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─ 8月のお話 ─

心のふれあい

「起き上り小法師の贈り物を頂いて」

 暑中お見舞い申し上げます。

 神様のおかげで生かせて頂き、金光様、親先生の御取次御祈念を蒙らせて頂き、多くの人々のお祈り、お世話になって今年も半年あまり、おかげで暮らさせて頂き、御用に使うて頂き、もったいない有り難いことと、いろいろの中に御礼を申し上げさせて頂いている私でございます。

 皆様にはいかがお暮らしでしょうか。

 お元気でそれぞれの御用おかげ頂いて下さってありましょうか。

 神様はどのようなことの中にも、いろいろと御教えを下さっています。

 御教え下さってあっても何にも感じず、一瞬一瞬の中を通り過ぎていく人、また、いろいろのことの中に御教えを感じ、信心の稽古として取り組んでいき、おかげにしていく人、一生のことを考えさせて頂きました時、大きな助かりに違いが出てくると思います。

 日々生かされて生きます中には、病気を始め、死、また、いろいろと難儀な問題など起きてまいりますが、金光教の信心をさせて頂いており、信心を進めさせて頂いていると、必ず助かる道はあると教えて下さった先生がおられます。

 また、先代の野村トヨ親先生は、

「難儀なことに出合った時『困った、困った』と言うのではなく、どんなことでもいろいろ考えたり、思ったりしているだけでは助からない。

 そのことを願いに現して、とにもかくにも実践に移すことだ、実践に移せば神様が良いように道をつけて下さる。」

と教えて下さいました。

「難に負けない強い精神のおかげを頂かねばならない」

と言われ、ご自身が身を持って示して下さいました。

 私が金光教学院入学中の十九歳の誕生日に、両方の手のひらを合わせて入る位の贈り物をして下さいました。

 何なんだろうと思い、心をときめかしながら開けて見ました。

 中には小さな起き上り小法師のだるまさんが入っていました。

 先代の親先生であり、母はその小さな起き上り小法師に、これからどのようなことが待っているかも分からない私の人生の中に、どのようなことの中にも、その難に負けないで神様に一心におすがりして信心の稽古をさせて頂いて、何回でも何回でも起き上り小法師のように起き上がって、助かっていってもらいたいとの願いのもとに下さったのであろう贈り物に、何かこれ以上の贈り物はないと私は胸のあつくなる思いが致しました。

 おかげで六十七歳にならせて頂きましたが、今もことあるごとに起き上り小法師の贈り物の願いを思って、神様、金光様、親先生と一心におすがり申し上げ、おかげを頂き助けて頂いており、有り難い、もったいないことと御礼を申しております。

 時節柄、皆様にもお体お大切に、お元気でおかげを頂いてお暮らしになられますよう、お祈り申しております。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより8月号」より)

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