皆様いかがお過ごしですか。
今年は教祖百二十年というお年柄を受けて、教内においても様々な行事が行われました。
教祖様の信心に立ち返りて、今日の信心を求めていこうとする思いもあってのことだと思いますが、その思いがどこまで届いているのか。
金光教は日柄とか方位とかはとかく言われることはありません。
神様の許しを得ておかげを受けてさせて頂けばよい。
といわれるのです。
さて、今日の祭日のあり方とかはどうでありましょうか。
祭日は教典にもありますように、神様から教祖様に知らされた日であります。
しかし今日はどうでありましょうか?
人間の都合に合わせて、神様の定められた日を、替えて日曜日を求められるような風潮があります。
祭日も一心がよろしいと思う。
神様は祭日をおかげ日として定めて下されました。
替えることが悪いとは申しません。
ですが、生神金光大神御取次を頂いてということは必要であります。
信者であれば人間の都合よりも神様の定められた日にお繰り合わせを頂くことが真心であり、実意なのではないでしょうか。
また、一時は都合が悪いように思えても、神様は氏子助けるために、おかげのお繰り合わせを下されます。
神様の祈りに添わず、おかげが頂けない。
神様の祈りに気づかず、おかげが頂けない。
というのは信心させて頂く者の心得が間違っているからではないでしょうか。
時代が変わり信心させて頂く者は変わってきましたが百二十年経っても神様は変わられてはおりません。
どこまでも教祖様を元にして見て下されているのであります。
生神金光大神流の生き方が求められているのだと、そのことを今日より思うのであります。
今年も後わずかですが、神様の願いに添ったおかげを受けて、よい年にさせて頂きたいものです。
(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより12月号」より)