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─ 12月のお話 ─

心のふれあい

「日々の信心を積み重ねて」

 早くも十二月を迎え、年越しの準備を始めようかという時季になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 今年を振り返ると教会においても社会においてもいろいろの出来事がありました。

 生まれた人、亡くなられた人、教会に新たにご縁を頂き信心を始められた人、信心の継承ならずに信心をやめられた人、個人的にもそれぞれの人の身の上に忘れられない出来事の一つ二つはあることと思います。

 日々、良いと思える日にも悪いと思える日にも神様のお恵みを頂き、命のおかげを受けて、一日一日を積み重ねていく。

 命のおかげだけはいつ尽きるかは正直、誰にも分からないことで、今に生まれた子供が亡くなることもあるし、余命を宣告された人が長生きすることもあり、また交通事故や大災害で次の瞬間に亡くなられる人もあるが、それも今までおかげを受けていないわけではなく、さらに亡くなられてからも、おかげは受け続けているのです。

 おかげを受けて亡くなることもある。

 常に神様は信心のあるなしにかかわらず、今の今おかげを授けて下されている。

 そう考えれば確かなことは、おかげを頂き通しに頂き続け、今日までおかげを常に受け続けてきた今がおかげの姿だと思うのであります。

 信心を誤解されてはならぬと思うのは、奇跡を得るのが目的ではなく、信心をさせて頂くことで、今の自らの姿を受け入れ、そこからどう生き方を改め変えてゆくのかということの中に奇跡も起こることがあるのだということです。

 どういう宗教の信心で自らの姿を受け入れるかは好みの問題であり、好きずきであろうと思うのであります。

 ただ信心のあるなしでは人生の深い味わい楽しさが違うのだと思うのであります。

 私は金光教に御神縁を頂き、真の信心に出会えたのもおかげであろうと思います。

 常におかげを頂いているということは、後には「これまでの御礼」「至らぬことへのお詫び」「改めてのお願い」しかないのではないかと私は感じております。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより12月号」より)

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