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─ 7月のお話 ─

心のふれあい

「お世話になって生きる」

 今年も早半年しが過ぎてしまいました。

 ご承知のように日本には昔から六月の三十日には夏越祭とか大祓祭などといって半年の祭典として神様に感謝申し上げるお祭りがお仕えになられてこられました。

 わが金光教でも教祖没後百年祭ごろまでは御本部広前でも、お仕えになっておられましたが、百年祭を機に改めて金光教独自の祭典方法が教祖様の信心から生み出されたのであります。

 それによって金光教からは大祓という儀式は廃止されたのであります。

 教祖様は

「忌み汚れは、わが心で犯すこともあり払うこともあり」

と悟され、また

「これまでは、忌み汚れを言う神ばかり。忌み汚れを言っていては、人は助からない。天地金乃神は、忌み汚れを言わない神である。ここをよく悟ることが大切である」

と言われるように忌み汚れは大幣を振っても、塩払いをしたといっても落ちたり退いたりするものではない、それは我が心の真より外には払うものはないことを金光大神様は我が身をもって実践され悟られたのであります。

 さて

「真とはどうすれば出せれるのか」

と問われれば教えて真が分かるものではないということであります。

 それは疑わず神を信じるところに生まれるものであってこれが真である真でないと口でいい現すことは難しいのであります。

 どうしても分かりたければ、今生きている事実をよく見るしかないのです。

 なぜ生きていられるのか、私共は誰ひとりとして自分はこうして生まれてきてこうやって生きてきたと自覚して生きている方はいないのです。

 皆気が付いてみればこの世に生まれ生かされて生きている、この真実こそ誰ひとりとして疑える者はいないのであります。

 この真実を疑わず真に有り難しと思うとき忌み汚れの無い真の心が生み出されてあらゆるものにお世話になって生かされて生きている事が分かるのであります。

 これこそが真実の生き方であり、真に通じる道ではないでしょうか。

 このように申しましても真実か否かは分かりません。

 それは心を神に向けたとき神からその心こそ真実である、真であると受け止めてもらえなければ、真実であり真であると申されないからであります。

 つまりは天地のあらゆるものに、天地金乃神の御働きを実感して唯々お世話になって生かされております。

 有り難いことであります。

 勿体ないことであります。

 お礼を申すことしかないのではあるまいかと思います。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより7月号」より)

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