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─ 5月のお話 ─

心のふれあい

「一歩でも前に進ませて頂ける信心の稽古

 皆様にはお元気で信心の稽古をなさり、おかげを頂いて下さってありましょうか。

 四月六日にはお天気のご都合お繰り合わせを頂き、須崎教会の皆様と共にバスで御本部天地金乃神大祭におかげで参拝させて頂きました。

 満開の桜の花に迎えられ、教主金光様ご祭主の元、大勢の御参拝の皆様と共に、感無量の中に御奉仕になられ、ありがたく帰らせて頂きました。

 その御本部の御大祭の御比礼を頂き、土佐高岡教会におきましても、四月十五日、万事におかげを蒙らせて頂き、皆様と共に天地金乃神大祭を無事お仕えさせて頂くことができ、真にありがたいことと御礼申し上げさせて頂いたことでございました。

 神様はどんな時も私共を見守って下さってございます。

 昔も今も変わることなく、その人その人にとって、私共には分からなくとも最善のおかげを下さってございます。

 そのおかげを頂くも、また、おかげを落とすのも、私共が神様に向かわせて頂く姿勢と、そこでの受け取り方の心にあるのではないかと思わせて頂くのでございます。

 教祖様は

 「神様のなさることに無駄事はない。」

と御教え下さってございます。

 五月は野山も深緑にかわり、川に住む生き物も眠りから覚めたように動き始め、その状をいろいろ見せて頂きますと、天地の親神様が、生き生きとお働き下さり、天地万物一切をつつみ生かせて下さってあることを感じさせて頂くように思わせて頂きます。

 教祖様は

 「時節を待たず苦をすること。」

 とも御教え下さってございます。

 私は冬の寒い日、奥城へ一人参拝をさせて頂きました。

 山にかかるふもとに大きな梅の木がありますが、その梅の木を眺め、いつ頃美しい花を見せて頂けるであろうかと楽しみに待ち眺めて通っておりました。

 すると固く幹についていた蕾が、二月、三月の始め頃になると、段々ふくらみ始め、可愛い花を開花させて見せてもらいました。

 いつも楽しみにしていただけに、私は感動をして立ち止まり、いとおしく花を眺めさせて頂きました。

 その内に美しい花が次々に咲き、満開の見頃を迎えました。

 私はその花の中を小鳥が飛び交う姿を眺め、詩(うた)にはなっていませんが、

『梅見頃(うめみごろ) メジロ戯(たわむ)れ 蜜(みつ)を吸(す)い』

『満開(まんかい)の 梅(うめ)を眺(なが)めて 心和(こころなご)みぬ』

 と詠(よ)ませて頂きましたが、それも昨日のように思えたのですが、今日通りますと、見頃も終わり、早小さい青い実がなっているではありませんか。

 神様は時節を違わず御守り下さり、花を咲かせて下さった後には実をつけて下さり、日に日にお育て下さってある。

 その小さい青い実に私は感動を覚え、しばらく立ち止まり心和ませて頂き、神様に御礼を申し上げさせて頂いたことでありました。

 土佐高岡教会先代親先生が、どんな時も、

「困った困ったと言うているより、その心を一心に神様に向けさせて頂き、おかげを頂きなさい。
 退く信心には、おかげはない。
 一歩でも信心を前に進めておかげを頂きなさい。」

 と御教え下さってありましたこと私はいつも思わせて頂き、至らぬながらも稽古をさせて頂いておりますが、皆様もお元気な心で信心の稽古をなさり、おかげを頂かれますようお祈り申しております。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより5月号」より)

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