22.名古屋方面・行き当たりばったり紀行 <3>

その乗った列車というのは、松阪を起点とする名松線の終点の伊勢奥津まで行くキハ11です。11時27分に発車となるこの列車に乗るために、快速「みえ」3号がリミットとなるので少々あせってはいましたが、無事に乗ることができて何よりです(^^)

この名松線、「松」は松阪を示すものであることは想像がつきますが、「名」はいったいどこから・・・?という疑問を浮かべつつ、のどこな田園風景の中にある住宅街の様子を眺めながら、近鉄の線路の見える一志駅(川合高岡駅に接続しています)を過ぎ、山を登って再び平野の広がる家城駅を発車してからは山の中を進み、12時40分に終点の伊勢奥津駅に到着しました。

名松線の沿線そのものはまさにローカル線、といった趣きのものでしたが、ここ終点の伊勢奥津駅の周辺も煌びやかな建物があるわけでもなく、瓦屋根の住宅がひしめいている場所でした。駅前を歩いてみましたが、ほとんどの家の玄関の戸が開きっぱなしで、人気はそれほどないような感です。

何かこの日のような酷暑とも言える時期には、駅前のような風景がよく合っていると感じながら虫の飛び交う駅舎に入ってみると、2年前の新聞の切り取ったものが貼られ、その下の台にはいわゆる『駅ノート』という、ローカル線の駅や、秘境と呼ばれる訪問がなかなか難しい駅に置いてあったりするものが置いてありました。普通駅ノートと言えば大学ノートと呼ぶような感じのものが置いてありますが、ここには最近にフォトアルバムのようなサイズのノートが置いてありました。もとの用途は大きな日誌用なのでしょうが、風にさらされたハードカバーのノートにはさまざまな想い出が綴られていました・・・。

この名松線は、松阪と現在では近鉄線の走る名張とを結ぶ計画で、昭和10年に全通した路線です。つまり、「名」は名張を表しています。しかし、松阪と一志との間はほとんど近鉄と並走し、名張まで結ぶ意義がないとしてこのような形で残っています。国鉄の末期には廃止の候補にもあがりましたが、代替の道路の整備が遅れていたという理由でそれを免れたのです。ノートに目を通すと、いつかは廃線になってしまうのでは、という声と同時に昔を懐かしむ声もありました。現在では「軽快気動車」と呼ばれるキハ11のみが走っていますが、キハ28,58やSL,さらにはリゾート列車も走ったところで、古くからのファンがいるようですね。桜の時期にSLでも、と思ってみたりもしていました。

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