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─ 12月のお話 ─

心のふれあい

「真の信心から御礼を申す」

 今年も後、一ヶ月となりました。

 信心をさせて頂き、日常生活の中にも気づくことは多いと感じるのであります。

 難儀に出遭ったと思う時でも、思い返して自分の悪かったところ、思い違いに気づく時、難儀に思った同じ事柄に対しての見る目も時として変わってくるものであります。

 ただそこに気づくことが案外難しい。

 それは人間、問題が起こった時に、自分の事柄を中心に考えてしまう。

 相手を責めてみたり、運命を憎むことに終始することが多く自分の姿が見えない。

 自己中心というわけではないが、そのことで物事を見る目を狭め偏らせてしまう。

 物事は簡単に三つの見方があると思う。

 一つは自分の体験を元に考える見方。

 二つ目は、相手、他人の感じた見方。

 三つ目は、事柄を中心に客観的な見方。

 社会通念上であれば、情に流されず、客観的な見方が、正しいのであろうと思われる。

 自己中心的…他人任せ…事柄を裁く。

 三つの見方はあるが、どれも助かり難い。

 自分の感じる痛み苦しみ難儀も本当。

 相手や周りの人が感じたことも本当。

 客観的な見方も間違いではない。

 どれもが正しいだけにまとまらなければ、他を責めることになってしまう。

 では信心の見方はどうか。

 信心で見る時には、全体が助かるようにバランスよく合わせて考えることが大切であるように思う。

 信心させて頂く者は信心で見る稽古がいる。

 一つの事柄を通じて、ただ情に流されず、その場にいる人達が相手を思う中に自分の姿を見つめ直すように話し合っていく。

 実意を持って丁寧に話せば互いの見方の足りないところに気づくこともできる。

 信心は本心の玉を磨くものと教えられる。

 責める心を削り、足らぬ心を埋めていく。

 神心というお手本を見ながら我が本心を磨いていく稽古が大切なのだと感じます。

 見直し聞き直し丸い心であれば、問題が起きても、さっと気づくことができる。

 それが信心を進める、人が育つということではないのかと私は感じさせて頂いております。

 まだ一ヶ月ありますが、この一年を振り返り、問題事もないわけではないが、それを上回るおかげも受けているからこそ、今日があるのだと私は思います。

 まだ気づいていないことも多いものでありますが、残り一ヶ月も信心を進めさせて頂き年の終わりに本心から御礼が申させて頂ける私になりたいと願っております。

 共々におかげを蒙らせて頂き、一年御礼越年祭には、お引き寄せ頂いて神様に御霊神様に真の信心から御礼を申させて頂きましょう。

 有り難うございました。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより12月号」より)

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