8月28日土曜日(西条−岡山・新幹線・新大阪・湖西線・日本海縦貫線−松任)

 合宿初日の朝は早い。岡山方面への始発電車で西条を出発すべく、朝5時には目覚める。もちろんそんな早い時間に路線バスが走っているわけがなく、マンションから西条駅まで徒歩での移動となる。まだ夜も明けきらぬ早暁の西条を30分の道のりである。途中で大坪氏と合流、小林氏とは西条駅で合流する。
 合宿最初の列車は、6:14発、西条始発岡山行き普通電車(322M)である。この電車は115系8連で、4連が2編成併結した編成である。岡山寄りの4両は、岡山電車区(岡オカ)所属の湘南色で、中間に3500番台を含まないA編成が充当されている。広島寄りの4両は、3000番台で組成された、広島快速色の広島運転所(広ヒロ)N編成である。
 115系は東北本線・高崎線など、寒冷地と首都圏を結ぶ路線の輸送改善を図るため113系に寒冷地設備を取り付けた車両である。具体的には、1000番台にみられる雪切り室の設置、ドアの半自動化などがあげられる。また吾妻線や信越線碓氷峠での運用を考慮し、抑速ブレーキを装備している。その後、寒冷地仕様を強化し、シートピッチを拡大した1000番台が製造され、長野総合車両所(長ナノ)・松本運転所(長モト)・新前橋電車区(高シマ)・小山電車区(東ヤマ)・長岡運転区(新ナカ)・福知山運転所(福フチ)・岡山電車区(岡オカ)などに配置されており、JR西日本で110Km/h改造を施した6000番台が網干電車区(神ホシ)に配置されている。
 また、耐寒設備を簡略化し、シートピッチを1000番台と同様に拡大した2000番台が、広島地区と身延線に新製配置され、現在も静岡運転所(静シス)・下関地域鉄道部下関車両管理室(広セキ)などに配置されている。そのほか、113系から改造した600番台など様々な派生番台がある。
 ここで登場してくる、3000番台とは、1982年に岩国−広島−白市間を広島シティ区間とし、首都圏並の輸送力を発揮すべく、117系を見本として製造された車両で、2扉・転換クロスシートを基本としており、車端部と戸袋部分はロングシートとなっている。しかし、117系が空気バネ台車をはいているのに対し、この電車は115系を名乗るだけあって、足周りは115系従来車同様のコイルバネを装備している。また、天井形状や全面形状も115系従来車を踏襲しているが、フロントガラスと側扉がHゴム押さえから金属押さえに改良されているのが特徴である。
 3500番台とは、東海道山陽線の姫路−大阪−京都−米原間の新快速に221系がデビューし、117系が新快速のエースの座から転落するとともに、短編成化して福知山線と岡山地区に導入するにあたり、捻出された中間電動車を改造したものである。戸袋付近をロングシート改造した他は117系当時のままで、蛍光灯にもグローブがつけられている。また、台車もそのままで空気バネ台車をはいている。現在、福知山線・奈良線の快速で使われている、宮原電車区(大ミハ)の117系300番台の中間車によく似ている。
 前述のように、広島運転所N編成こと3000番台は117系によく似た2扉転換クロスシートだが、今日の編成は中間電動車2両に3扉の基本番台を組み込んでいる。座席はバケットシートに改造されており、シートピッチを拡げるアコモ改造がされていたが、やはり転換クロスには及ばない。大坪氏・小林氏と私は、前から5両目の、クハ115-3000番台に乗車する。
 通常なら、河内・本郷あたりから三原への通勤通学輸送を担い、尾道・松永などからは福山への通勤通学、笠岡以東からは倉敷・岡山への通勤輸送を担うこの電車だが、夏休みの日曜日ということもあって比較的すいている。朝日が明るく照りつけ、尾道周辺では尾道水道に反射してまぶしい。さわやかな朝の風景を見ながら、列車は8:27、岡山駅に到着する。
 ここで、岡山在住の逸見氏と、善通寺から瀬戸大橋線経由で岡山入りした川田氏の2人と合流し、5人で新大阪を目指す。今回は時間の都合で、新幹線を利用する。
 8:36発、岡山始発のひかり156号東京行きに乗車する。指定をとっていなかったため、逸見・川田の両氏が先に自由席に座席を確保して待っていた。 ひかり156号はJR西日本所属の300系16連で運用されており、もはや300系車両も「のぞみ型車両」と呼ばれる時代は終わったことを実感させられる。自由席はほぼ満杯になって、岡山駅を定刻に静かに離れた。
 300系新幹線車両は270Km/hという高速で、東京−名古屋−新大阪−博多をむすぶ「のぞみ」用に開発された車両で、新幹線車両初のVVVFインバータ搭載車である。また、空気抵抗を軽減するために車高を低く押さえており、100系のような2階建て車両は連結していない。現在では、のぞみにJR東海からは700系車両、JR西日本からは500系車両が登場し、いよいよ99年10月改正で、300系はのぞみとしての運用から外れ、ひかりと、朝夕の三島−東京間のこだま運用に充当される予定である。
 それにしても新幹線は速い。いつも私が「青春18きっぷ」片手に旅行するときは、岡山−新大阪はたっぷり3時間近くかかってしまうのに対し、新幹線では1時間もかからずに到着してしまう。「もう姫路か??」という声を思わず発してしまった私。9:31、新大阪駅に到着する。
 新大阪からは、湖西線経由で福井へ向かう。あくまでもJR東海の駅である新幹線新大阪駅からJR西日本の駅である在来線新大阪駅へと移動する。新幹線側はJR東海の管轄なので、乗り換え口も自動改札になっていたが、私のキップは裏が灰色だったので有人改札を通る。小林氏の切符は裏が黒い切符だったが、なぜか彼女は自動改札を使わなかった。なぜだろう。
 新大阪から乗車するのは、4011Mこと「スーパー雷鳥11号」金沢行きである。車両はJR西日本金沢総合車両所(金サワ)の485系10連。しかも大阪寄りの1号車はパノラマグリーン車である。これだけ長い編成の485系特急をみるのは久しぶりである(実家の鹿児島は、485系と言えば、特急きりしま用の3・4両が普通なので……)。もちろん貧乏学生にグリーン車での優雅な旅などできるわけもなく、3号車の指定席に座る。スーパー雷鳥用の485系は指定席車両は座席部分を通路より高くしたハイデッカー構造にアコモ改造されており、湖西線での琵琶湖や、疋田のループなどがよく見えるようになっている。座席もオリジナルから背面テーブル付きのシートに変えてあるし、連結面には221系と同じような電光案内板も設置されており、グレードが高くしてある。
 485系は、先の昼行特急用として登場していた181系にならって作られた車両である。東京−大阪間の特急「つばめ」に使われていた181系が、東海道新幹線新大阪開通により、つばめが廃止となり、大阪−博多間の特急として西にコンバートされた。ご存じの通り、門司駅構内にはデッドセクションがあり、九州内は交流電化であるから、直流用の181系は九州に入れない。当時は、EF73型機関車に、電源車として、モハ420型改造のモヤ420型を連結して乗り切ったが、この不便を解消すべく開発されたのが485系である。電気方式は、直流・交流(50Hz・60Hz)両用で、座席は、フリーストップ式リクライニングシート、固定式の側窓、自動扉になったデッキ仕切扉などが特徴である。最近ではアコモデーションの陳腐化がみられ、スーパー雷鳥のようにアコモ改造した車両もあれば、座席だけ改良した車両(背面テーブル装備)、JR東日本のようにリニューアル工事を実施した車両もある。また、余剰になった車両を利用して、ジョイフルトレインに改造した例もある(宴・華・シルフィード・リゾートエクスプレスゆう・なのはななど)。JR西日本では、当初直流区間のみの運転である特急北近畿も485系で運用されていたが、北近畿・はしだて・きのさきなどに使われる485系は、交流装置を降ろして183系800番台に改造されており、捻出された交流機器は、七尾線電化に際して、福知山線で運用されていた113系800番台を415系800番台に改造する際に流用された。
 現在では、485系は車齢の関係もあり、常磐線の特急「ひたち」から引退し、かつては東北特急用485系でにぎわった上野駅でも、とうとう485系をみることができなくなってしまった。
現役車両は、青森運転所(盛アオ)・上沼垂運転所(新カヌ)・勝田電車区(水カツ)・小山電車区(東ヤマ)・新前橋電車区(高シマ)・幕張電車区(千マリ)・金沢総合車両所(金サワ)・京都総合車両所(京キト)・南福岡電車区(本ミフ)・鹿児島総合車両所(鹿カコ)などで活躍している。
 大阪始発のスーパー雷鳥11号は、1分ほどの停車で乗客を乗せ、9:46新大阪駅12番線を出発する。それにしても暑い。この3号車は異様に暑いのである。「宮原からでてきたばかりだから冷えていないのかな」と推測していたが、吹田をすぎても、高槻をすぎてもいっこうに涼しくならない。車掌が車内改札に回ってきたとき、他のお客が「暑い」と苦情を言っていたようだ。車掌もおかしいと感じていたようで、クーラーを必死でいじっている。そうこうしている間に、列車は京都に到着する。
 私たち乗客もここでようやく事態を飲み込めた。というのは京都駅で待っていたのは、乗客だけでなく、黄色いヘルメットをかぶった京都総合車両所の作業員の面々だった。どうやら3号車のクーラーは壊れているらしい。これから京都停車中で応急処置をするようだ。作業が思うように進まず、とうとう列車は出発を遅らせることになった。6分遅れて10:15、とうとう作業員を乗せたまま京都駅1番線を発車する。
 山科から湖西線に入り、高架橋を快適に飛ばしていく485系。その中で汗をかいている私たち。しばらくして、車掌2人が訪れ、「大変申し訳ございませんが、この車両はクーラーが故障しております。つきましては他の自由席車両にお移りいただけませんでしょうか。」とのこと。私には、この場合何らかの救済がくることは予想できたので、素直に自由席に移動する。しばらくして、列車は近江舞子に臨時運転停車する。もちろん湖西線は複線なので、交換のための運転停車ではないのは確かだ。おそらく作業員をここで降ろしたのだろう。近江今津手前で、車掌から証明をもらって、すずしい自由席車両で湖西線を快適に飛ばす。しばらくして列車は永原に接近。ここは電気の種類が直流から交流へと変化するデッドセクションを構内に持つ駅である。デッドセクションにはいる前にノッチを落として、突入する。デッドセクションにはいると、車内の電気やクーラー・電光表示器も全部消えてしまう。デッドセクションを抜けると電気が復旧する。鉄道にあまり詳しくない小林氏にはこのデッドセクションについて予告していたが、どうやら他の参加者の中にもデッドセクションを知らない人がいたらしい。「今度は停電で払い戻しか?」という問いかけを受けてしまい、ついつい車内で解説してしまう私。
 山深き疋田ループを越え、羽を休めている419系の姿が車窓に映ると、敦賀に到着である。中鉄連の直前に419系に乗るために敦賀まできた私だが、715系なき今、419系は大変貴重で特異な車両であることを改めて実感したことを覚えている。敦賀でも発車時刻が遅れる。小浜線は先の大雨で一部バス代行運転になっているようだ。敦賀をでて、少しでも遅れを回復すべく、485系は疾走する。刈り取り直前の田をみながら、福井へ到着。定刻から7分遅れた11:41の到着であった。
 福井駅で列車を降りた私たちは、駅の精算所で払い戻しを受ける。ところが、「切符は販売した駅で払い戻してくれ」とのこと。この発言は、駅員の面倒くさいという気持ちがにじみ出ていたことを感じるのは容易だった。というのは、払い戻しは発売駅でということはきまりにないからである。ここで駅員と喧嘩をしてもいいのだが、あとの予定が混んでいるため、とりあえず福井駅をでて、今夜の宿泊地である松任で掛け合ってみることにしよう。  福井駅で昼食をとり、コインロッカーに荷物を預け、永平寺へと向かう。もちろん利用するのは京福電鉄である。せっかちな私は、1日乗車券があることにも気づかずに、自動販売機で切符を買ってしまった。そうしたら、窓口の淑女が不足分を足すだけで1日乗車券を売ってくれた。なんと優しいこと……。
 京福福井駅から12:40発の勝山行き普通電車で東古市まで向かう。乗車したのは、特別塗装を施した1000系車両である。1000系は抵抗制御・冷房付きの車両で、扇風機もついている。その扇風機にはなぜか「JNR」の表記が。この車両の前歴、調べてみる必要がありそうだ。
 福井駅をでて、次の新福井まではわずか1分半。制限速度が30Kmと時刻表にあるので、60Km程度で運転すると、すぐに着くのだろう。山手線もびっくり、松浦鉄道の中佐世保−佐世保中央(駅間距離;300m程度)にも負けない距離である。ちなみに新福井は京福電車の車庫・工場があり、京福オリジナル電車に混じって、南海高野線からきた車両(形式は失念しました)も停まっているが、南海からの車両は状況も悪く、廃車待ちのようだ。
 新福井をでて、JR線と別れると、のどかな田園地帯の単線を走る。ローカル私鉄の風情たっぷりである。福井から東古市まではずいぶん距離があるのだが、京福電鉄では乗降客がなければすぐの発車という路面電車のような運転形態であるため、東古市まで20分程度で到着した。
 東古市で、すぐの発車の永平寺行きに乗り換える。今度は、つりかけ駆動の100型に乗車する。木造で非冷房・白熱灯という、時代を感じる車両に揺られる。東古市をでてしばらくすると、だんだん山深くなってきて、電車もあえぎあえぎ登るというような感じだ。しかし永平寺まではさほど時間もかからない。10分程度で永平寺に到着。永平寺駅も、古い出札口と木製のベンチなど、何もかもが30年以上前の鉄道駅のようである。
 さて、永平寺周辺の景色や、永平寺の観光についての話は他の人にお任せして、少し旅をショートカットすることにしよう。
 我々5人は、山の中の永平寺から一気に日本海・東尋坊をめざす。電車では福井経由となるが、土・休日に限り、永平寺−東尋坊間に京福バスの急行便が臨時運転されるので、もちろん利用する。
 バスマニアの側面を持つ私は、急行便だから貸し切り払い下げの三菱MSあたりがくるのではと予想していたのだが、なんとやってきたのは、普通路線用の日野ブルーリボンHUである。てっきりリクライニングシートで、テーブルもある豪華車両の担当だろうとばかり思っていたが、HUらしく、車内は普通の路線バスと同じである。わずかな相違点は、古い車両(1年式ぐらい?)にもかかわらずFFシフト装備車だったこと、夏場にもチェーンを搭載していることだろうか。車内で飲もうと思って買っていた缶入りのコーラの扱いに困ったが、ぬるくなるとうまくないので、やむを得ず車内で飲む。やはり北陸コカコーラボトリングのコーラはおいしい。発車時刻の14:16になったが、発車する気配がない。??と思ったが、なんと運転手は他の運転手とのおしゃべりに夢中になっている。結局2分遅れて14:18に永平寺駅を離れる。 永平寺−東古市間は、永平寺同時発車の電車と並行して走る。東古市駅前までは、道路の幅員が狭く、大型車との離合には神経を使う。しかし、それ以外ではお構いなしのぶっ飛ばしバスである。40Km制限を60Kmで通過する。前に乗っていた私は少々怖かった。  しばらくすると、バスは広大な平野を走る。運転手氏のはなしによれば、このまま日本海まで30Km近く広がる平野らしい。もちろん道路も直線で、バスはさらに飛ばす。普通車さえも追い越す。途中で、何回か急行永平寺行きとすれ違うが、あちらは三菱のエアロスターことMP−618Mで、すこしグレードがいいような気がした。そうこうするうちに、車窓右側に丸岡城がちらりと見える。バスの案内放送でも解説が流れた。さらに進むと、JR芦原温泉駅・京福芦原湯町駅に停車する。駅名のとおり、温泉地のど真ん中で、きれいな温泉宿が見える。露天風呂で優雅に地酒でも飲みたいものだと思いつつ、バスはすすむ。水族館前を過ぎると、目の前は日本海が広がる。松林の中の細い道を猛スピードで進み、国民休暇村を過ぎると、バスは終点東尋坊に到着する。75分、1470円のスリル満点のバス旅だった。
 東尋坊での出来事も他の人にお任せしよう。なお、私は北陸3県の地酒の飲み比べをする事にしていたので、ここで地酒雲乃井を2本購入、今夜の楽しみとなる。
 東尋坊からは、矢寺氏も合流し、再び京福バスで京福電鉄三国駅へ向かう。東尋坊16:21発車の芦原温泉行き普通バスである。今度は、日野中型のRRである。京福らしく、後乗りであり、左側の座席は1人掛けとなっている。KC系のバスであるにもかかわらずFFシフトは装備されておらず、ロッド式のギアである。
 バスは日本海に沿って、細い道を走る。この路線は小回りの利く中型車が適当だろう。乗客が少なければ、リエッセでも入れたいところか。しばらく走ると、三国港駅に到着する。私たちはJR時刻表(弘済出版社版)を利用しているのだが、このバスが三国港を通るなどとは書かれていなかった。まさに寝耳に水である。当然降りる用意をしていないため、車窓から眺める。ここで降りたら、三国線全線完乗ができるのだが。しかも三国港までのバス代は190円と三国までの運賃よりも80円安い。このときは時刻表を恨んだ。まもなく三国駅に到着する。16:31、10分で着くことができた。
 三国駅は町の中心部にあるだけあって、駅も大きい。駅前広場もある。駅前にはコンビニなどもある。
 駅構内に入り、時刻表をみると、なんと三国港行きに間に合うことが分かった。乗車するのは福井行きだが、フリー切符を持っているため運賃は気にならないので、もちろん三国港行きに乗車する。なぜかというと、もちろん全線完乗しておくためである。この電車は三国港で折り返しの福井行きとなり、私たちが三国駅から当初乗る予定の福井行きに充当されるのである。現金で乗車する矢寺氏は、私たちが三国港に行くのを見送り、福井行きに三国から乗車する。私が三国港行きに駆け込み乗車したので、女性陣もあわてたのだろうか、乗り込んできた。車内でなぜ乗ったのか聞いたら、「だって走って乗っていこうとするんだもの。」とのこと。私が単に乗りつぶすために乗っただけだというと憮然とした顔をしていた。およそ2分で三国港駅に到着。
 三国港で飲み物を買ったり、トイレに行ったりと、折り返しの発車まで時間を過ごす。16:47、三国港駅を出発し、再び三国駅に到着する。ここで矢寺氏が再度合流する。
 三国−三国港−三国−福井とお世話になったこの電車は、2000型と言われる車両で、福井−東古市間で乗った1000型と同じ車体を持つが、こちらは非冷房・つり掛け駆動という車両である。また、赤い車体に恐竜の絵がいっぱいに描かれた、遊び心を感じさせる外見である。大きくあけた窓から、少し涼しい風を感じる。そして、夕日を浴びながら電車は田園地帯を駆け抜ける。
 三国線は途中で交換駅があり、当然駅構内には出発信号があるのだが、出発信号が赤を現示しているにもかかわらず、この電車は静かに駅に入り、停車する。本来なら駅前方でATSが作動してもいいはずなのに、「ジリリリン、キンコンキンコンキンコン……」のあの音は鳴らなかったのである。この電車にはATSがついているのだろうか。運転席後方でかぶりついてみたが、デッドマンはあるものの、ATS関連は気づかなかった。もし運転手が居眠りをしていたら、私が停めねば、などということも考えてしまう。
 福井大学前は都会的で、先ほどまでの田園地帯が嘘のようである。駅は高架駅で、コンビニなどもある。福井大学前をでてしばらく走ると、まもなく新福井である。勝山・永平寺方面の乗換駅である。ほどなく京福福井駅に到着する。  
JR福井駅でロッカーに入れていた荷物をとり、今度は再びJR線で、今夜の宿泊地松任を目指す。
 17:55発の小松−金沢間快速の金沢行きに乗車する。この電車は福井始発で、福井−小松間は各駅停車、小松からは美川・松任・終点金沢にのみ停車する。担当は金沢総合車両所(金サワ)の475系3連である。鹿児島育ちの私には、なじみのある車両で、前日も広島へ向かう際、西鹿児島−大牟田間でお世話になっていた。
 475系急行型電車は、その名の通り本来急行用として製造された。この電車の製造には長い歴史がある。
 湘南電車の名前で親しまれた80系電車の老朽化に伴い、153系電車が東海道線東京口に登場した。ボディは全鋼製となっており、80系がつり掛け駆動だったのに対し、153系は101系通勤型電車で成功したMT46系主電動機(100KW)を搭載し、101系とは歯車比を変えることで、高速化を図った。80系同様の、1000mmの出入口扉、ひろいデッキ、111系や113系などといった近郊型車よりも広いシートピッチ、窓際の小テーブルが特徴で、グリーン車も用意された。153系を修学旅行仕様とした155系、皇室用のクロ153などもある。
 その後、153系の主電動機出力を増強し、また運転台を高くすることで運転士を保護すべく、165系がデビューする。主電動機は120KWのMT54に変更されており、また勾配線区にも対応するよう抑速ブレーキが装備されているが、内装は153系を踏襲している。この形式も汎用性を持たせるべく、さまざまな新系列を生み出した。修学旅行用の167系、信越本線横川−軽井沢間の碓氷峠対応の169系などである。はじめ165系は東海道線に投入され、役目を解かれた153系は大阪へ移り、西明石−京都間のブルーライナー(現在の新快速)に充当された。ブルーライナーはその後113系の担当となり、晩年の153系は下関で過ごし、幡生で最後の車両も静かに去っていったのである。
 直流専用153系に対し、交流区間でも同等のサービスが提供できるよう製造されたのが、451系である。主電動機はMT46、抑速ブレーキは持たないというように、153系と同様だが、運転台は高運転台になっている。451系の欠点は主電動機出力が小さいことと、50Hz専用ということ。つまり、東北本線の黒磯以北や、常磐線取手以北などでは使えるが、北陸や九州など交流60Hz区間では使えなかったのである。そこで60Hz用の471系が登場する。内装・外観とも451系と同じである。その後、主電動機をMT54に変更した453系・473系がデビューし、さらにそれに抑速ブレーキをつけたのが455系・475系である。なお、その後、50Hz・60Hz共用とした457系がデビューしている。
 現在、455系・475系の急行運用はなく、ローカル運用に従事しているため、編成も短くなった。短編成化に伴う先頭車の不足を補うため、165系やサハ455を先頭化改造した車両もある。極めつけは、グリーン車のサロ455やサロ165を先頭車にし、普通車としたクハ455−600番台である。現在は仙台電車区と鹿児島総合車両所・大分電車区に存在するが、座席はグリーン車当時のまま、リクライニングができなくなり、座席の回転もできないが、シートピッチもそのままでボックスを形成している。車端部はロングシートである。最近では、クロス部分を一般型と同じ座席に変更する工事が進められており、グリーン車時代のゆったりとしたシートを持つ車両は少なくなった。
 455系・475系は現在では全車近郊型改造がされている。車端部をロングシートとし、一部トイレと洗面所を撤去して座席を置いている。九州の車両はデッキ仕切扉も廃止している。
 現役の455系・475系は、仙台電車区(仙セン)・金沢総合車両所(金サワ)・大分電車区(分オイ)・鹿児島総合車両所(鹿カコ)などに所属している。
 さて、福井17:55発のこの電車も近郊型改造がされている。しかし土曜日ということもあって、車内は閑散としている。車窓から見える夕日が美しい。やはり急行型電車と夕日はよく似合う。夕焼けがだんだんと暗くなり、夜となっていく時間の流れを感じる。19:16、電車は松任に到着する。
 さて、例のスーパー雷鳥の救済であるが、松任駅で掛け合ってみると払い戻してくれた。やはり運転区間の方が話が通じやすいので、ここで掛け合うことにしてのである。通常新大阪−福井間2800円の特急料金が、新幹線からの乗り継ぎ割引で半額の1400円、救済では半額払い戻しとなったため、結局特急料金は700円ということになった。自由席特急料金よりも安い金額である。すこし得をした気持ちになる。
 駅前のホテルに宿を取り、明日に備える。また、ここでは佐藤氏と合流する。その夜のことは他の人にお任せしよう。

 

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