靖国神社、政教分離

始めに
 戦後に於ける靖国神社の位置付け及び性格には保革で認識の差が大きい
のですが、本来はどの様に扱われていたかが下記の「尋常小学修身書」か
ら覗い知れます。資料は大正9年のものですが、終戦まではこの資料から読
み取れる侭の「靖国神社」であったと考えられます。

尋常小学修身書 靖国神社の存続 大嘗の祭
「神の国」発言に抗議 総理の靖国神社参拝に反対 大嘗祭
靖国とマスコミ 靖国もどきは要らない
「第三 靖国神社」 (原文)

靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社には君のため国のために死んだ
人々をまつつてあります。春〔四月三十日〕と秋〔十月二十三日〕の祭日には、
勅使をつかはされ、臨時大祭には天皇・皇后両陛下の行幸啓になることもござい
ます。
君のため国のためにつくした人々をかやうに社にまつり、又ていねいなお祭をす
るのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御め
ぐみの深いことを思ひ、こゝにまつつてある人々にならつて、君のため国のため
につくさなければなりません。
上記の現代訳(南 燎原)

 靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社には天皇の為、国の為に死んだ
人々を祀ってあります。春〔四月三十日〕と秋〔十月二十三日〕の祭日には、勅使
を遣わされ、臨時大祭には天皇・皇后両陛下の行幸啓になる事もございます。

 天皇の為、国の為に尽した人々を斯様に社に祀り、又丁寧なお祭をするのは天皇
陛下の思し召しによるのでございます。わたくしどもは陛下の御惠みの深いことを
思い、こゝに祀ってある人々に倣って、天皇の為、国の為に尽さなければなりませ
ん。
靖国神社の存続

大嘗の祭

「集侍はれる神主・祝部等、諸聞しめせ」と宣る。
「高天の原に神留ります、皇睦神ろき・神ろみの命もちて、天つ社・
国つ社と敷きませる、皇神等の前に白さく、今年十一月の中の卯の日に、
天つ御食の長御食の遠御食と、皇御孫の命の大嘗聞しめさむための故に、
皇神等あひうづのひまつりて、堅磐に常磐に斎ひまつり、茂し御世に幸
はへまつらむによりてし、千秋の五百秋に平らけく安らけく聞しめして、
豊の明りに明りまさむ皇御孫の命のうづの幣帛を、明るたへ・照るたへ・
和たへ・荒たへに備へまつりて、朝日の豊栄登りに称辞竟へまつらくを、
諸聞しめせ」と宣る。

「事別きて、忌部の弱肩に太襁取り挂けて、持ち斎はり仕へまつれる幣
帛を、神主・祝部等請けたまはりて、事落ちず捧げ持ちて奉れ」と宣る。


大嘗(オオニエ)の祭 振り仮名付き

「集侍(ウゴナ)はれる神主(カムヌシ)・祝部(ハフリ)等、諸(モロモロ)
聞(キコ)しめせ」と宣(ノ)る。
「高天(タカマ)の原に神留(カムヅマ)ります、皇睦(スメムツ)神ろき・
神ろみの命もちて、天(アマ)つ社(ヤシロ)・国つ社と敷(シ)きませる、
皇神等(スメガミタチ)の前に白さく、今年十一月(シモツキ)の中の卯(ウ)
の日に、天つ御食(ミケ)の長御食(ナガミケ)の遠御食(トオミケ)と、
皇御孫(スメミマ)の命の大嘗(オオニエ)聞しめさむための故に、皇神等
あひうづのひまつりて、堅磐(カキワ)に常磐(トキワ)に斎(イワ)ひま
つり、茂(イカ)し御世に幸(サキ)はへまつらむによりてし、千秋(チアキ)
の五百秋(イオアキ)に平らけく安らけく聞しめして、豊の明(アカ)りに明
りまさむ皇御孫の命のうづの幣帛(ミテグラ)を、明るたへ・照るたへ・和
(ニギ)たへ・荒たへに備へまつりて、朝日の豊栄(トヨサカ)登りに称辞
(タタエゴト)竟(オ)へまつらくを、諸聞しめせ」と宣る。

「事別(ワ)きて、忌部(イミベ)の弱肩(ヨワカタ)に太襁(フトダスキ)
取り挂(カ)けて、持ち斎(ユマ)はり仕へまつれる幣帛を、神主・祝部等請
けたまはりて、事落ちず捧げ持ちて奉(タテマツ)れ」と宣(ノ)る。

下記の抗議文を内閣総理大臣宛に送付しましたので、ご報告いたします。
              
本カトリック正義と平和協議会


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内閣総理大臣 森 嘉朗 様         2000年5月17日


「神の国」発言に抗議し、撤回を求めます。

 総理は15日、都内で開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の会合で挨拶し、
「日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるということを国民の
皆さんにしっかりと承知していただく」と述べました。総理のこの発言は国
民主権、政教分離の原則を定めた日本国憲法を否定するものであり、これは
皇国史観に基づく大日本帝国憲法そのものです。私たちは総理の「神の国」
発言に断固抗議し、単なる言い訳ではなく、撤回を求めます。


日本カトリック正義と平和協議会
事務局長 木邨健三

総理大臣の靖国神社参拝に対する反対表明

内閣総理大臣
小泉純一郎 様

2001年6月29日
日本カトリック正義と平和協議会
会長  松浦悟郎司教


総理大臣の靖国神社参拝に対する反対表明

 総理大臣は8月15日の敗戦記念日に、靖国神社参拝の意向を明言しておられま
すが、私たちはこのことに強く反対します。もちろん、戦争によって、尊いいの
ちを落とされた方々を追悼し、その方々や御遺族のために祈ることは、人間とし
て当然のことと考えております。しかし、日本を代表する総理大臣が靖国神社に
参拝することは、それと全く意味を異にします。

 靖国神社がかつての戦争において、戦没者を英霊として祀るということを通し
て戦死を美化し、国民に戦争を肯定させる中心的役割を果たしてきたことは、周
知の事実です。その反省から政教分離の原則を定め、二度と同じ過ちを犯さない
ようこれまで歩んできたのではなかったのでしょうか。総理大臣による靖国神社
参拝は、その歩みを再び「いつか来た道」に戻すほどの意味を持つ重大な過ちと
言えます。

 私たちは日本帝国軍隊によって侵略され、無惨にも殺されたアジア・太平洋地
域の人々のことを忘れることはできません。またその遺族は、自分たちの肉親を
殺した人が神として合祀されている場所に日本の総理大臣が参拝することを、ど
のような思いをもって見るのでしょうか。更に、これまでアジアの人々との和解
のために努力を重ねてきた全ての人々にも大きな失望を与えるものでもあります。
 
 憲法上では以下の点について問題であると私たちは考えています。
憲法20条では、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もして
はならない」と言われます。総理大臣が靖国神社に参拝することは、この国の宗
教活動の禁止条項に明らかに反することになります。

 さらに憲法89条では[公の財産の支出叉は利用の制限]が述べられています。
玉串料については憲法違反であるという最高裁判例も出ています。総理大臣の靖
国神社参拝により、これらの定めに違反することがあるのではないかと懸念して
います。

 「靖国神社は日本の伝統的習俗である」と主張する人がいますが、霊を祀り、
霊を慰める儀式は宗教にしかないものです。戦没者の霊を神として祀る靖国神社
は、神社神道という宗教以外のなにものでもありません。現に靖国神社は宗教法
人として存在しているのですから、間違いなくひとつの宗教です。

 さらに、ひとつの宗教を法律によって宗教でないとするやり方は、思想や信条
の問題を法律によって左右する危険な道につながります。また、国家が信仰の世
界に介入し、人の霊の中の、ある霊をすぐれた霊、英霊として決定する権利は不
当なものです。これも憲法20条によって保証されている信教の自由を脅かすも
のです。

 最後に憲法99条には憲法尊重擁護の義務として、「天皇又は摂政及び国務大臣、
国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」、
と明記されています。したがって、総理大臣はこの憲法を遵守しなければなりま
せん。これを遵守しないことは、明らかに憲法違反となります。

 私たちは、総理大臣が靖国神社ではない他の場所で、日本人だけでなく、第二
次大戦でいのちを落とされた名もない戦没者のため、さらにアジア・太平洋地域
のすべての犠牲者のために心から祈り、平和への決意を新たにすることをむしろ
提案します。そのことこそ日本に課せられた償いのひとつであり、同時に21世
紀における世界の平和を築くためにまず必要なことだからです。

 私たちはアジアの人々と和解し、大切な友人としての関係を築きたいと心から
願っています。一人ひとりの信仰、思想、信条の自由が尊重される平和な社会を
つくりたいと望んでいます。だからこそ総理大臣の靖国神社参拝に私たちは強く
反対し、その断念を要請します。

以上
大嘗祭

天皇が即位後、初めて行う新嘗祭。その年の新穀を献じて自ら天照大神
および天神地祇を祀る、一代一度の大祭。祭場を二ヵ所に設け、東(左)
を悠紀、西(右)を主基といい、神に供える新穀はあらかじめ卜定した
国郡から奉らせ、当日、天皇は先ず悠紀殿、次に主基殿で、神事を行う。

おおなめまつり。おおにえまつり。おおんべのまつり。
ぼく‐じょう【卜定】
靖国もどきは要らない
2002年12月16日

 福田官房長官の私的諮問機関である「追悼・平和祈念のための記念碑等施設
の在り方を考える懇談会」(座長・今井敬新日鉄会長)の報告書が出た。論争
の的に成り勝ちな、靖国神社に代わる施設つくりを目指すものだそうだ。千鳥
ケ淵戦没者墓苑を整備・充実させれば良いと思うが、報告案を読む限りでは靖
国擬きを作りたい様だ。尚、この案には日本遺族会会長の古賀誠前自民党幹事
長等を中心に反対意見が強い。首相自身も来年の靖国参拝を明言している等、
実を結ぶか否か極めて疑わしい。

 報告書案では追悼対象を明治維新以降の戦争に始まり、将来の「戦争」も含
んだ国際平和協力活動での死没者と云う。細かくは戦死した将兵、空襲など戦
争に関連して亡くなった民間人、外国の将兵や民間人も含まれる。A級戦犯の
扱いは明記せず、「具体的な個々の人間が追悼の対象に含まれているか否かを
間う性格のものではない」している。「追悼施設は個々の死没者を慰霊・顕彰
するための施設ではない」として、靖国とは趣旨、目的が全く異なる」と強調
する。

 無宗教が前提の施設と主張するが、何故に千鳥ケ淵では駄目なのか。追悼対
象にしても、内容は殆ど靖国と重複するものではないか。そうすると完成以降
に万一殉職自衛官が出た場合、靖国には祭らずに新施設に収めるのか?靖国に
も新施設にも祭るとすれば、随分と可笑しな話に成って仕舞う。靖国には今後
一切祭らないならば、これはまた其の方面からの圧力が凄まじいだろう。実に
半端な考えをするものだ。続報があれば、再度批判したい。

 殉職自衛官を強制的に合祀した件での訴訟、南鮮人を勝手に合祀した件でも
裁判が起こされた。遺族が拒むのならば、取り下げて遣れば良いではないか。
国会議員が「皆で靖国神社へ参拝する会」を組織しているが、この様なものを
創って恥ずかしくは無いのか。心があるならば黙って参れば良い。
境内で反対運動を展開する者も、それに罵声を浴びせたり暴力を加える者も、
宗教心などはありはしない。千鳥ケ淵戦没者墓苑だけで良い。