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─ 1月のお話 ─

心のふれあい

「天地の道理は人間の生き道」

 明けましておめでとうございます。

 ここに平成十七年(立教百四十六年)の新春を迎えれましたことは誠に有り難いことであります。

 教祖生神金光大神様は、

『人間は万物の霊長であるから万物を見て天地の道理に合う信心をせねばならぬ。』

とみ教え下されております。

 また、天地の道理とは、

『国に例えれば法律のようなものである。』

『国の法律を犯した者は裁判によってその罪を裁かれて監獄に入れられるように、天地の道理を犯した者は助けてやりたいと神が思っても神にもどうにもならない、それはお上でも改まったから直ぐに罪を許して放免とはならぬのとおなじである。』

と言われております。

 そこで生神金光大神様を天地の親神様がこの世にお差し向けになられて、天地の道理を教えて罪を犯さない人間の生き道を教えて下されたのがこの道、金光教であります。

 とかく、人間は不幸が続くと、

「何にも悪いことはしてないのに何で私ばかり難儀するのでしょうか?」

というて来る人がありますが、金光大神様は、

『人を殺したり盗人をしたりせねば、悪いことはしていないと思っているが、人に良いのと神に信心しておかげを受けるものとは別物である。』

と教えられております。

 信心しておかげを受けれると言う事は、金光大神様がお諭し下されてありますように、天地のあらゆる恩恵を受けて生かされていることに感謝し、人を恨まず、何事にも不平不足に思わず、四代金光様が、

『世話になるすべてに礼をいふこころ』

とお示しくだされ、

『何一つ世話にならねばなし得ざる/われぞとおもふ世話になりつつ』

とお歌にもお読みになられております通り、ここが大切で、難儀を生み出すか、喜びを生み出すかの、信心の要であります。

「おかげを受けて何事にもお世話になって」というお礼と感謝の心を見失うことないように、常に生活の中に祈りをこめて、天地の道理に叶うた生き方を、身に付けさせて頂きましょう。


(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより1月号」より)

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