鎌倉探訪-1

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出発

朝家を出たのは7時です。自慢でないですが,僕は旅行に行ってもたいていは10時ぐらいまでホテル・旅館で寝てしまいます。したがって,こんなに早く出るなんて,とても珍しいことです。新宿駅より湘南ライナー・横須賀線を乗り継いで北鎌倉駅に向かいます。途中は本を読んでこれからのコース・時間割を練ります。まあ当然すぐずれるに決まっていますが。

北鎌倉

北鎌倉駅到着9:19。『QED』のスタートは北鎌倉駅8:00なのですが,1時間20分遅れでスタートです。

円覚寺

鎌倉五山第二位の円覚寺(臨済宗円覚寺派大本山)です。蒙古襲来における戦死者慰霊のため,北条時宗が1282年に創建。鎌倉五山というのは室町幕府が作った臨済宗のお寺の格式(ランキング)みたいなものです。第二位というだけあって,境内は広いですね。まだ朝ということもありますが,思ったよりは観光客も少なく,ゆっくり観て廻ることができました。途中から山に登った弁天堂には国宝の洪鐘があります。急な階段を頑張って登ります。最近職場でもなるべく階段を使うようにしているので,特に疲れたりはしません(少なくともこの時点では)。横に茶店が出ていたので,甘酒を飲みました。天気がよく,遠くに富士山や丹沢がきれいに見えました。30分ほど滞在。


円覚寺山門

居士林(在家の座禅道場)
柳生家の道場を移築

開基廟(北条時宗のみたまや)

洪鐘(国宝)
 

東慶寺

10分ほど歩くと東慶寺 (臨済宗円覚寺派) です。俗に言う“駆け込み寺”または“縁切り寺”の一つ。大きな案内板もなく,ちょっと目立たない所にあります。開山は北条時宗の妻,開基は時宗の子・北条貞時で1285年に創建(ところで開山と開基って何がどう違うの?)。豊臣秀頼の娘がいたことでも有名な元尼寺です。僕にとっては山田風太郎『柳生忍法帖』の最初の舞台になった場所としてのイメージが強いですね。“縁切り寺”というのはようするに,江戸時代は夫の側しか離婚の申し立てができなかったのに対し,この寺に妻が駆け込んで3年間過ごせば離婚が成立するという特例があったわけです。きれいなお寺で,観光客が少ないのでゆっくりすごせました。菖蒲畑があったので,5月頃訪れるとよいかもしれませんね。


東慶寺境内

ちょっと蛇足。ところで江戸時代は男尊女卑だったので,離婚に関しても上のような厳しい差別があったということに一般的にはなっていますが,これは制度上のものであって,実際は想像以上に緩いものだったようです(もちろん武士は除く)。妻の方が実家に帰ってしまえば仲人が出てきて示談になることも多く,元に戻る場合でも夫側に原因がある場合は“先渡し離縁状”なるものを渡される場合がけっこうあったようですね。つまり今度夫が問題を起こしたら,その離縁状を届けてしまってよいというものです(詳しくは高木侃『三くだり半―江戸の離婚と女性たち』を参照)。もっとも,いろいろなしがらみがあってうまくいかない場合もあるでしょうし,そういう時のための縁切り寺だったわけです。

明月院

また10分ほど歩くと,紫陽花(あじさい)寺として有名なお寺 (臨済宗建長寺派) があります。創建は1160年です。時宗の父・北条時頼の墓があります。6月になれば紫陽花がきれいな花を咲かすのでしょう。今の季節は紅葉と水仙などがきれいですが,ちょっと。境内には鎌倉十井の一つである瓶の井があるはずだったのですが,ぼうっとしてたら見逃しました。『QED』では近くの喫茶店で甘い物を食べることになってましたが,モデルになった店とかあったのかな。


開山堂 左に見えるのがやぐら(窟)

明月院境内(緑が多い)

浄智寺

横須賀線をはさんで反対側には浄智寺 (臨済宗円覚寺派) があります。鎌倉五山の第四位です。若くして亡くなった時宗の弟・北条宗政の菩提を弔うため,1281年に創建。入り口近くには鎌倉十井の一つ・甘露の井もあります。甘露というからには,甘い水が涌いていたのでしょうか。この寺も観光客はそれ程多くなく,よい雰囲気です。背後には洞窟みたいなのがあり,昔は水をくむのに使っていたと書いてあります。奥が見えず怖いので,入りませんでした。また境内には鎌倉・江ノ島七福神巡りの布袋様もあります。


浄智寺境内

布袋様

甘露の井

葛原ヶ岡〜佐助

ここから源氏山へと登ります。時刻はちょうど11時。これまででけっこう時間がかかってしまいました。急ぎましょうなどと言いつつ,ここからは山道です。

葛原ヶ岡ハイキングコース

浄智寺わきの道を上がると葛原ヶ岡ハイキングコースに入ります。ちょっとだけ,きつかったです。登ったり下ったりの繰り返し(基本は登りですけれどね)。もちろん舗装なんてされていませんし,林の中なので見通しもあまりよくありません。前を歩く中年のご夫婦がよく知っている人のようだったので,安心して付いていきましたが,一人で通ってたら‘迷ったんじゃないか’と心配になったかもしれませんね。とてもいい運動になりました。日頃運動不足とはいえ,まだまだ足は大丈夫です(今のところは)。


こういった林の中を20分ほど歩きます

葛原岡神社

山道を20分ほど登ると急に平地になって,葛原岡神社に到着です。鎌倉時代末期に後醍醐天皇と結び,反乱を起こして処刑された日野俊基が祭られています。墓も近くにあります。ついでに鎌倉幕府の重臣らしい藤原仲能(誰だっけ? 名前は『蒙古襲来』に出てきたような)の墓も,ひっそりと近くにあります。


葛原岡神社

日野俊基の墓

銭洗弁財天 宇賀福神社

さらに10分ほど歩き,下り坂になった途中に宇賀福神社がありました。銭洗弁財天という別名の方が有名みたいですね。お金を増やしてくれる神様だけあって,とても賑わっていました。初詣客がとても多い。神社の銭洗水(鎌倉五名水の一)でお金を洗うと倍になって戻ってくると信じられていますが,『QED』によれば,「洗うとお金が増える」ということは「砂をザルに入れて洗えば砂鉄が採れる」を意味しているとのこと。混んでいるので,そのまま境内を通り抜けて佐助稲荷に向かいます。


賑わっていました
奥の建物でお金を洗うらしい

弁天様ですらから
(土産物店にて)

佐助稲荷神社

10分ほど歩くと佐助稲荷なのですが,途中リスがいたため,写真を撮ろうとしていたら2倍も時間がかかってしまいました。なのに神社に着いたらリスが餌付けされていて(餌を与えないようにと書いてあるのに...),たくさん寄って来ます。これが噂のタイワンリスでしょうかね。日本本来のニホンリスは,関東ではだいぶ少なくなっているらしいです。で,佐助稲荷の云われですが,佐殿(源頼朝)を助けたので「佐助」だそうです。朱塗りの鳥居がたくさん立ち並んでいます。リスの写真を撮ろうとする子供たちの姿が印象に残りました。もちろん僕も撮りました(10分近くねばってしまった)。けっこうリスってでかいよな。しっぽを入れると20cm近くになる。ハムスターぐらいかなと勘違いしてました。


佐助稲荷

タイワンリス?が8匹ほど

さて,ここで12時を過ぎました。ここから先は『QED』とは離れて,自由に動くことにしましょう。そろそろお昼が食べたくなる頃ですが,時間が足りなそうなので我慢しましょう。まだ予定の1/3までしか来ていません。どうやら全部は無理そうですねえ。せっかく山から降りたのですが,再び源氏山へと登ります。ただし山頂へは行かずに化粧(けわい)坂切通しへと向かいます。(続く)

→ 鎌倉探訪:その2