No.006 東海旅客鉄道 (西日本旅客鉄道)
100系新幹線「ひかり104号」(104A) 新大阪 ⇒ 東京  

試乗日 2000年2月15日(火)


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 今日使用されている編成は、JR西日本博多総合車両所所属の100系V1編成で、通称「グランドひかり」と呼ば

れる編成である。 編成は16両編成で、編成中間に位置する2階建車両4両以外は、全て普通車の電動車となっ

ている。 編成中間7〜10号車は2階建ての付随車で、8号車はご存知食堂車となっている。

 また他の7・9・10号車は、1階席が普通車指定席となっている。 なおこの場所のみ「2&2シート」になっている

ので、普通車で居眠りをしたい方には、ここがお勧めと言えるだろう。 一方2階席の方は、ゆったりとしたグリーン

車になっている。 通常通路としては、通常1階席が使用されるので、通りぬけも無く静寂性も抜群である。

 その他の特徴として、普通車は奇数・偶数号車により、内装の色分けがなされており、奇数号車が青、偶数号車

がピンクを基調とした内装になっていた。 

 

  

各車内の様子   (左)普通車  (中)階下席普通車  (右)2階席グリーン車

 

 また各車とも整備が行き届いており、きれいな印象を覚える。 昨年乗った100系X編成の車内に比べ、雲泥の

差だ。 この時は、特に喫煙車のくたびれ様がひどく、強いショックを受けたものである。 この点からも、製造より

10年を経た今でも、大事に使用されている車両である事が伺える。

 

   (左)2階グリーン車への入口

 

 (右)食堂車階下に設置された売店

 

 ところで乗車率であるが、「ひかり」の速達系列車で且つ、博多からの通し運転である事からか、各車とも乗車率

が高く、普通車では80〜90%位の乗車率であった様である。 特に自由席では確実に100%近い乗車率であっ

た。 一方グリーン車では、若干空席があるものの、確実に50%以上の乗車率を誇っていた。 まあ新幹線街道

の東海道区間なので、このような乗車率になったのかも知れない。

 

 一方客層であるが、平日の昼間とあってビジネス客が主流だが、大阪11時台の発車の為か、それ以外の用務

客らしい姿も見えた。 また卒業旅行シーズンなのか、殆ど女子大生らしい乗客で占められていた車両もあった。 

この車両だけは急遽「レディースカー」になった様であった。 そんな車内観察をしている内に、列車は名古屋付近

に到達していた。 やがてJR東海道線や、名鉄線が併走する様になると、いよいよ名古屋に到着である。

 

 その名古屋到着は12:16分、発車は18分である。 しばしの

停車時間中に、JR東海の本拠地、セントラルタワーの勇姿を、

車窓から眺めていた。 定刻通り名古屋を出ると、次は新横浜だ、

ここからシートにゆったり腰掛け、流れる車窓を楽しむ事にする。

 

名古屋セントラルタワーの勇姿

 

 名古屋付近では、また晴れ渡った空模様になっていた。 そんな空の下「グランドひかり」は北上を続けていた。

やがて列車は静岡県内に入り、浜名湖付近に到達していた。

 その浜名湖を一気に渡りぬけると浜松付近だ。 やがて、浜松駅を通過すると丘陵地帯に入り、茶所静岡らしい

風景が続いていく・・・。 この間一時、掛川付近で雨に打たれたものの、静岡に近づくにつれ天気も回復してきた。

やがて安部川橋梁を過ぎると、静岡である。 この静岡も一気に通過し、さらに列車は進んで行く。

 

   (左)牧之原台地を走り抜ける

 

 (右)静岡駅を通過していく・・・。

 

 そして興津付近を抜けると、交流電気周波数の分界点になる富士川を渡った。 ここまで来ると間もなく、車窓か

ら富士山を眺める事が出来る様になる。 今日は天候が良いので期待通り、富士山の姿を拝める事が出来た。 

雪を戴いた富士の山は、いつ見ても美しい物である。 その富士山が、だんだん車窓から離れて行く頃には、既に

私達は三島付近を走行していた。 三島を通過すると、やがて東海道新幹線最長の「新丹那トンネル」に吸い込ま

れていた。 暗闇の中を数分間走ると、伊豆半島の付け根、熱海付近に到達していた。 海が見渡せる来宮駅付

近には、伊豆急行の「リゾート21」の姿があった。 また遠くには、海に浮かぶ初島を見る事が出来た。

 

   (左)今日は天候が良く綺麗な
    富士山が拝めた

 (右)来宮駅付近では伊豆急の
    リゾート21が停車中だった

 

 この後は小田原まで、大小のトンネルを介し、海沿いの区間を走って行く・・・。 やがて小田原駅を高速で通過し、

その後も大小のトンネルをくぐり抜けて走ると、既に厚木付近を通過していた。 そして相模川を鉄橋で渡りきると、

もう間もなく横浜市内に列車は入っていた。 やがて相模鉄道と西谷付近で交差し、左手に県道「横浜環状2号線」

と併走するようになると、もう新横浜は目の前だ。

新横浜駅は13:56分の到着で、ここではかなりの乗客が下車していた様だった。 ちなみに今ごろ食堂車では、

今列車の営業が終了した頃である。 この新横浜駅に1分程停車すると、次はいよいよ終着東京である。

 

 13:57分、100系V1編成はゆっくりと最後の走りを始めていた。 走り始めて5分位すると、車窓には多摩川河

川敷が見えてきた。 この多摩川を渡りきると、いよいよ東京都内へと足を踏み入れていた。 そして、品川付近で

東海道線と併走する様になって来ると、間もなく終点東京である。 そしてしばらくすると、東京到着を告げる車内放

送が行われ、やがて列車は東京駅構内に入線していた。

 

 

 始発博多から6時間15分、そして新大阪出発からも、2時間57分をかけて走り続けた「ひかり104号」の旅は、

ここで今、終了した。 到着時刻は14:14分、到着番線は17番線であった。

 

 到着した東京の天気も、出発した大阪と同じく、冬晴れの美しい青空に恵まれていた。 丁度隣の18番線には、

14:31分発「こだま467号」が停車中だった。 こちらは、JR東海の100系G編成が使用されていたが、以前に

比べ、見る機会が減った100系新幹線同士の並びが実現していた。 また8号車の食堂車付近では、せわしな

く営業後の後片付けが行われていた。

とうとう残り僅かになってしまった食堂車の営業日。 食堂車は私達旅人に何を残して去って行くのであろうか・・・。

 

 
 (左)東京駅に到着した100系「ひかり104号」(左側)隣は14:31分発「こだま467号」

 (右)最後の新幹線食堂車168型車輌

 

 今回は、新幹線から「食堂車営業」が無くなるという事で、既にカウントダウンが始まった食堂車を中心に、今でも

登場時の風格を守り続ける100系V編成(グランドひかり)の旅を楽しんできました。 

取材時、「食堂車」は昼食時間に重なった為か、予想以上に利用客が多かった。 しかし平日とはいえ、一部は送

別の為の利用と思われるので、やはり実際は相当の利用者減があったのだろう。

 

 また一昔前なら、入口に行列が出来たと言うものの、今では相席で良ければいつでも利用出来る程で、利用客が

減っているのは事実だった。 これも「時代の流れ」と言ってしまうのは簡単な事です。

 しかし「食堂車廃止」により、鉄道らしい「ゆとり」のサービスが、また一つ失われたのは事実であろう。

 

 一方「グランドひかり」については、今後16両編成のままでは輸送力過剰の為、山陽区間に残る0系置換え車両

として、短編成化が検討されている様である。 実際短編成化された際は、食堂車を含む2階建て車輌の処遇が心

配される。 またこう言った事が検討されるという事は、「グランドひかり」の使命が終了したという事も意味する。

 しかしながら車両自体が大事に使われており、まだまだ「登場時の輝き」を失っていないのには感激した。 

今後は、登場時の目玉であった「食堂車」の営業が無くなるものの、この輝きを大事にして走り続けて欲しい物だ。

最後に食堂車よ永遠なれ・・・。

− 終 −

 

付録:新幹線食堂車の想い出(1992)


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