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─ 3月のお話 ─

心のふれあい

「信心の継承を願う」

 皆様にはいかがお過ごしですか。

 私達は日々に神様からのおかげを頂いているのでありますが、そのことの御礼がどれほどさせて頂いているのでありましょうか。

 神様への御礼ということは、言いかえれば、いのちのもとへの御礼であります。

 普段に自分のいのちとは何かを考えることがありますでしょうか。

 人によって考え方はいろいろあると思いますが、この世に自分のいのちは一つしかありません。

 そのかけがえのない「いのち」ということを思うときに、そこにつながる、親、先祖、神様、その神様につながる天地万物の「いのち」ということを私は考えます。

 最近は自分のいのちであっても、大切にしない人もありますが、自分のいのちを粗末にする人は、他のいのちも粗末に扱います。

 それでは助からないことになってしまう。

 いのちは神様から分け与えられた分け御霊であります。

 言いかえれば分けられてはいるが、神様のいのちとも言えるのであります。

 だからこそ神様は人の助かりを願って下されるとも思うのであります。

 一人のいのちのために一人が犠牲になることを神様は喜ばれません。

 神様にとれば、二つに分けたいのちの一つが苦しむわけでありますから、それは神様の苦しみでもあるのです。

 信心とは生き方とも言いかえることができるかも分かりませんが、だとすれば家族の一人が代表として信心の稽古をさせて頂いても、本当の信心の助かりにはなりません。

 家の中で、教会で見て聞いたことを本人に変わらずに伝えなければ、本当の代参にはなりません。

 教会に参る参らないは別にして、み教えを見たり聞いたりしたときに、その本当の生き方をさせて頂けば、神様の方から常に助かりを願われて下さっているのですからおかげにはなります。

 おかげを受けることも「いのち」があればこそ、まず親、先祖の御霊、いのちを通じて神様に御礼を申し、大切に精一杯生きさせて頂き、自らの喜びと、助かってもらいたいとの願いをもって信心の継承を共々にさせて頂きましょう。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより3月号」より)

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