「個人情報保護法案拒否!」共同アピールの会・第三声明

個人情報保護法案拒否!
共同アピールの会
【第三声明】

またしても「個人情報保護法案」が審議採決されようとしている。くり返し問題点が指摘され、前々回、前回の国会と二度も審議入りすらできなかったというのに、政府(内閣府)および与党各党はあきらめようともしない。

この社会と、この社会の民主主義を停滞どころか後退させている者の正体が、この間の経緯からも浮かび上がってくる。

きょう、通常国会の開会にあたり、私たちはあらためてこの法案の問題点を指摘するとともに、議員各位が廃案に向け、その見識と影響力を発揮されるよう訴えたい。

記者会見
衆議院第二議員会館で開いた記者会見で発表したアピールです。

問題点はさまざまにある。

第1に、個人情報を保護する法案が、公人に対する取材や報道活動の制限につながりかねないなど、民主主義社会の基本理念である表現の自由を侵害する危険性を多分にはらんでいること。

第2に、法案が、表現の自由の主体であるべき個人の、著述からインターネット上の発言にいたるまでの多様な活動を無視し、表現の自由を「報道機関」の「報道活動」のみに矮小化しようとしていることが批判されなければならない。

第3に、この法案が民間事業者の取り締まりのみを定め、個人情報の最大の取り扱い事業者である行政部門に関してなにも言及していない点を指摘しなければならない。これについては別途定める、というのは二重規範でしかない。

第4に、個人情報を保護する手法それ自体が、従来の企業文化と地域文化の解体再編が進む現代社会にあって、個々人を直接に掌握し、統治する政治手法となっていること。言い換えればこれは、市民社会の健全な発展を阻害し、従順な国民作りをめざす手段にほかならない。

昨秋の9・11米国テロ事件とその後の報復戦争という国際情勢の緊迫は、日本の社会と報道メディア、ひいては表現一般との関係にも大きな影響をおよぼそうとしている。有事における軍事的事項の報道規制などはその最たるものだが、見過ごすことができないのは、一部の政府関係者および政治家によって醸成された「強権によって、メディア・表現・情報流通を規制するのは当然だ」という気運である。

これはかねてから法務省の「人権救済機関」設置の動きや、自民党による「青少年有害環境対策基本法案」の策定によっても醸し出されてきた気運だが、個人情報保護を謳いながら、政府による個人情報の包括的な管理および監視と、報道・表現活動の制限へと道を開く個人情報保護法案もまた、同じおぞましさに彩られている。

もともと個人情報保護法制は、この8月に稼働しはじめる全国規模の「住民基本台帳ネットワーク」の信頼性を補完するはずのものであった。その意味で急がれるべきは、行政など公的機関が保有する膨大な個人情報の漏洩や不正な収集と利用を防ぐための仕組みである。

ところが、法案はその作成過程で、行政による民間事業者と個人の取り締まりに重心を移し、同じく公権力によるメディア・表現・情報流通の管理・監視の権限強化へとねじ曲げられていった。

さらにあろうことか、現在総務省で検討されている「行政機関等の保有する個人情報の保護に関する法制の充実強化」案によれば、公的部門とそこに属す職員が個人情報を不正に取り扱った場合の特段の罰則は設けず、一般的な国家公務員法などで処すだけで十分との認識が示されている。俗に言われる「官に甘く、民にきびしく」の官僚体質の、露骨な表われである。

私たちは昨年4月の「第1声明」、6月の「第2声明」を通じ、さらに9月に東京で開催した「9・2日比谷野音 個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」、10月に全国20カ所で開いた「個人情報保護法案反対 同時多発タウンミーティング」などの場で、こうした意見を公にし、反対運動を展開してきた。

この法案に反対してきたのは私たちばかりではない。テレビ、新聞、出版、雑誌の各業界団体と企業、職業的著述家のほとんどすべてを網羅する日本文芸家協会や日本ペンクラブなどもくり返し批判を加えてきた。逆に言えば、メディア・表現に携わる機関や個人のなかで、この法案に賛成する声はひとつもあがらなかった。

こうした批判の声と反対の運動が広く世論を形成し、法制化はもとより法案の審議入りさえも阻んできたことは言うまでもない。微力ながらも、私たちはその力の一部になれたことを誇りに思う。

通常国会のはじまるこの日、私たちは議員各位に訴える。

いま上程されている個人情報保護法案を廃案にすること。

その上で、一人ひとりの個人が公的・民間を問わず、みずからの個人情報を自分で管理できるための公正・公平・透明な法制と制度を作り出すこと。

この先もなお、私たちはそのための努力を重ねていきたいと考える。

 2002年1月21日