(*^ー゚) 教会だよりトップページへ戻る
(*^ー゚) 投稿の雑記帳へ移動
(*^ー゚) 今月のお話へ戻る

─ 6月のお話 ─

心のふれあい

「素直な信心」

 世の中を見回してみると色々と道理に合わぬことが多い。

 この世の中には目に見えるもの見えないもの、様々なものが存在していることは、誰でも知っていることだと思う。

 普通であったら、世話になればお礼の一言でも言うことが当たり前に思うのだけれど相手が人間以外となると礼を言うことが少ないと思う。

 同じように、悪いことをしたのでも、相手が人間であれば、お詫びもするし改めるということもある。

 では願うという時はどうであろうか、どうしてもの時には、他人にも頭を下げてお願いするが、信心させて頂いていなくても、心のどこかで神様にでも願う心が生まれてくると思う。

 けれども、おかげを受けて助かってみると、人間にはお礼を言っても、神様にお礼を申す人は少ないように感じる。

 逆に助からなければ神様のせいにすることは当たり前のように思い、逆恨みすらすることもあるのではないか。

 「道理」で考えた時には相手が何であっても、世話になればお礼を申し、悪いことをしたと思えば、心からお詫びを申す。

 願うことの中には、お世話になりますという心と共にお任せしますという心もいる。

 「お任せ」とは生きても死んでもということである。

 そこまで信じて任されれば普通の人であっても何とかしてあげようと自分の持てる力で働いてくださるだろうと思う。

 しかし、実際はどうであろうか。

 どうすれば助かるか分からないにもかかわらず、自分勝手なお願いをして、さらに気に入るように動かそうと手綱だけは握るようなことをしているから神様であっても人であっても「勝手にせい!」と怒って動いてはくれないのである。

 さらに本気でおかげを下さいと願う時には、おかげを遠慮するような心では助からない。

 話の一言でも御神米の一粒でも頂いて帰るくらいの心でなければ助からないと思うのです。

 神様には素直が一番です。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより6月号」より)

(*^ー゚) 教会だよりトップページへ戻る
(*^ー゚) 投稿の雑記帳へ移動
(*^ー゚) 今月のお話へ戻る

Copyright(C)2001-2023 Konkokyo Church of TosaTakaoka. All rights reserved.