よ、さっきの光線だって防げたでしょ。ここは精神世界。だから、ここ での形は全てイメージなの。光線だってイメージでしかない、実際の光線じゃな いわ。全て、この精神世界に入った人間が作ったイメージ。つまり、ここでの闘 いは精神力の闘いなの。奴らはエルクゥの亡霊の集合体だからそこそこの精神力 はある。だけど、私たちはエルクゥ最強の皇族四姉妹の生まれ変わりだもの。そ うよ、きっと勝てる!」 「それはどうかな――?」  再び光線が四人を襲った。  四人は先ほどやったのと同じように、両手を前につきだして光線を防ごうとし た。  だが、 「きゃー!」  四人は、光線の衝撃のすさまじさにはじき飛ばされ、地面に激突した。 「じょ、冗談じゃない。こんな奴に、本当に勝てるのかよ?」  梓が必死に起きあがりながら言った。 「変だわ、こんなはずじゃ……ま、まさか。次郎衛門の力を!」  千鶴は亡霊を見た。 「そう、その通り――。次郎衛門の力は、すでに解放してある――次郎衛門が死 んでいない以上、まだ完全には使えないが、貴様たちを殺すには十分――」  亡霊が言った瞬間、再度光線が四人を襲い、四人はなす術もなく吹き飛んだ。  千鶴は苦しそうな顔をして話しだした。 「ま、まさか、こんなことになるなんて。誤算だったわ。ごめんね、みんな」 「何言ってるのお姉ちゃん、あきらめちゃだめだよ。何か方法があるはずだよ」 「でも、そんな方法なんて……そうだわ、耕一さんよ! 耕一さんが目覚めれ ば!」  千鶴は耕一の方を見た。 「奴らは耕一さんを悪夢の世界に取り込み、その精神を乗っ取ることによって、 次郎衛門の力を得ている。だったら耕一さんが目覚めて悪夢の世界から脱出すれ ば、奴らはただの亡霊になる!」 「でも、そんなこと……」 「無駄だ――!」  四度目の光線が放たれ、再び千鶴たちは吹き飛ばされた。  四人は、立ち上がることもできずに、地面に両手足をついていた。 「次郎衛門は、我らの作った悪夢の世界に完全に取り込まれている――そんな希 望は捨てるのだな――」  亡霊は冷たく言い放った。  梓も同調した。 「そうだよ、千鶴姉。別の方法を考えよう」 「いいえ、なんとかなるわ! ここは精神世界。精神力の強い方が勝つのよ!  耕一さんを信じるの! 耕一さんなら絶対に私たちの声に答えてくれる! 努力 よ! 根性よ!」 「そんな、めちゃくちゃな……」 「他に方法はないの! なんでもいいから信じなさい、あなたの好きな人を!」 「好きな、人……そうだな、あたしは耕一のことが好きだ。だからあいつを信じ る! 起きろ耕一! あたしはあんたに言わなきゃいけないことがあるんだ。だ からさっさと目を覚ませ!」  楓と初音も耕一に向かって大声を出した。 「耕一さん、私はまだあなたの誤解を解いてすらいない。お願いです、耕一さん。 目を覚まして、そして私の本当の気持ちを、想いを聞いてください!」 「耕一お兄ちゃん。お兄ちゃんはいつだってわたしを守ってくれるんでしょ。昔 約束したよね。だから起きてよ、悪夢なんかに負けないで!」  梓たちの叫びを聞きながら、千鶴は耕一をじっと見つめた。 「耕一さん、妹たちの声が聞こえますか? みんなあなたを信じているんです。 だから、早く目を覚ましてください」  千鶴はぎゅっと拳を握った。 「耕一さん、あなたは私にとって弟のような存在でした。妹たちも、あなたのこ とを兄のように考えていました。でも、いつの間にかあなたは、妹たちにとって 特別な存在になっていたんですよね。ですが耕一さん、あなたは私にとっても特 別な人なんですよ」  千鶴は小さく微笑んだ。 「久しぶりに会ったあなたを見たとき、びっくりしました。あのかわいかった『耕 ちゃん』がいつの間にか、私の大好きだったおじさまの雰囲気を漂わせた、とて も素敵な男性になっていたんですから。そしてあなたは、鶴来屋の会長になるこ とを不安に思っていた私の手を握って、励ましてくれましたよね。あの手の感触 は今でも覚えていますよ。そのあともあなたは、いつも私のことを気にかけてく れてましたよね。私の様子を、すごく気にしてくれてましたよね。耕一さん、弟 だったはずのあなたは、私の気づかない間にすっかり『男性』として私の心に入 り込んでしまってたんです」  千鶴は再び、耕一をじっと見つめた。 「過去の忌まわしい記憶に苦しむ私を、妹たちは励ましてくれました。いっしょ に苦しみを乗り越えよう、と言ってくれました。ですが、耕一さん。私はあなた に私と共に苦しみを乗り越えてほしい。わがままかもしれないけど、私はあなた と共に人生を歩きたいんです。だからお願いです、よみがえって耕一さん!」 「そんな死に損ないを頼るのはいいかげんやめるのだな、クズども――」  亡霊は次々に光線を放った。そのたびに四人は地面にたたきつけられた。しか し彼女たちの祈りは終わらなかった。 「耕一!」 「耕一さん!」 「お兄ちゃん!」 「耕一さん!」 「腹立たしい奴らだ――そんなに次郎衛門を信じたいのなら、信じたまま奴と共 に殺してやろう――」  亡霊の前の空間がゆっくりと歪み始め、巨大なエネルギーが集まっていった。  四人はそのことを気にもとめずに、ひたすら耕一に呼びかけた。 「耕一……」 「耕一さん……」 「お兄ちゃん……」 「耕一さん……」  ――耕一!  瞬間、耕一の口から言葉が漏れだした。 「みん、な。千鶴、さん……梓……楓、ちゃん……初音ちゃん……みんなの声が、 聞こえる……」  かっと耕一は目を開いた。  その光景に四人は驚かされたが、それ以上に驚いたのは亡霊だった。 「な、なんだと――まさか、我らの悪夢から抜け出したというのか――だが、次 郎衛門の体はまだあの壁に取り込まれたまま――今のうちだ――!」  亡霊はさらに力を込めてエネルギーを集めだした。  目を開けた耕一の前には、ぼろぼろになって地面に手をついている千鶴たち四 人の姿があった。 「みんなが、俺なんかを助けるためにここにいる。みんなが、俺のために傷つい ている。……なのに、俺は何をしている。柏木耕一、根性見せろ! 今ここでや らないで、いつみんなを守るんだ!」  耕一がめり込んでいる壁にひびが入り始めた。 「おのれ、次郎衛門――だが、その努力も無駄だったな――死ね――!」  亡霊が、今までで最大の大きさの光線を放った。 「耕一さん!」 「そうはさせるか――!!」 すさまじい轟音と共に壁から抜け出した耕一が、四人の前に立ち亡霊に向かっ て両手を広げた。  次の瞬間、亡霊の出した光線は耕一の体に当たって消し飛んだ。 「ば、ばかな――」 「へへっ、ばかはてめぇだ。自分の力を防げないわけないだろう!」 「耕一さん!」  千鶴たちがよろよろと耕一に近づいた。 「よかった、本当によかった」  楓が泣いていた。千鶴たちも同じように目を潤ませていた。 「みんな、心配かけてごめん。もう大丈夫! それから千鶴さん、あなたの哀し みと苦しみ、よかったら俺もいっしょに乗り越えさせてくれないかな?」 「耕一さん……は、はい。ありがとう、耕一さん」  耕一は千鶴に微笑むと、きっと亡霊をにらんだ。 「やい、亡霊! 次郎衛門の力はきっちり返してもらったぞ。もうお前はさっき のような力は使えない! 覚悟しろ!」 「強がりはよせ――。確かに貴様が悪夢から脱出した以上、我らに次郎衛門の力 は使えない――。だが、傷ついた貴様らごとき、今の我らの力で十分――。貴様 はすでに、我らの呪縛から脱出するためにかなりの力を使ったはず――。しかも、 今の攻撃を防いだことで、もうほとんど力は残っていない――。やはり、我らの 勝ちだ――残念だったな、次郎衛門――。貴様をここで殺せば、次郎衛門の力は 使えんが、貴様に復讐できればそれでいい――。エディフェルたちと共に死ぬが いい――!」  さっきよりは確実に劣る威力の光線が、耕一たちに向かってきた。  耕一はその光線を受けて吹き飛ばされ、地面にたたきつけられた。 「力が、出ない……く、くそっここまでか」  耕一はぎりっと歯をかんだ。  千鶴たちも、耕一の様子に自分たちがもうどうしようもないことを悟った。 「ふふふふ、これで終わりだ――」  亡霊が再び力を集めだし、光線を放とうとした。 「ちょっと待った! 亡霊さん、世の中、そう、うまくいくもんじゃないんだぜ」  突然、精神世界に耕一たち以外の人間の声がした。 「なんだ、貴様は――?」 「こいつらの関係者だ!」  どこからともなく現れた声の主は、耕一たちの前にすたっと立った。  見覚えのあるその姿を見たとき、耕一は思わず叫んだ。 「て、てめぇ。今頃何しに来やがった。この……くそ親父!!」 <つづく> 最終章へ 第二章へ 戻る