難儀なことで苦しんでいる人に教会では
「信心を進めておかげを頂きましょう。」
と言わせて頂くのですが、近年ではどうすれば信心を進められるのか知らない人も多くあります。
信心にも基本というものがあります。
難儀な人が間違いやすいことは、信心とはただ教会に参って神様に願い事をすることだけではありません。
奇跡的なおかげを受けることだけが信心ではないのです。
日常的に信心を身につけることから、おかげは受けられるのです。
信心とは教会に参り、願いを取り次いでもらうと共に、話を聞くことに始まります。
ただ話を聞いて、その通りにするものでもありません。
次には、その話から神様の願いを悟ることが大切なのです。
それには自分自身を大きく見つめてみる。
関係ある人達は、それぞれどういう思いで、接してくれているのだろうか。
そこで重要なことは、自分はただ人にしてもらうだけでなく、自分自身、その人達に対してどういう取り組みが出来るのかを求めることだと思うのです。
人間関係の場合は、他人を責めやすいのでありますが、人の心を動かすことは自分の力だけで出来ることではありません。
それでも方法がないわけではないのです。
それは、他人であっても日常生活で、いろいろ考えながら生きているのであります。
自分自身の生き方を間違わずに変えていきながら接していくことによって、他人でも徐々に変わっていきます。
しかし、自分自身を変えることも、簡単ではなく難しいのが事実なのです。
しかも間違わずにとは、独り善がりにならないことであって稽古が必要なのです。
まずは「参る(教会参拝)・祈る(神様に祈る)・聞く(御取次を頂く)・悟る(神様の願いを悟る)・行う(日常生活に現す)」の信心の基本に立ち返ることが大切であります。
それが、御取次を頂く金光教の信心の基本でもあるのです。
信心のおかげとは特別なことではありません。
日常生活に根ざしたものが信心であるのです。
信心を進めておかげを蒙らせて頂きましょう。
(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより3月号」より)