杉原荘介先生のお墓まいり
私は、97年10月23日東京都府中市の多磨霊園にある杉原荘介先生のお墓参りに行って来ました。多磨霊園は別名を多磨墓地ともいわれ、大正12年に関東大震災後の墓地の需要の増大に応えるように開設された、わが国最初の公園的風景をとり入れた大規模な墓地です。その広さは39万坪にもおよび、平成7年4月現在で使用者総数約65,000人、埋葬総数は約350,000体です。そのなかには、数多くの著名人のお墓もあります。私が関心のある人物だけでも、つぎのようになります。
阿南惟幾
あなみ
これちか終戦時の陸軍大臣、「一死以って大罪を謝し奉る」の遺書をのこして8月15日未明切腹する。これにより、陸軍の暴走が押さえられ終戦に導かれた。彼のモットーの「徳義は戦力なり」は現代にも通ずる。
左側の丸い碑は辞世の句である。
「大君の深き恵みにあみし身は言残すべき片言もなし」
13区1種25側5番
井上成美
いのうえしげよし
(最後の海軍大将、山本五十六のもとで三国同盟反対を唱え太平洋戦争の開戦に反対する。終戦工作にも従事した。海軍兵学校の最後から二番目の校長で最後まで英語教育を廃止させなかった。)
21区1種3側18番
尾崎秀実
おざきしゅうじつ、ほつみともいう
(反戦主義者・評論家、ゾルゲ事件で有名。その獄中手記「愛情はふる星の如く」は戦後大ベストセラーになった。)
10区1種13側5番
「愛情はふる星のごとく」の初版本
昭和21年9月 世界評論社
山本五十六
やまもといそろく
海軍元帥、多磨墓地に3基しかない特別墓地に葬られている。特別墓地は東郷平八郎、山本五十六、古賀峯一の三元帥であるが戦時中に戦意高揚を意図されたものであることは疑いない。
7区特種1側2番
三島由紀夫
みしまゆきお
小説家、私がもっとも敬愛する小説家です。杉原先生のお墓のすく側にあります。
墓碑10区1種13側32番
杉原荘介先生のお墓
10区1種13側26番
正面に「杉原家之墓」
右側面に「南無阿弥陀佛」
左側面に「施主 杉原荘介」
後面に「昭和14年6月14日建立」
建立年月が昭和十四年であり、父君、母君との合葬墓である。早くにご両親をなくされた杉原先生が大正12年に開設された多磨墓地に墓所を求められていた。奇遇にも尾崎秀実、三島由紀夫と同じ側にある。デザインは師の森本先生のお墓を模しているものと思われる。確証はないが、デザインはよく似ている。
参考 森本六爾先生のお墓へいく