試 乗 記 録 (特別編) 国鉄急行型車両を訪ねる旅 99年冬

取材期間 1999年11月25日(木)〜28日(

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 11月25日(木) 1日目 (その2)

 

 岐阜では急遽、名鉄岐阜市内線〜揖斐線に乗車してみる事にした。 この時間はJR岐阜駅前からの発車が無

いので、徒歩にて新岐阜駅前まで向かった。 新岐阜の電停は、道路に挟まれた島式の電停であった。

早速横断歩道を渡り、電停に停車中の電車に乗車した。 この電車は連接車であった。 

 

 やがて発車の時刻になり、フォンの音を鳴らして電車は走り出

した。 ここから途中の忠節までが軌道線で、道路上を交通信号

に従いゆっくり走っていく・・・。 

 徹明町では3月末に末端区間が廃止された、美濃町線が分かれ

ていった。 

 

岐阜市内は路面上を走っていく・・・。

 

 

 長良川に架かる忠節橋を渡ると、間もなく忠節である。 ここ忠節では上り電車と待ち合わせの為、しばらくの

停車となった。 この先は単線の鉄道線で、実質上の揖斐線区間となる。

 

 やがて行き違い電車が到着したので、こちらも発車となった。 鉄道線区間に入ると、いきなりローカル色豊かな

鉄道風景が展開するようになった。 走行スピードも格段に上がり、カチカチと懐かしい音で鳴る踏切を、どんどん

通過していく・・・。

 車内はだんだん帰宅時間に差し掛かってきたのか、学生客が多かった。 ただ、途中の美濃北方止まりの電車

だった為、それ程でなかったようだ。

 

 辺りが暮れなずむ頃、電車は美濃北方駅に到着していた。 電停から乗車した為切符を持っていない私は、

ここで本揖斐までのキップを購入した。 駅員さんに本揖斐まで行きたい旨伝えると、丁寧に乗り換え案内までし

ていただいた。 また「時間までその辺で、自由に写真でも撮ってください。」と言う言葉も頂いた。 

 

 次の電車が、谷汲線と分岐する黒野までの電車であった。 すっかり日が落ちた鉄路を、満員の乗客を乗せて走

っていく。 さすがに前の電車が途中までの電車だったので、混雑がひどい様だった。

やがて電車は黒野駅に到着していた。 ここが実質上、市内線直通電車の終点で、黒野から先は旧型電車に揺ら

れる旅となる。 

 

 到着した同じホームの前方に、乗換え電車が止まっており、実にスムーズに乗換えが出来るようになっていた。

ただ、旧型車両のデッキに足を掛けた際、私はバランスを崩してホームに落ちてしまった。 丁度後ろにいた高校

生(男の子)を直撃してしまった。(本当にごめんなさい・・・。) その高校生に謝ると、そそくさと車内に乗り込んだ。

(本当に恥ずかしいやらなんやら・・・。) 無理して大荷物を抱えたまま、よじ登ろうとしたので、多分この様になっ

たのだろう。

 

 懐かしい感じがする、電車のシートに腰掛けてみる。見上げるドーム状の丸天井は、以外と高く開放感があった。

また運転台も車体中央に据え付けられ、大きなマスコンが鎮座していた。

 やがて発車時間になった。乗客は以外と少ない様なので、乗り継ぎ客はそれ程いない様であった。 発車のベル

が鳴り止み、扉が閉まると電車はゆっくりと動き出した。

 

 発車するとだんだん速度が上がってきた、久しぶりに、元気な釣り掛けモータ音を堪能できる様になってきた。 

線路状態が黒野までの区間よりも悪い為か、横揺れが激しく尻を振りながらの走行である。また揺れる度に吊革

が網棚に当たり、ガシャガシャ音を立てているのが印象に残った。

 本当に、電車の外観から想像のつかない、野暮ったい走行であった。 本当にこれだけ元気な電車も久しぶりの

気がする。 しばらくその走行感を味わっている内に、やがて電車は本揖斐駅に到着していた。

 私は次の電車で戻る事にし、撮影をする準備に取りかかった。 もう時間は17:30分を過ぎており、小雨も降り出

してきた・・・。 

 

 

本揖斐駅に停車中の751型と、その車内の様子

 

 約30分程で次の電車がやって来た。 早速撮影に取りかかったが、私に気づいた運転手さんの粋な計らい?で、

一旦消灯した前照灯を再び点灯してもらえた。 本当に有り難うございます・・・。

 一通り撮影を済すと、また釣り掛け電車(751号)に乗り黒野へ戻った。(今回は無事に乗り降り出来ました。)

黒野では、谷汲線の電車が到着するまで待つ事にした。 待っている間に、先ほど降り出した雨は上がってしまっ

た。 なおここ黒野駅は、電車庫もある沿線の拠点駅である。

丁度到着した電車が、ウインカーの玉切れを起こしていたので、緊急修理する姿も見られた。

 

 ここでは、谷汲線の発車を待つおばさんに話しかけられた。 横浜から来た事を告げると、「見に来れて良かった

ね。」と言われた。 どうやら谷汲線も存続が怪しいみたいである。

 おばさん曰く、昨日の新聞に「地元が補助を打ち切る」旨の記事が掲載されたそうである。 これは大手私鉄であ

る名鉄の一部とは言え、ローカル区間の谷汲線には、致命的な現実であると言える。

今回は時間の関係で、私は乗車する事が出来なかったが、近々訪れようと心に決めていた。

 

 そのおばさんとは色々と話をしたが、最後に「まだ若いし、ゆっくりと自分の人生を歩みなさい。」と励まされた。

やがて谷汲線の電車がやってくると、おばさんは車内に乗り込んでいった。 私は何度もお礼を言った。

 

  その谷汲線の発車を見送った後は、岐阜まで来た道を戻るだけである。 帰りは新型の単コロ電車、783型で

あった。 もう既に時間が遅くなってきたので、乗客はまばらであった。

 また、忠節より先の軌道区間は、まるでバスに乗っている様な錯覚に陥っていた。 辺りが暗いのでなおさら、そ

の様に感じるのであろう・・・。 

 

 結局、私以外の乗客は全て新岐阜駅で降車した為、終点岐阜駅前までは私一人しか乗車していなかった。

岐阜駅前の電停でも、少し写真を撮ってみました。

 

 

岐阜駅前の電停に停車中の電車             JR東海の新鋭313系電車

 

 ここからはJR線で名古屋まで戻るのだが、たまたまやって来た電車が、JR東海の新鋭313系電車であった。

さっそく車内に入ると、明るい車内に転換クロスシートが整然と並んでいた。 またほのかに、新車独特のにおいが

漂ってきた。 

 

 走り出すと非常に静かな電車で、走行音もベースになった371系特急電車より、静かになっていた様に感じられ

た。 関東地区にも、こんな快適な通勤車があればと切実に感じた。

 やがて電車は名古屋に到着していた。 隣のホームには珍しく、国鉄時代に増備された211系電車4連が停車

していた。 (注: JR東海が発注したタイプとは、だいぶ異なります。)

 

 名古屋に来たので、とりあえず「味噌かつ」を食べて宿に入った。 やはり今回もビジネスホテルだったが、今回

は部屋に風呂が無いタイプの部屋しか確保できなかった。 でも大浴場はたまたま人がいなく、独り占めできた上

に、料金も格安でした。 結局、撮影で疲れて寝るだけの私にとって、これ位の宿が最適なのかも知れませんね。

風呂から上がると、早々と明日に備え睡眠を取る事にした。

 

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