支那での蛮行


南京大虐殺 纏まりは無いが(投稿から) 「百人斬り?」投稿から



南京大虐殺

 日中戦争で南京が占領された一九三七年一二月前後に南京城内外で、日本軍が中
国軍の投降兵・捕虜及び一般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦など
の非行を加えたとされる事件。
纏まりは無いが、色々と・・・

 昭和三十年代に成ると戦中の暗い過去に触れるものが出る様に成りました。NH
Kの戦争回顧ものでは南方戦線での、今ならば放送出来無い樣なものも大っぴらに
流されて居ました。
 大衆向け読み物では外地での事も出る樣に成り、慰安婦や逸脱行為を詳述する内
容も珍しくは無かった。進駐軍の汚点に関して余り目に触れる事が少なかったのは、
矢張り遠慮と云うか圧力があったと思います。

 昭和晩期に成っても、酒席で支那での強姦や愚行を懐かしげに話す困った爺さん
達が何処にでも居り、周囲の顰蹙を集めていました。戦勝国側も一、二枚の紙上で
は表せないくらいの非道があった事は、改めて書く程でも無いでしょう。

 所謂、保守及び保守と呼ばれたい人達が言うところの「自虐派」ですが、果たし
てその樣な人達が居るのでしょうか?自虐を好むだなんて、稀有な一群を除いて存
在するか疑問です。

 私の觀るところでは保守派の言う自虐派とは、保守の言動に盲目的に反対する者、
或いは「痛い所を掴む人」の事と理解して居ます。早い話しが自虐派とは議論の為
の議論をする人達でもあり、論では立ち向かえぬ場合の、保守信仰者の捨て台詞で
もあろうかと考えます。此の辺は如何なのでしょうか?

 如何も我が国が敗戰國だと云う認識の薄い見解もありますが、日本は戦争に負け
たのです。勝てば官軍とは良く言ったもので、戦争に負けると斯様な事態に成ると
云う、貴重な体験を我々はして居る訳です。
 正義と平等は戦勝国、強国がその基準を決めるものと云う面もあります。国連に
於ける五大国の権限や核兵器等々、強者の理論や勝者の理論は其の辺に捨てる程あ
ります。

 教科書問題にしても外交にしても、我々が内政干渉だの自国は如何なのかと言っ
てもやめはしません。理屈に適わなくとも、こうすれば日本が譲歩する、或いは牽
制効果がある事を支那や南北朝鮮、其の他国々は味をしめて仕舞ったのです。逆手
を取ったとしても、是等国々には何等痛痒も感じさせず、逆捩じを食らって仕舞う
事でしょう。

 南京にしても戰時の事情や戦時国際公法を説いても、平和な現代では「無抵抗者
を殺したのは悪い」云う意見は国内から出て参ります。是は私も自認するところで
すが、憲法九条と云う極めて分かり易い問題一つ取り上げても国内での反対意見を
説得出来ぬのに、先の大戦に於ける諸問題を現代に「正しく」認識させるのは大仕
事です。

 戦争は綺麗事では無いでしょう。何処の国でも色々と遣りました。右でも左でも
極論や感情論を、恰も正論であるかの如くに振り翳すのは戴けません。何処かで見
オシエンチム(アウシュビッツ)収容所不存在説や、皇軍無謬論とかは、極めて
分かり易かったです。

「百人斬りは何故、叩かれるのか?」過去の投稿から

 日中戦争時の「百人斬り論争」をほんの少し齧って、保守と云われる連中は本当
に我田引水的な論理を為すものだと思った。裁判では昔から「自白は証拠の王」と
言われるのに、軍民挙ってあの樣な報道を為して置きながら、法廷では事実無根と
言っても無理な話しだ。

 連中が「自虐派」と呼ぶ者達の無知を笑う前に、当時の報道に対する心底からの
反省が無ければ、到底に一般の理解は得られない。常識では報道を容認、若しくは
黙認する事は事実として認めた事であり、将来の裁判への証拠を自ら作った事とさ
れる。

 成る程、裁判は戰勝国主導であるし、種々の不備はあったと思う。しかし、其の
理屈の前に「勝てば官軍」論理があり、これが世の常である限りは「引かれ者の小
唄」としか言えない。是が私の言うところの因果応報であり、其れ等を受け止めた
上で改めて史実を争えば良い。

向井、野田の両将校に斬殺の事実が無ければ、軍部黙認の犠牲者であろうし、事
実ならば本当の因果応報である。彼の報道が真実か虚報か、軍部と軍人、報道の関
与の度合いや力関係を再検証する。結果として両将校の名誉が回復出来れば、其の
様に主張すれば良いし、事実だとすれば口を噤むなり、非を認めれば良いでしょう。
 只管に百人斬り虚報説を唱え、反論派を詰るのみでは、広く一般の理解は得られ
まい。既述したが、関東軍特別演習等の「Kい部分」が我が国にもあり、闇雲に正
当性を叫ぶばかりで恥部をひた隠すのでは反発を生ずるばかりです。