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─ 3月のお話 ─

心のふれあい

「一歩を踏み出す生きる覚悟の信心

 最近は問題の多様化で難儀に感じる人も多く、助かりがたい世の中になってきていると感じます。

 金光教はどうでありましょうか。

 最近では参拝が形式だけであったり、特に悪いことを教えたりしないので話し相手に参る、人生相談の延長ぐらいの宗教と感じられているのかも知れない。

 また他人に宗教をしていることを知られたくないと、おかげの話しもしない雰囲気もある。

 さらに願っておいて下さいよと取次者任せの参拝。

 参拝しながらも真剣に悩むだけでは解決しない。

 神任せの覚悟を決めての一歩の取り組みが大切。

 教祖様はどうであられたか、お話をしに出て行かない、寄進勧化をしない、祭典らしきこともない。

 ただ日々神様にご祈念申し上げ、参ってきた人に信心親切に自ら受けたおかげで気づいたところを話させて頂く。

 形のこだわりを持たず、人を当てにせず、神計らいに時節を待ち、起こる事柄を受けて御礼を申す。

 おかげを受けてお礼に参ってきた方に帰りには、受けたおかげを話して人を助けよと申される。

 宗教家がする宗教ではなく、各自が生活の中で神様と共におかげを受け人を助けることを願われる。

 それは人を助けることの御教えでも

 「人間は人間らしくすればよい。何も求めて不思議なことをしなくてもよい。」

 「心配りする心で信心をせよ。」

 「親切の心一つあれば、それでよい。」

 と申され、

 「何でも物事に急ぐから間違いができる。時節に任せばよい。」

 と無理に進めるのではなく時節まで信心辛抱を教えられる。

 「此方は、人が助かりさえすれば、それでよい。」

 と誰でもできる神信心を求められたと感じるのです。

 コツコツと日々を神信心させて頂きながら、神様に生かされる喜びを感じ、お礼、お詫び、お願い申し、人として生きる働きを実意丁寧にさせて頂いて過ごす。

 流行り廃り無く、細く長く続けられる信心。

 金光教ではこれを家業の行、一生の修行と捉えるのではないか。

 考えの押しつけではなく、有り難さや魅力をどこに感じるかは人それぞれに任される。

 季節の移ろい、起こり来る事柄との出会い、発見と感動、些細なできごとでも和らぎ喜ぶことはできる。

 真面目なことに、つまらないとか損をすると感じる風潮もあるかも知れないが実際は違う。

 自分が他人にしてもらう時に、真面目な人と不真面目な人があれば、どちらに頼むだろうか。

 他人も全く違うことを考えているのではない、心配りと親切を尽くさせて頂くことが大切である。

 言われてする、嫌々するのではなく、自ら一歩進んでさせて頂いてみる。

 感じ方一つ見方一つで助かる世界が広がる一つの確実な方法であると私は思わせて頂いております。

 難儀に苦しむ、実際に助かり難くしているのは人間の我情我欲に迷う心からなのかも知れない。

 助かるかどうかを問うてするのでなく、助かりたい、助けて下さいと願い頂く信心におかげは生まれます。

 「日に日に不浄心を去りて生きるが信心なり。」

 と生きる覚悟を決めることが大切であると感じます。

 共々に信心のおかげを蒙らせて頂きましょう。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより3月号」より)

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