鎌倉探訪-3

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鶴岡八幡宮

後半?のハイライトはもちろん鶴岡八幡宮ですが,その前にもう一つだけ切通しに寄りましょう(そう言って無理をするから足が...)。

巨福呂坂切通し

「こぶくろざか」と呼びます。今回来て始めて分かったのですが,通行止めです。観光名所ではありません。ちょっと残念。


巨福呂坂切通し(跡)

鶴岡八幡宮

日本三代八幡宮の一つ・鶴岡(つるがおか)八幡宮です。社格は国幣中社。八幡宮というのは弓矢の神様で,源氏の氏神でもあります。正月なので,初詣客でとても賑わっていました。ものすごい人の数です。途中,十井の一つ・鉄(くろがね)の井の横を通ります。境内南端の三の鳥居から南へ向かう道路には,中央に一段高くなった参道(段葛)があります。鳥居を入った所から,すぐに初詣客の列が並んでいます。これは時間がかかりそう,ということで遠くからお参りをして後は省略(またいつかゆっくり訪れましょう)。列に並ばないと参拝はできませんが,横から本宮を眺めることができます。本宮の前には石段があり,その横には大きな銀杏の木が。源実朝を暗殺する前に公暁(源頼家の子)が隠れていたと言われる大木です。森の中にある長い石段をイメージしていましたが,実は短かったのですね。これだったら警備しやすいように思えるのですが。頼朝を祭る白旗神社は修理中でした。三の鳥居横にある源氏池には弁天様が祭られています。


八幡宮の南西に残る鉄の井

段葛からみる三の鳥居

本宮と石段,左に銀杏の木

源氏池の島にある弁天堂

白旗神社・源頼朝の墓

鶴岡八幡宮から少し東に行った辺りが,源氏三代にわたって幕府(大倉幕府)が置かれた場所です。実朝暗殺後は移転したようですね。ここにも白旗神社があります。こちらは“勝負の神様”として知られているようですね。横の長い石段を上がると源頼朝の墓があります。八幡宮と違って初詣客も多くはなく,ちょっと寂しい風景です。鎌倉幕府を開いた人の墓としてはちょっと意外ですね。実権を握った北条氏にとっては,もうそれほど重要な人物ではなくなっていたのかもしれません。


白旗神社

源頼朝の墓

二階堂

さらに東に進みと二階堂です。鎌倉幕府の執政官・二階堂氏の屋敷があったのはこの辺りでしょうか。途中には大江広元の墓もありますが,階段を登らなくては行けないので,通り過ぎます。

荏柄天神社

荏柄(えがら)天神社は日本三大天神の一つで,学問の神様・菅原道真を祀っています。受験シーズンを控え,高校生らしい若い人達が多く初詣に来ていました。ここら辺の神社はみな山の中腹に建っています。それにしてもまた石段ですか。などと余計な事を思ったのが悪かったか,おみくじをひいたら末吉でした。境内には河童塚という塚もあるらしいのですが,探すのをうっかり忘れていました。


浄光明寺入口

泉の井

鎌倉宮(大塔宮)

足を引きずりつつ,鎌倉宮へ。後醍醐天皇の皇子である大塔宮・護良親王を祀っています。護良親王は建武の新政では征夷大将軍に任じられましたが,新政府内での勢力争いに敗れ,鎌倉に流された後に暗殺されました。親王が幽閉されていた土牢の跡に,明治になって設けられたのがこの鎌倉宮です(明治以前は東光寺という寺があった)。もう夕方(16:20)なのですが,まだ初詣客で賑わっています。境内の奥にはまだ土牢跡が残っているらしいのですが,残念ながら拝観時間が終わってしまい,入れませんでした。


大鳥居と参道

本殿

護良親王の墓

親王の墓は鎌倉宮から10分ほど歩いた所にあります。元はお寺もあったようですが,今は墓だけが残されています。付近には特に案内板などがなく(鎌倉宮にもありませんでした),なかなか見つけるのが難しかったです。夕方ということもありますが,僕以外には誰も人がいませんでした。100段以上もある階段をゆっくりゆっくりと登ります。皇族の墓ですので,あまり近くまでは入れません。10mほどの所からお参りをしました。帰りは途中で足が動かなくなったため,5分ほど階段に座りこんでしまいました。


苔むした石段が続く

護良親王の墓

最初の予定では,鎌倉五山第五位の浄妙寺まで足を伸ばす予定だったのですが,もう暗くなったは足が痛いはで,今回は残念ながら無理でした。鎌倉宮まで戻って,バスで鎌倉駅に向かいます。とてもじゃないけど歩いてなんて行けません。

江ノ電沿線

江ノ島電鉄

鎌倉駅西口より江ノ島電鉄(愛称・江ノ電)に乗ります。初詣客が帰るため,電車は混みまくりです。ずっと立ってました。江ノ電の車両は小さくて路面電車みたいですが,しっかり4両編成です。明るいうちに乗ると車窓の風景が面白いはずですが,まだ5時だというのにもう外は真っ暗です。

御霊神社

10分ほど走った長谷駅で,よせばいいのに途中下車。御霊神社に寄ってみます。後三年の役(1083-85年)で武名を上げた鎌倉景政を祀ってあります。本来は鎌倉氏の一族である五家の祖霊を祀ったので「五霊」神社だったのが,いつのまにか「御霊」になったそうです。真っ暗で何も見えませんが,境内のどこかに福禄寿もあるはずです。


境内(手前は江ノ電の踏切)

社殿

もう少し足を伸ばせば長谷寺や鎌倉大仏もありますが,そんな気力は残っていません。

帰宅

長谷駅に戻り,再び江ノ電で江ノ島駅へ。またもや座れません。痛い足をひきずりながら小田急の片瀬江ノ島駅へ。とても歩くのがきついです。左膝の関節に痛みが走り,膝を曲げることができません。小田急の急行を乗り継いで,新宿まで何とかたどり着きました。


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