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─ 9月のお話 ─

心のふれあい

「安心の道」

 残暑厳しき日々をいかがお過ごしですか。

 日々、教会に参拝させて頂き、信心の稽古をさせて頂くのでありますが、どういう願いを持って取り組んでおられますでしょうか。

 「おかげを頂きたい。」

 と誰しも思うて参ってこられるのでありますが、本当におかげを頂いて帰りたいと思うているのでありましょうか。

 本音で言えば

 「私が願う通りのおかげは頂きたいが、辛抱がいる信心のおかげは頂きたくない。」

 という心、楽をして思う通りに生きたい心がどこかにあるのではないでしょうか。

 「信心のおかげ」とは何か、言い換えれば「神様の願いに沿うたおかげ」と申せるかも分かりません。

 ただ考えてみれば分かる通り、すべてのおかげを下されるのは当然、神様であります。

 すなわち、どういうことかと申せば人間が願う願わないにかかわらず、神様は、その人その人に応じたおかげを下されてあります。

 例えて勝負事は勝者がいて敗者がいる。

 両者とも当然勝ちたい、そこで神様に願うのだけれども、結果そこには人間の側からすれば、勝ち負けの優劣が付いてしまう。

 そこで敗者であれば、神も仏も無い、信心は無駄なことと思うかも知れない。

 しかし、それは逆であり、教祖御教えに、

 「仮にも負け惜しみをすな。

 少しにても一番先に勘弁した者が勝ちで、神徳を受けた信者なり。」

 と教えられることもあります。

 つまりは、信心があればこそ、負けることの中にも、後のおかげにもなる神徳を頂ける道が生まれてくると思うのです。

 信心の本質は、神徳を積むことと思う。

 日々の信心も、心配から目先のおかげを頂くことに力を入れるよりも、神計らい有難しと神徳を頂ける信心に力を入れて、神徳を積ませて頂いておれば、難儀があっても、神任せの安心のおかげを頂けるのです。

 さらに神徳を積ませて頂くことは、

 「先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳である。

 神徳は、信心すればだれでも受けることができる。

 神徳は尽きることがない。」

 とも教えて下されてある通りであります。

 信心をさせて頂く願い、信心を持って何を子孫の者に継承させて頂くのか、何事も神様に願い、神様の願いに沿うたおかげを有り難いと御礼を申させて頂く中に、神徳を頂き、子孫まで続く安心の道が生まれると、私は感じさせて頂くのであります。

 9月は土佐高岡教会では布教記念祭並びに秋季霊祭が仕えられます。

 信心の元を大切に頂き直し、共々に信心からのおかげを蒙らせて頂きましょう。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより9月号」より)

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