暑中お見舞い申し上げます。
皆様には、お変わりなくお元気でおかげを頂いて下さってありましょうか。
私は毎年夏になりますと、故先代親先生のことを偲ばせて頂きます。
親先生は、いつも着物、羽織、袴、白足袋の姿で御用下さっていました。
体いっぱい汗疹ができ、顔から汗が流れておられても、何一つ不平不足は言われず、
「暑い時期もおかげで、汗が出るのも、健康に恵まれているからです。『堪らん、堪らん』と思えば、辛抱出来ないように思えますが、神様が私共に下さったお恵みだと思えば、色々有り難いことに思えます。おかげを頂くも頂かないも心次第です。」
と言われ、暑い最中でも涼しい顔をなさっていました。私は親先生のように信心修行が出来られたら、あんな心にならせて頂けるのかなあと頭の下がる思いがしたものでした。
私共は、神様からおかげを頂いていても、おかげに気づかず、不平不足ばかり言い、神様にお詫びを申していますと言っても、口先だけで、真心からのお詫びではなかったりします。
御礼を申し上げさせて頂くということは、こんな信心の稽古しか出来ていないのに、私共をここまで御守り、おかげを下さって有り難い、勿体ないことであると、心の中で人知れず、感動を覚え、
「神様有り難うございます。」
と口をついて出る御礼言葉、その心が神様に通じる真心ではないでしょうか。
皆様にも、お体お大切に、お元気で万事の上におかげを頂かれ、お暮らしになられます様、お祈り申しております。
(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより月号」より)