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─ 10月のお話 ─

心のふれあい

「お礼の信心をさせて頂こう」

 今年の、九月二十三日は土佐高岡教会の初代教会長野村トヨ親先生が、この地に布教以来おかげを受けて六十年のお年柄を迎えました。

 この記念すべきお年柄を迎え、私共はこれから何をどう進めていかせてもらうかということが、誠に大切になってまいります。

 それはもう御礼の信心をさせてもらうことしかないのではありませんか。

 御礼の信心とは、自分の思いが適えられたから御礼を申すと言うのでは、本当の御礼の信心にはなりません。

 願いが適えられなくてもお礼を申し上げることは沢山あります。

 まず第一に生かされある尊い生命の御礼を、どんな時でも忘れてはならないことであります。

 それはこの地球上に生きている生命あるすべてのものに言えることでありますが、わけても人間を生神金光大神様は「天地の間に住む人間は神の氏子」とお諭し下さいました。

 天地宇宙を司る神『天地金乃神様』のおかげを受けずには地球上に生きている限りお世話にならない人間はいないのであります。

 すべての宗教を超越していて、すべての宗教も天地宇宙の働きのおかげを受けぬ限り立ち行かないのであります。

 教祖金光大神様は神仏すべてを司る神である。神たる神の親神であるとお諭し下さいました。

 また、天地金乃神様は、生神金光大神様に、

「金光大神の話すことは、天地の心と同根なり。」

とみ教え下されました。

 地球上には何十万というほど宗教がありましても、天地の芯と同根なりと天地からお許しを得られた宗祖、教祖もありません。

 生神金光大神様ただ一人であります。

 その金光大神様がみ教え下されているのでありますから、み教えに間違いということはないと信じます。

 教祖様は

「痛いのが直ったから有り難いのではない、いつも健康なのが有り難いのである。」

「物の道理というものは何でも一つである。
天地の道理を説き教えられたのが、この道である。
此の方の日々話すことは、この理を説き聞かしておるのであるから、よく物の道理をわきまえて、道理に違わぬように信心せねばならぬ。」

と天地の道理の一番に知らねばならぬことは、先にも申し上げましたように生命の有り難さに、御礼を申し上げねばなりません。

 二番目に知らねばならぬことは『あいよかけよ』であります。

 天地はすべて何事もあいよかけよで成り立っております。

 天地がすべてあいよかけよです。

 神と人間との間でもあいよかけよでなければ立ち行きません。

 人間と物ともあいよかけよで始めて立ち行きます。

 また、人と人もあいよかけよでなければ立ち行きません。

 このように天地の働きを受けてすべてが成り立っているのでありますから、教会の布教六十年もまたそのようにおかげの中で迎えれたのでありますから、共々にしっかりと御礼を申し上げに、十月のご本部での、生神金光大神大祭に一人も残らずお引き寄せを頂き、六十年の御礼を共々に御礼を申し上げたいと思います。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより10月号」より)

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