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ー 12月のお話 ー

心のふれあい

「真のおかげとは?」

 皆様いかがお過ごしですか。

 「おかげ」と言うと普通は、どのようなことを考えますか?自分にとって都合のいいことだけをおかげと言うのでしょうか?金光教では、一切のことをおかげと考えます。すなわち

 「みな、おかげをくださいと言うが、果たして本当のおかげを知っているのか。自分の思うとおりを聞いてくださるのがおかげとは限らない。死んでおかげの者もあり、命をつないでもらっておかげの者もある。すべてこの世のことは天地金乃神のご支配であるから、神に任すよりほかはない。信心していれば、その時は都合が悪いようでも、神の仰せにそむかないでいると、後になってから、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかってくる。これがわかるくらいの信心をしなければ、信心するかいがない。」

 と教えて下されてあります。一見すると、自分にとって好まないことになってしまうことを「おかげ」とは受け入れにくいものであります。けれども、よく考えてみてください。私達は、誰も一人では生きていないのです。物品であれば限りがあります。けれども神様はこの世の中に必要な物は、必要なだけちゃんと下されてあります。人間が欲を出して自分だけが得をすれば良いという思いを出した時に、足りなくなるのです。

 病気や命と言うことを考えた時にはどうでしょうか?これならば、神様が全員すぐにおかげを下されれば助かるし、物品がいるわけでもないのだから良いように思います。けれども実際には、治らない病で死んでいく人も多いのが現実であります。信心しておかげで病気が治ったという人も現実にあります。ですが、信心したからと言って全員が治るとは限らないわけであります。そこにはどんな違いがあるんでしょうか。

 その人その人の事情があるのでしょうが、神様はこれから先、その人がどういう生き方をするのか、どういう働きが出来るのかを見ておられるのだと思います。病気が治ったからと言って満足を知らない不足心しか持てない人、社会や家族まわりから嫌われイヤがられ苦労をし続けて生活をしなければ生きられない人、その人の生き死にを通じ病を通じて周りの人をお育てしようとする願いや祈りをかけられている人、その様な人は、神様が、まわりの者を助けるために、本人を助けるために、まわりの者に気づかせるために、病気で亡くなることもあるのだと思います。

 ただ中には、苦しみから自らの命を絶ってしまう人もあります。神様は親神様として、どの人にも祈り願いをかけておられます。親として子供に死なれることはどれほど辛いことでしょうか。後少しすれば、助かるように道付けをしてくださると思うのです。皆は神様のおかげを思う時に奇跡的なことだけを神様の働きと思うのかも知れませんがそれは違います。人との出会い、物との出会い、今日に祈りを持って対話し行動を起こした時に、気づかせられ、思わされ、改めさせられたものも神様の働き、道付けなのです。

 神様は、万物の親神様であります。人間それぞれが、自分の私欲のことを願っていけばどう思うでしょうか?誰かが得をすれば誰かが損をする。損をしたものが相手を恨んだり嫉んだりする。親として子供同士がいがみ合い、憎み合うのを見て嬉しいと感じるでしょうか。神様は、子供が受けたおかげを喜び、分け合い、相手を思い合う姿を見たいと願っているのだと思います。

 真のおかげとは、信心を抜きにはありえません。どの人も、神様の働きとしてのおかげは、信心していてもしていなくても、知っても知らずも受けているものであります。それは、その時に受けておる命のおかげであり、その命を生かそうとしてくださる働きのおかげです。真のおかげは、祈りを持って、信心を進め、行動に移した時に現れるものだと思います。

「昔から、あの人は神様のような人である、仏様のような人である、人に悪いことをしない正直者であるといわれる者でも、だんだん不幸なことが重なったりして、どういうわけであろうかというが、みな、神に無礼粗末があるからである。いくら人に悪いことをしない正直者でも、信心しなければ神には無礼粗末になる。人がよいのと神への無礼とは、また別ものである。信心しなければ、いくら善人でもおかげにはならない。」

 と御教えにはあります。真のおかげとは、どのようなものかは信心して自分の和賀心で気づかせて頂きましょう。

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