日々の記録

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本(ミステリー中心)の感想とライブ(ジャズ&ロック)の感想,熱帯魚の飼育記録なども兼ねてます。ミステリーの場合にはネタばれもあるので,ご注意下さい。(スタイルシート可の設定のもとでは,ネタばれ部分の文字は見えないようになっています。マウスで選択し反転させると読めます。)

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2006年8月

夏の終わりのこの一時に...

8月31日(木)

とうとう八月も終わり。夏も終わり?? 朝とかちょっと涼しいよね。

ウナギのシンポまであと3週間。急げ急げ。

夕方より本郷で会議。どうも職場によっては朝9時の朝礼ってのが行なわれているらしい。そう来たか。げろげろ。まあ,まじめにやるしかないよね。

共同通信より。国公立大の入学式を9月にしようという案が出ているらしい(私立は?)。しかも4〜8月はボランティア活動を義務づけるって...。混乱するだけだと思うけどね。単に留学生対応だったら9月入学も可能とするっていうので十分。それよりも企業等の会計年度と合っていることのほうが重要そうだけどなあ。それに,ボランティア活動の義務化っていうのも,けっこう問題があるような気がする。要は入りたかったら無料奉仕しろってことだよね。もし(諸般の事情で)入学できなかったならどうなるんだろう。半年間損しただけ?(←ボランティア活動が自分のためになるとかそういう反論は無しね。) → 9/5追記

堺市に続き,新潟市と浜松市が政令指定都市になりそうとのこと。区とかどうなるのかな。ちょっと楽しみ。

8月30日(水)

ヌマエビ小卵型が8月に入ってだんだん少なくなり,とうとう2匹だけに。水温は最高でも27℃ぐらいをキープしているのだが,それでも暑い日が続くときついか。さすがに毎日クーラー付けっぱなしってわけにもいかないし。夏を越すのは難しいのかなあ。ミゾレヌマエビのほうは8匹とも全て健在。暑さにもけっこう強いみたい。

浦賀和宏火事と密室と、雨男の物語』を読了。−−“奇跡の男”八木剛士の周辺で何故か頻発する怪事件。女子高生の首吊り死体が発見され、無差別放火事件が連続する。世の中を恨み続けて生きてきた剛士が、唯一出会った理解者・松浦純菜と事件を調べるうちに、ある1人の男に辿りつく。−− “奇跡の男”というより“もてない男”あるいは“疎外されている男”といった印象が強い剛士君が,世間を見返してやるシリーズ(←本当か?)の第2作。僕のような少しダメ人間に近いかもみたいな人間にとっては,わりと共感も持てるお話です。ルサンチマンが強すぎとかどうのとか,そういう意見もあるでしょうが,じゅうぶんアリ(多少のデフォルメはあるとしても)。ただミステリ(orサスペンス)としては,前作と同様に浦賀和宏にしては大人しめかなという気もしますね。特に今回は起こる事件もさほど陰惨なものでないし,その解決もどうよみたいな感じで,拍子抜けと感じる人もいることでしょう。まあ,今のところは“痛い系の青春+ちょっとだけ希望の光”みたいな小説になってますが,浦賀和宏の書くことですからねえ。これから急転して,どんな悲惨な状況に陥ったりしても(安藤シリーズでいえば『学園祭の悪魔』とかみたいなことになっても),おかしくはないですわな。その予感もありありといったところで,今後の展開がとても楽しみになってきました。

寝酒用に,サントリー・プレミアム・モルツ 330cc×3+グラス付きを購入。プレミアム・モルツがそれほど好きというわけでもないんだけど,グラスは欲しかった。

8月29日(火)

Rさん,南アフリカより無事に帰る。ケープペンギンは可愛い。天然?のスプリングボック(アフリカ南部を代表するレイヨウ,旨いらしい)やハイラックス(ゾウに近いらしい,別名イワダヌキ)も見たいなあ。

寝酒にクーパーズ・スパークリング・エール。南オーストラリアの濃い目のエール。『世界のビール案内』には自然発酵と書いてあるけど,他にはその情報見つからず。

8月28日(月)

所内ソフトボール大会の決勝。初回の5点が効いて,何とか逃げ切り。某学生さんのファインプレイで切り抜けられたけれど,それがなければどちらに転ぶかわからなかったかも。今回はメンバーが揃ったので,出番は最終回の2アウトから,ライトの守備で。優勝が決まる時にグラウンドにいられたわけだけど,そんなに気を遣って出してくれなくてもいいのに。ボールカウント表示係もちょっと“世話人”という感じで,けっこう楽しかったしね。

夕食時にクロムバッハ・ピルスを飲む。ジャーマンスタイル・ピルスナー(ちょっと苦め)。汗をかいた後だけあって特においしく感じられる。

今話題の“子猫殺し”騒動について思うことを,やっぱりここに書き残しておきたい。基本的に僕自身はそういう事をやりたくないし,死体を見たりするのも嫌だとは思うけれど,そこまで非難すべき事だとも思えないというのが結論。もちろん法律違反であると司法の判断がなされたら場合に,それなりの処罰を受けることには特に異存はないけれど。 (9/1に少し修正,9/5にも補足を追加)

(1)論点整理: 以前は“増えすぎた子猫のまびき”というのはわりと日常的なことであったようだ(子供の頃読んだ児童書なんかにも出てましたな,子供は可哀想と思うんだけど親がっ…てやつ)。しかし,現在は猫の避妊・去勢手術というのが一般的になり,“まびき”はあまり行われなくなった(動物病院が少ない地方ではまだ普通にありなのかもしれないけど)。しかし,去勢された♂の動物は大人しくなると聞いたこともあるし(♀ではどうかわからないが,避妊手術はけっこうエグイものだという話は聞くので影響があってもおかしくはない),手術した猫としない猫にはやっぱり違いがあるのだろう。猫とかそういう動物って,もともと生後の死亡率が高いからこそ子を多く産むのであり,子をたくさん産むのは野生の名残みたいなものである。だから,少なくとも避妊・去勢を強制された猫は猫らしくなくて(野性味を失ってとかそういう意味で)あまり飼いたくない,したがって避妊・去勢よりは“まびき”を選ぶ,という人がいてもおかしくはない(前提条件の全てが正しいかどうかを別にすれば,一応その理屈は理解できる)。

*ただし,僕だったらそこにこだわってまで猫を飼いたいとも思わない。そういう面では放っておいても構わない生き物こそを飼いたい。もし避妊・去勢されていない猫を見たければ,近所で子供を作っている野良猫を他人事として眺めることで満足する(もちろん困っている人もいるのは知っているので,餌をやったことはないけどね)。

*動物愛護管理法では,猫を飼う時にはみだりに増えたりしないよう「手術その他の措置」をするよう「努め」ることとされているようだけど,罰則規定とかはあるのかな? 手術その他の「その他」ってのが気になる。(9/5追記)

で,(ごく簡単に言えば)現在の日本では動物を不当な虐待は法律で禁止されており,“まびき”が必要であったのか,またその“まびき”の方法が“残酷”かどうか(なるべく苦痛を与えないことが望ましい)というのが問題になる。一つ目の問題は前の段落で少し考えたのて,まあそういう考えはあってもいいんじゃないということに(自分の中では)なったので,次に二つ目の問題について考えてみたい。もちろん愛玩動物の命を奪うこと自体が何があっても許されないという人もどこかにはいるんだろうけど,それをいったら保健所が猫を処理することさえも禁止しなくてはいけなくなるので,程度の問題(どこかのラインでコンセンサスが得られるべき問題)だとも言えるであろう。妥当な線としては,いわゆる“安楽死”に近ければ許されてよいのではないか。(もちろん「人間に同じ事をしたら問題だろ」という意見も出るかもしれないが,僕は人間と他の動物の間には明確な境界線を引くべきだという考えなので,ここでは問題にならない。「鯨は増えているから捕獲して食べてもよい」という日本政府?の主張に対し,「だったら人間も増えたら食べてもいいのか」と愛護団体から反論が出たという話があったが,それと同じぐらいバカらしい意見だと個人的には思っている(同じぐらい正当な意見だという人ももちろんいるだろうし,いて悪いわけでもない)。

では,生まれたばかりの子猫を崖から落とすことは“安楽死”かどうか。恐怖を感じず即死するのであれば“安楽死”に近いといっていいのではないか。飛び降り自殺をする人がそれなりにいることも考えると,墜落死は即死であり死の苦痛も少ないと想像している人も多いのであろう(個人的には高所恐怖症であることもあり,文学的想像力を働かせて墜落中の子猫の気持ちになってしまえば,それは恐怖以外の何者でもないのだけど,眠っている間に気付かずに墜落死するのならまだ不幸中の幸いかという気がしないでもない)。少なくとも,食べるための鶏の首を絞めたり,ネズミ取りで採ったネズミを溺死させたり生ゴミに出したりする行為に比べて,崖から落とすことが特に残酷だとは,僕には思えない。もちろん即死になるかどうかは崖の形状や高さにもよるだろうが,死ぬ前の苦しんでいる状態を見たいというのでなければ,なるべくすぐ死ぬような状態で落とすはずだと思う(殺してから捨てるのがベターなんだろうけど)。

*僕が例の文章を読んだ限りでは,猫を殺すこと自体に快楽を覚えている人ではないように思える。自分が食べる鶏の首を絞めるのと同列に扱っている(どちらも同じように必要なことらしい)ことから考えて,食用や実験のため動物を殺すことと同じ“作業”だと認識しているように思えるのだが。まあ,“死を見つめている自分”であることに酔っている人である可能性もないわけではないが。(9/5追記)

で,法律的には実際にどうなんだろうね。日本だと例えば『動物の処分方法に関する指針』には「科学的または物理的方法により、できる限り処分動物に苦痛を与えない方法を用いて」などと書いてあるようだけど,具体的な判例とかがないとよくわからない。もちろん処分の必要性どうのこうのという話もあるんだけど,間引き行為がどう判断されるかというと,これまたよくわからない。何となくグレーゾーンというか,裁判官次第でどうとでもとれそうな気もするし,そもそも法律違反であるとしても起訴されるかどうかはまあ微妙かな(まびきで起訴された事例は日本でもタヒチでもまだないという記事を読んだことがある)。ましてやフランス領ポリネシアでのことなど,なおさらわからない。土地が違えば常識も違う。例え法律が同じだったとしても法解釈は違うかもしれないし,厳密に適用されることが少ない法律かもしれないし(自転車の飲酒運転だって状況によって捕まることもあるけど捕まらないことがほとんどとかそんなような意味で)。

*法律に違反している(可能性が高い)行為を奨励するような言動であるという批判もみかける。わからなくもないのだが,個人的にはこれも微妙なラインかと思う(内心はどうであれ,少なくとも記述上は「私はそうしてる」と言っているにすぎないので)。作家自身がその行為を法律違反だと思っていたかどうかというのも,確かに重要な問題だとは思うが。(9/5追記)

以上。“であろう”とか“ではないか”とか仮定が多いので,そう考えることが(も)できるというレベルではあります。反論されても「なるほどそういう考えもありますね」としか言えませんのでご容赦下さい()。

(2)生き物好きと“死”について: 昔(15年以上前),大学の動物学の実習でハツカネズミの解剖をしたことがある。解剖を始める前に,ネズミの首の骨(頸椎だったかな)を外して殺すという作業があった。先生によると「この方法が一番手軽でかつネズミも苦しまない」とのことであった。学生の半分ほどはそれができずに(僕も挑戦だけしてはみたが結局はダメで)先生にやってもらったわけではあるが,女の子も含め,ネズミを実習のため殺すこと自体には皆それほど拒否感がなかったように覚えている。生物学科の学生が特別なんだということも,もちろんあるかもしれない。ただそれにしても,生物が好きで生物学科に来たはずの学生が,逆に生物を殺すことにあまり拒否感を持たないというのは,興味深い現象だと思う。

*もっとも,十数年とはいえどんどん時代は変わっているので,今の学生はまた違うのかもしれない。外国の学術雑誌などでも,安楽死が保障されていない動物実験の論文は,掲載を拒否されたりすることもあるくらいだし。ただ「頸椎を脱臼させる」という処分方法は,今の日本の法律では適当な方法として認められているようである。

そういえば,いわゆるペット好きの中にも,そのような人はけっこういるのではないだろうか。例えば金魚やグッピーなどのマニアの中には(魚はペットじゃないという意見もあって,少なくとも日本の法令では愛玩動物に入れてもらえないらしい),自分が好ましいと思う形質(色や形)を世代を経て維持していくため,生まれた子供の中から選抜を繰りかえしていく人が多い。では彼らは,いらなくなった子魚をどうするか。友人のグッピーマニアによると,水洗トイレに流す人が多いらしい。もちろん,川に逃がすという禁じ手(たいていは冬には死ぬけれど,沖縄などでは生き残るので生態学的に大問題)もあって,潜在的にはこれも多いだろうと思う。

肉食性のペット(例えばヘビとか)を飼っている人だってそうかもしれない。場合によってはヒヨコとかマウスとかを餌にしたりするわけで,それも他の人からは残酷なことかもしれない。ペットを飼うというのは因果なことだなあと,小魚やエビ(人工飼料を食べるので平和といえば平和)を愛好している僕だってたまには思う。

で,こういった類の生き物好きたちと,猫殺し絶対許せない!の人たちの差は何なんだろう。感受性の差? でも自分のことを考えてみると,そう簡単には言えないような気もする。小さい頃の僕は,飼っていたコガネムシが死んだからといって半日ほど泣いているような子供だったし,動物の形をした菓子を食べるのが可哀想でとても悲しかった子供だったんだけどね。もっとも,たくさん虫とかカニとか魚とかを飼って死なせて(やっぱり“因果”か!),だんだん麻痺してきたってことなのかもしれないし,もしかしたら達観してきたと言うこともできるかもしれない。自分がそういうことを通じて命の重さを感じてきた,なんて立派?なことは言えないけどね。

実際に,命の重さとは何かということ自体が,今一つよくわからない。わかっているのは自分が死にたくないことと,自分以外の人間についても(自分ほどではないけど)死んで欲しくはないということ。もちろん自分が飼っている生物(魚やエビや植物)についても,なるべくなら死んで欲しくはない。で,それ以外の生物はどうかというと,やっぱり自然界は食う食われるだしね,考えるだけ無駄のような気がしてくる。

とりあえず,今回の件でいろいろなブログも見てみたけれど,いわゆる“ネコ好き”(ネコに限らず“生き物好き”としてもいいかも)の人にも,やっぱりいろいろな人がいるんだと改めて感じた。一方の極には単に生物(“生き物”と言ったほうが実感がわくのかも)の一種として好きな人がいて,一方には人間のパートナーとして好きな人がいて。そういった違う“好き”を持った人にお互い分かり合えというのは,とても難しいような気はするんだけど,動物との付き合い方にもいろいろあるんだということで,どこかでうまく合意形成ができないものか。

ひさうちみちお唄の上手な娘』を久しぶりに再読。名作・迷作? いや名作でしょう。絶版状態が続いているので,どっか(青林堂工藝社?)また出してくれないかな。オンデマンド出版というのもあるのか。 「ブルー色のニクイ奴」が何度読んでもけっきょく何だかよくわからない。やっぱり最後のページの“つまり遊びじゃない”というのが言いたかったかな。「その後のおしゃか」も妙な可笑しさがある。文革ものの2編のうち,「陳さん都会へ行く」はけっこう笑えるのだけど,「紅い老婆」のほうはどこを笑っていいのかちょっと難しい。どちらも勉強にはなるね(笑)。そういうものがあったのだという...。「」も←と何か関係があるのかな(“大躍進”とかって)。今回読み直して,「がんばれファックン」がとてもいいなと思えるようになった。猫のファックンの日常に対する,生物学的に正しそうな擬人化というべきか。ラストでは自分の兄弟猫が死体で見つかる。これに対するファックンの客観的(?)な視点も,まったくもって正当だと思うのだが。今ネットで騒いでいる一部の人達に捧げます。

8月27日(日)

スズキ水槽のヒメダカがすっかりいなくなっていたようだ。元生物学屋としては,まあ,あまり拒否感とかはないのだけど,僕としてはやっぱり3cm程度の小さくて大人しい魚やエビが好みなので,スズキはI君にお任せ。

浦賀和宏『火事と密室と、雨男の物語』を読み始めました。これだから浦賀は...(←褒めてるよ)。

目白の田中屋でビールを4本購入。フィニアンズ・レッド(限定輸入?らしい)に期待。例のごとく,池袋駅でカレーを食べて帰る。

肩こり。目の疲れ。倍率が緩い方の眼鏡が,金曜以来見つからない。どこ行った?

寝酒にティママン・フランボアーズを2/3飲む。残り1/3はゼリーに。

8月26日(土)

昨日の疲れで午後2時までぐっすり睡眠。

I君と合流し,スズキの飼育についてアドバイス。まず上部ろ過用の濾材(マット・活性炭)と傷の消毒薬(グリーンF)を買いに行く。ついでに餌としてヒメダカを10尾購入。スズキはわりと元気そう。メダカを水槽に入れたとたんに,追いかけ回して1尾を飲み込む。今のところ他のメダカはうまく逃げまわっているが,まあ時間の問題か。暗くなるとスズキはより活発になるし。まあ見ていてそれほど楽しいものでもないと思うので,早く人工餌料を食べてくれるといいね。と,ちょっと他人事みたいだけど,まあ実際,自分の水槽じゃないしね。

夕食はネギシでI君におごる。釣りのコーチング代? ネギシに来たのは初めてとのことで,こんな事で喜んでもらえるなら,安上がりでけっこう。喜ばしい。

若竹七海閉ざされた夏』を読みました。−−夭逝した天才作家の文学記念館で次々と起こる放火騒ぎ。謎を追い始めた若い学芸員とミステリ作家の兄妹の前に突然、旅行に出たはずの同僚が死体となってあらわれる。天才作家の過去と記念館設立の背後にはどんな秘密が隠されているのか。−− ほろ苦系の青春ミステリー。それにしても,ここまで誰もがハッピーエンドにならない(?)とは思いもしませんでしたが...。作者の底意地の悪さ爆裂といったところか。‘どんでん返し’というのは,一般にミステリー(特に本格)ファンの好むものではあるのでしょうが,もう少し楽しい‘どんでん返し’のほうがいいなあ。まあ記憶には残りそうな小説です。それはともかく,浦賀とかユヤとか最近の若い作家の書く苦さに比べると,90年代のほろ苦さってのはまだ正攻法だったんだねぇ,などと思ったり。

8月25日(金)

ソフトボール大会準決勝。前半苦戦するも後半に大量点が入って,昨年に続き決勝進出。今日はキャッチャーで途中出場とはいえ,練習等で走らされるため,筋肉痛になりそうな予感(ほぼ確実)。

I君と新木場まで夜釣りに。スズキ釣りは初めてなので,教えてもらいながら挑戦。餌はアオイソメ。橋の下でスズキの小さいの(水槽飼育向け?)が数尾釣れる。満足。雨による休憩後,場所を少し変えてマハゼ釣りに挑戦するも,こちらは釣れず残念。

I君が小型のスズキを飼育したいとのことで,4尾持ち帰える。2時間かけて,少しずつ汽水から淡水に馴らす。1尾は釣った時のケガで片側の胸びれが欠けてしまっていた。

作業中に高円寺百景のDVDを見る(聴く)。昨年8月の初台ドアーズでのレコ発ライブ(もちろん行きました!)。かっこよすぎ。カメラワークはちょっと不満だけど(カメラの位置からしてしょうがないんだろうけど,金澤さんのアップが他のメンバーに比べてかなり少ない),ちゃんと動きがあってよし。1stステージ(以前のアルバムより選曲)の曲については,2002年のライブのDVDと聴き比べても,またおもしろいですね。

8月24日(木)

ソフトボール大会3試合目。人数がギリギリだったので,セカンドでフル出場。5回ほどボールが飛んできて2エラー(グラブで弾いた後でさらに暴投)。練習ではトンネルとかの恥ずかしいのがあったけど,試合ではそれはなかったハズ(記憶から抹殺しただけかもw)。ともかく大勝して,リーグ1位。明日は準決勝。

『吉田達也の叩きっぱなし!デュオ編』を聴きに行きました。ドラマー吉田達也が複数バンド(orセッション)を一人で叩きまくるという恒例のイベント。もう何回目なんでしょうかね。今回はデュオ編ということで,石窟寺院(+佐藤研二b)・梅吉(+梅津和時as,ss,cl,bcl)・内橋和久g+吉田達也の3組で演奏し,最後は4人揃ってセッションという構成。基本的には全部フリーな演奏のようです。 石窟寺院:“豪腕×2”といった印象。佐藤さんは確か,左手の動きの激しすぎてケガをするから左手のみ手袋をしてるんでしたっけ。CD,2枚しか売ってなかった(お互いに相手がたくさん持ってくると思って遠慮してしまったとのこと)。あったら買おうと思ってたんだけど,次の機会に。 梅吉:as, ss, bcl, clと4種の楽器を使って演奏(それぞれわりと短め)。「梅吉」という名前は昔の芸者さんみたい。ということで,最後の曲は少し昔の日本風に。 内橋和久+吉田達也: 究極のフリーを目指しているデュオだそうな。途中で内橋さんの機材壊れる。曰く「使い方があかんのかな。叩くなって言われてるんだけど」 って,さっきから思いっきり叩いてるような...。無事に修復できたようですが。今回の演奏もまたCD化されるとのこと。 最後に全員でのセッション。これはすごい迫力でした。会場にも緊張感が漂い,終了後にはお客さんの感動のため息が。

8月23日(水)

お昼は久しぶりに外食。フランス料理の店に行くもお休み。その次の店もお休み。3軒目の中華料理屋に入る。850円のバイキングはけっこうお得感あり。デザートにはココナッツミルク。

ライブ(藤井郷子3+1,4)に行こうかなと思いつつ,疲れがたまっているので断念。今年はまだ藤井郷子4を聴きに行けてない。

北森鴻支那そば館の謎』を読了。「裏京都ミステリー」シリーズ1作目。−−元広域窃盗犯にして寺男の有馬次郎と、穏やかな相貌と鋭い観察眼をあわせもつ住職の二人が、みやこ新聞の自称「エース記者」折原けいや、京都府警の碇屋警部と共に難事件の謎に迫る!京の風情と垂涎の料理の数々も楽しい、本格推理の傑作登場。−− ユーモア系の短編集です。登場人物がみな曲者ぞろいでよいですね。特にバカミス作家のムンちゃんがいい味出してます。それと食べ物(の話)の出し方がうまいのも感心します。作家によっては,唐突にグルメ話が出てきて,それまでの雰囲気を台無しにしてたりもしますからね。表題作がもう少し面白かったらよりよかったかな。

寝酒にヴァイエンシュテファナー・クリスタルヴァイツェンを飲む。酵母をろ過してすっきりとした味。

8月22日(火)

ソフトボール2試合目。10-0で快勝。途中出場でタイムリーエラーとかしたらいやだなと思っていたら,最終回のキャッチャーの守備が回ってきました。初めてマスクを着けてみましたが,想像以上にボールが見にくかったです。一度ボールを弾いた時にマスクがずれてしまい,どこに転がっていったのかわからなくなりました。ランナーがいなかったので助かりましたが。フライが上がった時にはずせるように,わざと緩くなっているんですよね。なかなか奥が深い(?)です。

久しぶりのライブ鑑賞。『変拍子で踊ろう Vol.11』。1組目にる*しろう(金澤美也子e-p,vo, 井筒好治g,vo, 菅沼道昭ds,vo)。ほぼ1年ぶりに聴きました。あいかわらず最高ですが,壊れ度?が上がったような。関西での修行の成果でしょうか。ラストはてっきり「らーりするー」か何かだと思ったら,串カツの曲でした。これはとっても意表をつかれましたねえ。 2番手でPRISM(和田アキラg, 岡田治郎b, 木村万作ds)。結成30周年。日本最初のフュージョンバンドということで名前はよく聴いていましたが,実際に聴くのは初めて。っていうか,『変拍子で踊ろう』みたいな変なイベントに参加というとこからしてビックリしましたけど。「変拍子は少ないんですよ」とのことでしたが,それはそれでかっこよかったです。しかしベースの人って気持ちよさそうに演奏する人が多いですね。 トリは是巨人(鬼怒無月g, ナスノミツルb, 吉田達也ds)です。「JACKSON」(お客さんの手拍子付き)が盛り上がりました。あれ難しいよ。だんだん皆がずれてくる。「イエスメドレー」もよかったです。3rdアルバム『JACKSON』が出たということでさっそく購入。おまけで「イエスメドレー」のミニCDが付いてきました。もう一つ高円寺百景のDVDを買いました。聴く(見る)のが楽しみですね。

8月21日(月)

高田崇史麿の酩酊事件簿〈花に舞〉』を読みました。−−名門・勧修寺家の十七代目当主にしてベンチャー企業のオーナー、文麿。三十一歳・独身貴族の彼は、理不尽な家訓に適う素敵な花嫁を募集中。しかし彼の前に現れる美女たちは、なぜかトラブルメーカーばかり。彼女たちが巻き込まれた事件を、酔うほどに冴える酩酊推理で解決する文麿だが。−− なかなか楽しい小説になっています。酩酊した時のこと−推理した内容などすべて忘れてしまう探偵というのも面白いです。トリックが専門的すぎるような気もするんですが,どうでしょう。知識がないと,考えても思いつかないよ,これは。というか,作者の知識の豊富さ(毎回細かく調べているだけ?)はすごいなあと思います。もう少し読者に推理の余地があっても...なくても,まあいいや。 それはそうと上の(出版社からの)紹介文なんですが,“トラブルメーカー”ってトラベルを巻き起こす人であって,本書のヒロイン達とはちょっと違うんじゃない? トラブルに巻き込まれた人を文麿が(意識せず)呼び寄せてるんだから,金田一が行くところに必ず殺人事件が起きるのと一緒では。

寝酒にライオン・ラガー。おいしいピルスナーだと思いますが,ちょっとだけ癖アリ。南国(スリランカ)で作られたからかな(高地だったら涼しいけど)。


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