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ー 3月のお話 ー

心のふれあい

「諦めない生き方」

 今の世の中、カウンセリングなどでは、精神的ストレスを溜めるような方に「頑張らない」ことを勧めているようであります。

 確かに、金光教の御教えの中にも、「何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ。」ということがございます。

 このことから判るのは「自分の力で自分が何とかせねば」というような思いの「我の無理」は改めた方がおかげを受けて助かりますよと教えておられるのです。

 それでも「無理をせずに諦めなさい」とは教えておられないわけで、自分がせねばならない事であっても「わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ。」と教えて下されてあるように、自己中心的な考えを改め、関わり合うすべての事の助かりを祈る中から気づかせられる事を神様のお計らいと受け、「天地の心」で取り組みなさいという事なのです。

 このことは、どういう事なのか「天地の心」とはどういう心なのでしょうか。それは、どういう状況や、どんな難儀の中にあっても広く大きく包み込み見守るような心「神様は氏子助けるために、最後まで神の方からは神の綱は切らん。氏子から切るなよ。」といわれるように、「諦めないで助かってくれ」という心だと思うのです。

 すなわち「自分の力で何とかしようというような我の無理を出さずに、信心を進めて神様のおかげを受けながらさせて頂き、最後まで諦めないで真のおかげを受けてくれ。」ということが、何事の中にも大切ではないかと思うのであります。

 とかく、「神任せにする」「無理をしない」「頑張らない」というと、人任せにしたり諦めてしまう人が多いように思います。

 しかし諦めずに無理をしない頑張らない生き方もあるんじゃないでしょうか。

 それは、起こってくる事柄、仕事でも遊びでも人間関係でも、いっぺんにすべてを成功させて改善しようと思うと無理になり、諦めになります。

 けれども一つひとつを細かく見ていき、気づいた小さなところからおかげを受けて改めていくとどうでしょうか。見た目は急には変わる事はないかも知れません。

 例えば、愚痴を多く言っていた事を少なく止めてみたり、ちょっとした心配り、親切をしてみる。仏頂面で仕事をしていた人であったならば笑顔に替えてみる。

 人と言い争って相手を替えることは難しい事です。むしろ必ず反発され自分も相手も難儀になります。けれども、自分をちょっと変えてみるのは自分の心しだいです。

 考えてみて下さい。誰だって怒られながら腹を立てて嫌々仕事を手伝わされるのは嫌なものです。苦痛になり無理に思え能率も上がりません。

 それでも、自分の事をよく見てくれ誉めてくれる人の側でゆとりを持て仕事が出来れば、助け合う事も、仕事を頼まれても、快く引き受けて気分的にも無理に思わずに能率が必然的に上がると思うのです。

 そんな人は側にいないから難しいと大概の人は思うのですが、それならば、神様のおかげを受けて皆が助かるように自分がその中心になる稽古をしようではないかという考えなのです。

 そう言うと、私にはそんな事が出来ないと尻込みし諦める人が多いものですが、ここでさっきの「天地の心になって無理にならないぐらいに自分をちょっと変えてみる」ということをやってみるんです。

 時間や年月はかかるかも知れません。頑張れる人であったならば以外に早くおかげになるかも知れませんが、要は自分の中で神様のように「諦めない生き方」をすることだと思うのです。

 ここでの注意点は、相手に強要しない、相手がその事に答えてくれなくても不足に思わない事です。

 「人の親切や心配りにも気づかない可愛そうな人なんだ。助かるように私が代わりに神様に祈ってあげよう」位の広い心になって相手が助かるように神様に祈らせて頂く、そうして諦めずに取り組んでいけば必ずおかげになります。

 なぜなのか?それは、その時には事が成就するしないに関係なく、自分の心だけでもおかげを受けてきっと助かってるはずですから。

 それが無理をせずに頑張らずに自然体で出来るおかげを受けた諦めない生き方だと思います。

 共々に信心を進めておかげを蒙らせて頂きましょう。


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