平成十五年(教祖百二十年)のお年柄の中に天地の親神様の天地金乃神大祭をお迎えし、改めて天地のお働きを実感し感動し喜び御礼を申し上げたいと思います。
天地の間に生きとし生きる全ての命あるものは、生かし育てその働きには、何の差別もありません。
天地は真に平等であります。人間から見れば邪魔な存在のような、ネズミやゴキブリでも人間と同じ様に生かされております。
天地から見れば何一つとして邪魔な存在というものはないのです。
人間は自分の意にそう沿わないで喧嘩をしたり、差別をしたり致します。
しかし、それでは何の解決も生まれません。金光教祖様は「天地日月の心になること寛容なり」と諭されております。
例えば、頭から小便をかけられたら、温い雨が降ってきたとおもうておれ。
叩かれたら叩いた手は痛うございませんかと相手の手をきづこうてやれ。
と天地金乃神様の御心は、広大無辺であります。
この心になって信心をしろと教えられているのであります。
この心になれば楽であると言われるのです。
宗教の中にも「目には目刃には刃」と言う教えの宗教もありますが、それでは、宗教とは申せませんし、何の解決にもなりません。
どんな困難な中にも、相手を思いやり、相手と共に生きる道を生み出して行かねばなりません。
そこにこそ金光教の道があるのです。それが天地金乃神様の御神願なのであります。
このお年柄にあたって、天地金乃神様のご大祭をお迎えし先に申した親神様の御心をわが心として、稽古に励みおかげを受けてまいりたいと思います。
(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより4月号」より)