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─ 7月のお話 ─

心のふれあい

「信心の目を開く

 教祖生神金光大神様は私共に、天地の親神様の御心を次のようにお諭し下されております。

 「信心はせんでもおかげはやってある。」

 お示し下された御心は、真にもったいないことであります。

 この地上に生かされているすべての生き物が、天地の恵みを受けて生かされているということが、おかげであるのです。

 おかげをもらっているのであれば、信心なんか、しなくてもよいのかと思われるかも知れませんが、それは間違いであります。

 信心をせんでもおかげを頂いてるということは、人間であれば信心をさせて頂いて、信心をせんでももらっているおかげに対して、お礼を申すのが人間としての道理ではないでしょうか。

 自分の力で生きている人間は一人としてこの世には存在はしていないのであります。

 このことをしっかり悟ることが、人間として生きる根本であります。

 信心をしない人は自分の力で生きていると思っているからであります。

 果たして本当に自分の力で生きられるのでありましょうか?

 それは大変な誤解であり誤りなのです。

 考えてみて下さい。

 私共がこの地球上にいるということがすでに天地の働きを受けていること、この天地の働きがなければ一切のことが無なのであります。

 自分自分と言っている、その自分すらいないのであります。

 そのように考えてみると、この世に生まれ出ることがすでに、

 「信心せんでもおかげはやってある。」

 と言われることを、信じない訳にはいかないのではないでしょうか。

 自分の力だけでは息ひとつもできないのです。

 水・食物・人・物とあらゆる物にお世話にならねば、どんな人間も一時も生きてはいられないということを知るべきではないでしょうか。

 これが分かれば、信心させてもらうということが当たり前であって、信心は必要であり不可欠のものではないでしょうか。

 信心は不必要なもの、信心せんでも生きていられると思い上がっている人は、神様からご覧になると、なんと難儀な可愛そうな人間であろうかと、お嘆きになられているでありましょう。

 神様はじっとして信心の目が開かれるのを待っていられるのであります。

 「信心しておかげを受けてくれよ。」

 と懇願なされておられます。

 それを教祖金光大神様にお頼みになられたのであります。

 私どもはすでに金光教にご縁を頂ている者でありますから、日々教会にお引き寄せを頂いて、信心の目を育て、少しでも親神様に喜んで頂ける氏子にならせて頂いて、神人ともに助からせてもらいましょう。

 そして助けられた働きを継ぎ、人に伝えさせてもらい、おかげを頂きましょう。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより7月号」より)

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