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会の活動日誌と写真紹介(2009年の活動)


会の活動日誌(2009年1月から)

写真紹介
2009年


12月15日(火)



普天間基地はいらない 新基地建設を許さない12・15緊急集会に参加しました

 12月15日に、星陵会館ホールで、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない12・15緊急集会」が開催されました。この日、鳩山政権が、「普天間基地の移転先の決定は、先送りする」と発表したことを受けて、労働者や市民650人が参加し、盛り上がりました。
 沖縄からかけつけた諸団体の代表や国会議員らが「辺野古への新基地建設を許さず、普天間基地の即時撤去を、私たちの力で実現しよう」と呼びかけました。最後に主催者代表が、「来年1月30日に日比谷野外音楽堂で、一万人規模の集会を実現しよう」と提起し、参加者は力強い拍手で応えました。
12月15日(火)
東京・星陵会館

11月15日(日)



9条フェスタ2009参加企画
講演と討論の集い「政権交代」のもとで 反戦・反基地運動をどう進めるかを開催しました


 11月15日、大田区産業プラザPiOで、「9条フェスタ2009」の参加企画として「講演と討論の集い 『政権交代』のもとで 反戦・反基地運動をどう進めるか」を開催し、労働者・市民80人が参加しました。
 集会では、はじめに新たに当会共同代表に就いた古川路明さん(名古屋大学名誉教授)が主催者を代表してあいさつしました。橋本勝さん(イラストレーター)は憲法絵本最新作の読み聞かせをおこないました。
 つづいて大波修二さん(厚木爆音防止期成同盟書記長、原子力空母の母港化に反対し基地のない神奈川をめざす県央共闘会議代表)が「民主党政権下の米軍再編を問う―新基地建設を許さないために―」と題して講演しました。大波さんは、「鳩山政権になっても、神奈川県の米軍基地の現実は少しも改善されていない」「反戦・反基地運動を粘り強くつくりだそう」と呼びかけました。
 講演のあと、質疑応答や意見表明が活発におこなわれました。
11月15日(日)
東京・大田区産業プラザPiO

11月3日(火)


「反戦の輪」第24号(9条フェスタ2009参加企画「講演と討論の集い―『政権交代』のもとで反戦・反基地運動をどう進めるか―大いに討論しよう」を発行しました
「反戦の輪」第24号表紙

10月29日(木)



派遣法改正まったなし 10・29日比谷大集会に参加しました

 10月29日に、日比谷野外音楽堂で、「派遣法の抜本的改正をめざす」集会が開催されました。これは、労働組合や市民団体、弁護士などで構成する「労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動」が主催して開催されたもので、「派遣切り」への怒りに燃えた2500人の労働者・市民が参加しました。
 全国ユニオンの鴨桃代委員長が主催者を代表してあいさつし、「労政審(厚生労働省の諮問機関・労働政策審議会)の議論が始まったが、公益委員も『(抜本改正は)職業選択の自由を奪う』と主張するなど後退発言があいついでいる。許せない。このままでは抜本改正が後退・見送りになるかもしれない」と強い危機感と怒りをあらわにし、「派遣法の抜本改正をなんとしても実現しよう」と呼びかけました。
 日雇い派遣労働者の一人が「不況で仕事が減って月1〜2回しか働けず、時給は900円に下げられて生活できない。派遣はもうやりたくない」と訴え、昨年以上に困難な状況にたちいたっていることを明らかにしました。
 集会後、参加者は衆議院・参議院に向けてデモ行進し、「労働者派遣法の抜本的改正」を強くアピールしました。
10月29日(木)
東京・日比谷野外音楽堂

10月22日(木)


普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設の断念を求める緊急集会に参加しました
 
 10月22日、星陵会館で、「基地の県内移設に反対する沖縄県民会議」の主催で、緊急集会が開催されました。この集会は、9月18日の県民集会で採択された決議を手渡すために沖縄から代表団が上京したのに合わせて開催されました。アメリカのゲーツ国防長官が来日し、「普天間基地の返還は、あくまで2006年の米軍再編のロードマップに基づき辺野古に新基地を建設することが前提である」と鳩山政権にゴリ押ししたことに、危機感と怒りに燃えた労働者・市民450人が参加しました。
 山城博治さん(県民会議事務局長・沖縄県平和運動センター事務局長)は、「11月8日には、数万人規模の県民大会を開催して、来日するオバマ大統領に県民の不動の決意を伝えていきたい」と、呼びかけました。つづいて地元の自治体議員や国会議員らが発言し、本土沖縄一体となってたたかうことを誓い合いました。
10月22日(木)
東京・星陵会館

10月11日(日)


「政権交代」では変わらない! 許すな戦争と貧困強制を 10・11怒りの大集会が大成功しました

 2009年10月11日に、練馬文化センター大ホールで、当会の共同代表をはじめ10人の方々が呼びかけ発起人となって、〈10・11怒りの大集会〉が開催されました。
 自民党政権が崩壊し、民主党中心の連立政権が成立した今、いかに反戦・平和や貧困強制反対の運動を推し進めていくか、1020人が参加して熱気あふれる活発な討論をくりひろげました。



10月11日(日)
東京・練馬文化センター大ホール

9月26日(土)



原子力空母G・ワシントン横須賀基地母港化一周年抗議・原子力空母配備撤回を求める9・26全国集会に参加しました

  9月26日午後、横須賀市ヴェルニー公園で、平和フォーラムなどが主催して開催された集会に、3500人の労働者・市民・学生が参加しました。
 参加者たちは、反対の声を踏みにじって昨年配備された原子力空母G・ワシントンが、横須賀基地を対中国・対ロシアの出撃基地として強化してきていることに対して、怒りの声をあげました。
 集会後は、市内の目抜き通りをデモ行進し、危険な原子力空母の撤去を強く訴えました。米軍横須賀基地正面ゲート前では、「原子力空母配備撤回」「日米安保の強化反対」「ミサイル防衛(MD)システムの配備反対」などのシュプレヒコールをあげました。
9月26日(土)
米軍横須賀基地正面ゲート前

9月25日(金)


当会共同代表の土屋公献氏が逝去されました

戦争を許さない市民の会・共同代表の土屋公献氏が、9月25日午前7時50分に、腎がんのために逝去されました(享年86才)。

余生をばどう生きようと勝手なり ならば平和へ生命捧げん

 土屋先生は、「対テロ戦争」を標榜したアメリカ・ブッシュ政権の侵略戦争と、これに付き従って自民党政府が日本を再び「戦争をする国」にすることを阻止するために、2001年秋に当会〔「報復戦争に反対する会」のちに「戦争を許さない市民の会」と名称変更〕が発足して以来、当会の共同代表のお一人として、今日まで力を尽くしてこられました。余命3カ月と診断されてから4年にわたって、先生は病躯をおして亡くなる直前まで、会の大黒柱として私たちを励まし引っ張ってきてくださいました。先生の詠まれた歌にあるように、まさしく平和へ生命を捧げられた生涯でした。残された私たちが、深い悲しみをのりこえ、先生のご遺志を受け継ぎ、反戦・平和を実現するために全力を傾けて頑張る決意です。土屋先生、安らかにお眠り下さい。


【土屋公献先生の当会での主な足跡】 

2001年10月7日  9・11事件直後の緊急大集会で「アメリカの報復戦争に反対する」と訴える(日比谷公会堂)
2001年10月下旬  「報復戦争に反対する会」の共同代表に就任(弓削達氏、森井眞氏、池田龍雄氏とともに) 
2003年3月29日 講演「国際法を蹂躙するアメリカのイラク侵略に反対する」(『ジャキューズ』2号に掲載)
2003年 6月 1日 「イラクでの殺戮と破壊はアメリカの残虐と愚劣を見せつけた」(怒りの大集会で挨拶)
2003年10月12日 「『北朝鮮脅威』の流言飛語に惑わされてはならない」(怒りの大集会で挨拶)
2005年3月20日 「『テロ』=悪として戦争を起こすのは間違い」と訴える(日比谷野外音楽堂)
2006年 2月 5日 「共謀罪は治安維持法の再来だ」と導入反対を訴える(『ジャキューズ』8号に掲載)
2007年 4月 6 日 早大での新入生歓迎講演で「沈黙は大罪」と呼びかける(『ジャキューズ』9号に掲載)  
2007年 5月 3日 憲法集会で「憲法九条二項の改悪は断じて許さない」と挨拶(日比谷公会堂前)
2008年12月3日 「10・13怒りの大集会」への公安警察の妨害にたいして国賠請求訴訟を原告として提訴
2009年9月25日 永眠

故土屋公献先生

5月31日(日)


「許すな戦争と貧困強制を 麻生政権をうちたおせ 5・31怒りの大集会」が大成功しました

 当会の共同代表をはじめ11人の方々が呼びかけ発起人となって、5月31日に、東京・なかのZERO大ホールにおいて、「許すな戦争と貧困強制を 麻生政権をうちたおせ 5・31怒りの大集会」が開催されました。
 政権崩壊寸前であるにもかかわらず、戦争と貧困強制をつづける麻生政権をすみやかにうちたおす決意に燃えて、1050人の労働者・市民・学生が集まりました。大波修二さんによる反基地運動の現場からのリアルな報告や問題提起と、活発な討論をつうじて参加者はたたかう決意をうち固めました。
5月31日(日)
東京 なかのZERO大ホール
5月3日(日)

5・3憲法集会に参加しました

 5月3日に日比谷公会堂で開かれた憲法集会に4200人が参加しました。
 集会では、落合恵子(作家)さんや益川敏英(京都産業大学教授、ノーベル物理学賞受賞者)さんらが憲法改悪を許さない熱い決意を述べました。
 戦争を許さない市民の会は、デモ出発に先立ち独自の集会を開催しました。古川路明さんらがあいさつし、反戦平和の意思をアピールしました。橋本勝さん(イラストレーター)は憲法絵本の読み聞かせをおこないました。
 集会後に、銀座・東京駅前を通って常盤橋公園までデモ行進しました。
5月3日(日)
内幸町交差点をデモ行進
4月23日(木)


「反戦の輪」第23(〈戦争と貧困強制〉の悪政をつづける麻生政権を打ち倒そうを発行しました
「反戦の輪」第23号表紙

3月11日(水)



「グアム移転協定」の成立を許すな!
辺野古への基地建設を断念せよ! 3・11集会に参加しました

 麻生政権は、オバマ政権との間でグアムに米軍基地を建設する費用を日本側が負担する「海兵隊のグアム移転協定」を結びました。移転費用として日本側が約6100億円支出するとともに、普天間基地の代替施設として辺野古への新基地建設を義務づけるものです。「沖縄の負担軽減」などまったく欺瞞的なものでしかないこの協定の国会批准を阻止するために、3月11日に星陵会館で、辺野古への基地建設を許さない実行委員会が主催して集会が開催されました。
 集会には、辺野古基地建設断念決議を可決した沖縄県議会の代表や辺野古基地建設反対運動をとりくむ沖縄現地の代表やこれに連帯してたたかう労働者・市民が参加しました。
3月11日(水)
星陵会館

3月5日(木)


ソマリア沖への自衛隊派遣に反対する3・5院内集会に参加しました

 麻生政権が自衛隊のソマリア派遣を3月14日にも強行しようとしているなか、3月5日に参議院議員会館で院内集会が開催され、160人が参加しました。
 「東京新聞」編集委員の半田滋さんが講演し、「今回の自衛隊ソマリア派遣は、政府が勝手に決め、『文民統制』がまったくきかないかたちでやられている」と厳しく批判し、「海賊対策」を名分にした海外派兵新法制定の危険性を訴えました。参加者は「派兵反対、新法制定阻止」の決意を固めました。
3月5日(木)
参議院議員会館

2月23日(月)


2008年「10・13怒りの大集会」への集会妨害に対する
国家賠償請求訴訟第1回裁判ならびに裁判報告会が開かれました

 当会共同代表の土屋公献さんと森井眞さんら4名が原告となって、公安警察による「10・13怒りの大集会」での参加者への威圧や盗撮という集会妨害にたいして、東京都を相手取っておこした国家賠償請求訴訟の第1回裁判が、2月23日に東京地裁で開かれました。
 第1回裁判の直前に、被告・東京都(=警視庁)は、警察官が集会参加者を盗撮していたことを自認したのです。
 裁判では、原告の意見陳述で森井眞氏は「日本の民主主義、世界の平和のためにも、公安警察の集会妨害にたいして絶対に譲歩してはならない」とこの裁判をたたかう決意をあきらかにしました。また弁護団長の矢澤f治さんは「集会の自由と表現の自由にかかる司法判断が歴史的な意義を有する」と述べ、憲法21条の「集会の自由」を守るためのこの裁判の意義を格調高く述べました。
 裁判終了後に弁護士会館会議室で「支援する会」が主催する裁判報告会が開かれ、共同代表をはじめ60人余が参加し、この裁判に勝利する決意をともに固めました。

(詳しくは、支援する会ニュース(2009年3月3日)
へ)
2月23日(月)
弁護士会館

1月18日(日)


「ガザ攻撃に抗議する」講演集会
に参加しました

 世界中でわきあがる抗議の声を無視して、イスラエルがガザに侵略しパレスチナ人民の大虐殺を強行している中、緊急の抗議集会が1月18日、ラパスホール(東京・豊島区)で開催され約300人が参加しました。
 映画「レインボー」が上映された後、現代アラブ文学研究者の岡真理さん(京都大学准教授)が講演し、「現に今、殺され、傷つけられているパレスチナの人々に思いをはせて、私たちにできることをやって下さい」と切々と訴えました。
1月18日(日)
ラパスホール
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