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ー 6月のお話 ー

心のふれあい

「※御気づかせを喜ぶ」

皆様いかがお過ごしでしょうか。

普段の何気ない中にも、神様は多くのことを気づかせて下さるものであります。

例えば、私の場合、お供え物を落とすこともあるのですが、それを拾い上げて、お詫び申し調えさせて頂く。

ただ単に、これだけの中にも多くのおかげがあり、ご無礼があるものであります。

不注意にせよ、故意にせよ、モノを粗末に扱う事の中には、そのモノ自身へのご無礼とそれにこもっておる祈りを粗末に扱ったわけであるわけですので、大変なご無礼であると思うのです。

故意であるならば、その事を思いついた心もご無礼であり、実行に移せばお詫び尽くせぬご無礼であるようにも思います。

それを拾わせて頂く中には、数限りないおかげもあります。

私自身の命がなければ拾うことも出来ません。また手を動かせて頂けた。その落ちたモノに気づかせて頂けた。

見えることも動かせて頂けたことも、すべておかげの中での事なのであります。

またその中に、お詫びを申し上げることも気づかせて頂けたこともおかげであるのです。

さて、その中で、御礼を申すことがどれだけ出来ておるのか。

ともすれば、お詫びを申すことだけで終わってしまい、御礼を申すことが忘れておる場合も多いものであるのです。

普段の生活を見つめてみると、モノを粗末に扱うことが何と多いことか、人であっても同じ事。

自分の考えや思いを重視することで、人を責めることが多くはないか?御霊様や神様のせいにすることが多くはないのか?

それはすべて神様に対してのご無礼の数々であるのです。

世の中に悪いことをしていない人などは神様から見ればいないのかも知れません。

何処までもお詫びを申し、御礼を申し、償いとしてのお役に立たせて頂く。

本来であれば神様にお願い事を申すことなど、失礼なことかも知れません。

それでも神様は親神様として願ってこいとおっしゃて下さる。

自分でできることなどもないのですから、失礼承知でも願わせて頂かねばならない。

そうであるならば、愚痴不足を心に思うだけでも、神様には許されざるご無礼をおかしたと思うのであります。

だからこそ、信心させて頂き、神様の御用にお使い頂き、愚痴不足の心が起こらないように稽古が必要だと思うのであります。

難儀が起こってきた時に、何でこんなことが起こったのであろうかと思う心では、その信心の大切なところが判っていないのだと思います。

起こってくる「※御気づかせを喜ぶ」心にさせて頂きましょう。
※「御気づかせ」は「お気付け」「気づき」と金光教では本来使うのでありましょうが、私個人としては、何も現在は起こっていない状況、つまり、まだ氏子が気付いていない段階であっても、神様はこの氏子に気付かせようとお働き下されているわけでありますから、自分にとって良い悪いは別にして、その神様のお働き、そのものを尊び、喜ぶことを目的として使わせて頂きました。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより6月号」より)

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