No.004 東海旅客鉄道 0系新幹線「こだま414号」(414A) 新大阪 ⇒ 東京

試乗日 1999年9月15日(


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 名古屋は13:13分に到着した。ホームではやはりファンがカメラを構え、待ち構えていた。名古屋では自由席

ではかなりの乗降があったようだが、グリーン車に関しては特に乗客の乗降はなかった。

 名古屋を発車すると次は三河安城である。名古屋を出た時点の乗車率は約18%で、指定・自由車とも若干乗

客が増えた様である。

 

 

途中駅ではファンが待ちかまえる    デッキに飾られた0系の写真

 

 しかし、三河安城では下車客が多く、また車内が寂しくなった。ここでは博多からの「ひかり106号」に道を譲

った。三河安城発車は13:30分である。

 次の停車駅の豊橋でも後続の「ひかり162号」に進路を譲るため、5分間の小休止となった。私はこの時間

を利用してホームに出て、写真を撮ってみた。

ちょうど16号車に乗車していた老夫婦が、シャッターを押して欲しいという事なので、快くそれに応じてみた。

 

 

豊橋で5分の小休止               2&2シート車はこだま編成の証

 

 豊橋は13:50分の発車であった。豊橋を出るとしばらくは丘陵地帯を走るが、静岡県内に入るとやがて車窓に

は浜名湖が見えてきた。ちなみにこの辺りが東海道新幹線の中間地点でもある。浜名湖に掛かる長い橋梁を

渡り切ると、間もなく浜松に到着となった。

 

 浜松は14:06の発車で、発車するとすぐ天竜川を渡るがこちらも増水気味で、茶色い濁流が海に向かって流れ

ていく。それを過ぎるとまた短いトンネルの連続で丘陵地帯を結んでいくが、沿線にはだんだん茶畑が多く見受け

られるようになってきた。さすがに「茶所静岡」に入ってきた事を実感する風景である。時折こんな茶畑の丘の上

に三脚を立てて、我々「こだま414号」を待ちうけている人が見られたが、今日はあまり撮影日和ではない天候

なので、他人事ながらいい写真が撮れたか心配になった。

 

 

 次の掛川では500系「のぞみ14号」の通過待ちのため、また小休止する事になった。待つことしばし「のぞみ

14号」は隣の通過線を、轟音と共に一瞬で通過していった。その掛川は14:23分の発車である。

掛川を出発すると車窓はまたまた丘陵地帯となり、それを短いトンネルで抜けていく。0系新幹線はATCを初め

とする多くの技術に守られた、広軌別線の鉄路を矢のように走り抜けていく。開業当時は神業のような高速走行で

あったが、35年の実績により、いつしかそれが当たり前のものになってきた。逆に300Km/hに迫ろうとしている

現在の新幹線の世界では、0系の速度はややのんびりした物となってしまった。つくづく技術の進歩には驚かされ

る。そんな事をぼんやり考えてる内に、「こだま414号」は安部川を渡り、静岡へと到着していた。

 

 静岡は14:40分に発車した。次の停車駅の新富士では「ひかり234号」の通過待ちで停車した。新富士を

14:57分に出発すると、また雨が降り出してきた、晴天ならこの辺りで「富士山」が見えてくる筈なのだが・・・。

今日は悪天候のため全く見る事が出来なかった。

 

 その雨も次の三島に到着する頃には、もう既に上がっていた。三島を15:10分に出発するとすぐに、東海道

新幹線最長の新丹那トンネルに入っていった。

 伊豆半島の付け根をトンネルで抜けると、間もなく熱海に到着である。車窓では遠くに相模湾が広がり、関東

に入ってきた事を気づかせてくれる。

 この熱海、温泉街としても伊豆半島の玄関口としても有名な町で、かつてに比べ観光客が減ったと言うものの、

まだまだ根強い人気のある観光地である。

丁度この付近では、観光から帰るのに丁度いい時間になってきたので、自由席車を中心に大量の乗車があって、

ここでやっと列車らしい列車になって来たようだ。熱海は15:20分の発車だ。

 

  

だんだん東京が近づく  (左)沼津付近  (中央)熱海付近  (右)品川付近

 

 熱海を発車した時点で乗客数が大幅に増えたので、ここでも「記念オレンジカード」の案内が放送された。なかな

かこの列車の車掌は商売熱心である。ただ、熱海で0系を目当てに乗車してきた人はそんなにいない様なので、

効果が有ったかどうかは不明である。 小田原までは僅かな距離であるが、トンネルと橋梁の連続で、時折相模湾

が見えといった具合で非常に変化の有る区間である。 

 

 小田原では「ひかり236号」待ち合わせのため、しばらく停車した。ちなみにこれが最後の後続列車の追い抜きと

なった。小田原は15:34分の発車だ。

 小田原を発車すると後は、一直線に神奈川県を横断し新横浜を目指すだけである。途中相模川を渡ったが、こ

の付近に新駅を作る計画が有るとも言う。もし出来れば、新幹線利用が不便な神奈川中央部からの利用が便利に

なるだろう。

 なお、この時点での乗車率は概算で約40%となっていた。特に自由席禁煙車の乗車率が高く、中には満席に近

い車両もあったようだ。 だんだん列車の速度が落ちてきた、いよいよ新横浜に到着である。

 

 

乗車券と0系引退記念オレンジカード

 

 この新横浜を15:53分に出発し、しばらく走ると左手側より横須賀線が近づいてくる。これも武蔵小杉付近の

カーブの手前で、新幹線と併走するようになり、そのまま多摩川を渡る。やはり多摩川の土手でも、三脚を構えて

0系の通過を待ち構える人の姿があった。

 多摩川を渡りきると、いよいよ東京都内へと足を進める事になる。先程から併走する横須賀線には、E217系

や、251系「成田エクスプレス」等が行き交い車窓を楽しませてくれる。

 やがてそんな横須賀線の真上に有る高架線を走るようになり、左手側よりうぐいす色の山手線が近づいて来

る様になると、いよいよ品川である。

 

 現在品川駅付近は、車両基地跡に新品川駅の設置工事が行われている。これが完成した暁には、品川付近の

風景も一変する事だろう。なお既に下り線は新しい本線に付け換えられており、真新しい線路上を300系が通過

していった。

 ここから先は、山手線・京浜東北線・東海道線と併走して東京を目指す事となる。車窓では見慣れた風景、見

なれた電車のすれ違いが展開していくが、こと新幹線車内から眺めると特別な感じがしてくる。

やがて速度はだんだん緩やかになり、東京駅への到着を告げるアナウンスも始まった。あちこちで身支度が始

まり、騒がしくなっってきた。もう東京駅は目と鼻の先である。

 

 

終着東京に無事到着            0系引退記念特別装飾

 

 16:10分、たくさんのファンが溢れる東京駅15番線ホームに、ゆっくりとした足取りで到着した。両端先頭車

には待ち構えたファンや親子連れが集まり、人だかりになっている。今日の東京地区は雨の影響がなかったの

で、全線を通じて一番多くのファンが集まっていた様である。

 私はこんな光景のホームに立ち、16:31分に「こだま473号」として折り返していく姿を見送ってから、新幹線

ホームを後にした。

 

 最後の0系新幹線の旅であった、しかし0系新幹線はたくさんの後継車両が登場した現在でも、「夢の超特急」

で有り続けていた。その旅は快適であり、スピード感も抜群であった。また引退迫った今日でも快適な旅を満喫

させてくれるという事は、35年前の設計がいかに優れていたかを改めて証明するとともに、運行を支えた多くの

人々の努力の賜物である事を実感させずにはいられなかった。

 最後にですが、0系新幹線の長年に渡る活躍に敬意を表します。

夢よありがとう、そしてさようなら・・・。

 

−終−


付録: 0系新幹線電車の歩みを見る

 

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