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─ 6月のお話 ─

心のふれあい

「天地の恵みを賜りて」

 今年も早、半年を迎えて六月には半年の御礼感謝祭を執行させて頂きます。

 それぞれに生かされての今日であります。

 今、私の命が生かされてあるということ。

 命がある、その生身で生きている限りには食物を頂くということが必要です。

 それは動植物の命を頂き、私の命があるということであります。

 そして他の動植物の命も私の命も天地の恵みを受けなければ存在があり得ない。

 その命ということを比べることはできず、天地からみれば違いはないのであります。

 生きる上での業ともいうべき自然の摂理、弱肉強食の中に他の命を喰うておる。

 では人間の持つ強さとは何であろうか。

 知識、技術といった知恵も強さでありますが、根源となるのは「他を思いやり、信ずる心」ではないかと思うのです。

 例えば道具を生み出すということ。

 自分の道具であれば、自分の使い勝手でどうにでも作れるが、誰かのため、万人の使い勝手を考えながら作り続けてきた中に、工夫をし発展が生まれてきたのだと思う。

 物事に取り組むのでも、自分だけの思いで取り組むのと、家族や仲間を信じる中で取り組むのとでは困難に出遭った時に乗り越える力が違うと感じるのです。

 動物でも、ただ一頭の力が強くても、力を合わせた弱い群れにやられることもある。

 動物の考えまでは分かりませんが、仲間を思い、家族を思い、それは人間となんらかわらないだろうと感じるのです。

 ただ一つ動物と人間の違いと思えるのは、食物に対する思いやりではないだろうか。

 生きるために喰うことは同じであっても、そこに「感謝する心」があるのは人間だけであるように思う。

 また教祖様は「人が人を助けるのが人間」と教えられているように、自分一人で食材をとってこない限りは、仕事としてでも自分たちのために食材をとってきて調理をしてくれている大勢の人の働きがあるのです。

 自分たちもその代価を支払うために働く、その働きは仕事であっても人を助ける働きになっているのです。

 人間同士はそういった代価を払うという思いがあるが、その食材になった命、すべてを慈しみ育ててくれている天地には、何をもって御礼を申すのでしょうか。

 食物に対するせめてもの御礼は無駄にせずに有り難く頂く心を忘れないことだと感じるのです。

 また天地への御礼は、我情我欲に溺れず、本来、人間だけができるはずの「他への思いやりの心、慈しむ心」を忘れずに、生活の現場に現していくことだと思うのです。

 私の命がある、そこにどれだけの命と働きがあるのか、せめてもの感謝、御礼の心を忘れずにいたいものであります。

(金光教土佐高岡教会「本誌教会だより6月号」より)

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