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5
 大学の敷地内から出てすぐ、偉王は一人で帰ろうとするアリサにこう言った。
 「なぁアリサ、飯食いに行かねぇか?」
 アリサの寮はそれほど離れてはいないが、夜ということもある。
 たとえ短距離であっても、人目をはばからなくなった夜道を一人で帰すのはとても心配で、偉王は送って帰りたかった。
 だがそれを面と向かって言えない彼であり、そのための理由付けであった。
 であるから、始めはそんな二人に気を利かせて寮に帰ろうとした剣児だった。
 しかし生来の野次馬根性が、それを許すはずはない。
 「駄目だ、右足。ああ左足っ、まさか君もか?」
 アリサを裏切る様に、剣児の足は結構スムーズに前に進んでしまう。
 「どうしたんだ、剣児?」
 だが偉王は、剣児が一緒であっても全く気にしない。
 (やはりここは僕が気を利かせないと……ああっ!)
 剣児の苦悩をよそに、大学を出て10分程歩いただろうか。
 やがて一軒の日本料理屋、には違いない居酒屋『登美子(とみこ)』に到着した。
 「偉王……」
 剣児は絶句した。
 女性愛好家の彼の目が「食事に誘うならもう少し気を利かせろ」と言わんばかりに偉王を非難した。
 まぁ自分は気を利かせなかったし、ある程度予想はしていた展開だったが。
 そんな時だった。
 アリサが偉王の袖をグイッと引っ張った。
 偉王は後ろのアリサに振り返る。
 「どうした?」
 そして偉王は、あることに気付いた。
 アリサの視線の先に、軍服に身を包んだダンディズムなおじさんが立っている。
 見覚えがある顔だ。
 そう、確か先程まで見ていた顔である。
 「……剣児?」
 だが念の為、偉王は剣児に尋ねてみた。
 「こ、校長!」
 そして剣児は似合わぬ驚愕の様相で、偉王に返答してくれた。やはり偉王は正しかったようだった。
 彼は、月面軍事教育機関第7地球連合軍・統合総司令兼士官学校長長官である。
 正式名称は異常と思えるくらい長いので、通常は「学校長」または「校長」と略して呼ばれる。
 (新入生のクラスでは、これを早口で言うのが毎年流行る)
 彼はこの月面学園都市「ダ・ビラス」で最も階級が高い軍人だ。
 また高校・大学の学校長をも兼ねているので、つまりは月面での最高権力者である。
 その人物こそが今、偉王の目の前にいる。
 彼はその立場上、表立って姿をあらわすことは無い。
 主にビジョンや写真でしかその姿を見ることは出来ないのである。
 さすがに今日は至近距離で目にしたが、偉王や剣児も実物を見るのは、これを合わせて片手の指が余るほどである。
 まして居酒屋「登美子(とみこ)」の前で目にするなど、誰が予想できようか。
 だから校長がここに居るのには偉王にとっても謎だったが、居ること自体は事実であると認識はした。
 理由として思い当たることと言えば、今日の会議の途中に退室したこと以外は全くない。と思う。多分。
 どうやらそこら辺りの考えはアリサも同じらしく、偉王を掴んだままの彼女は頭から血の気が引いていた。
 (偉王を捕まえに来た?捕まったら裁判?処刑?)
 アリサの妄想癖、もとい分析癖はそう結論づけたらしい。
 いくらなんでも、途中退室程度で捕まって、さらに処刑されてはたまらない。
 だがいつもは冷静な剣児が現在進行形で取り乱している。
 この状況がアリサの動揺に拍車を掛けたということだけは、むしろ間違い無かった。
 そして剣児の台詞(こ、校長!)から5秒間の沈黙(または妄想)、アリサは叫んだ。
 「逃げ、逃げなきゃ!」
 だがしかし。
 「ぐはっ!」
 アリサが急に手を後ろに引っ張ったので、偉王は背後で腕を極められる状態となってしまった。
 「いててて! こらアリサ、落ち着け!」
 「あ、う、うん、わわわ、わかった!えいっ!」
 そうは言ったがトランス状態のアリサである。
 今度は容赦無く逆のほうに雑巾絞りだ。
 「おい『えいっ』て何だ!『えいっ』って!」
 もはや混乱が上乗せされるだけの彼女は、トドメとばかりに偉王の腕を極めた。
 「あがががががっ!?」
 ここまで来ると普段の彼女の性格まで疑われそうだが、相手が偉王だからこうなのである。
 「どうして、校長がここに……?」
 ちなみに隣にいた剣児だが、冷静に(放心状態で)校長を見ていただけである。
 (そしてやりとりを見ている校長本人は明らかに楽しんでいる)
 「け、剣児! なんとかしてくれ!」
 「え?……ジ、ジーザスッ!?」
 我に返った剣児によって、アリサの恐怖から偉王が救われたのは、それから32秒後のことだった。

 
 やっとのことで落ち着いた生徒達。
 居酒屋の前で大声を出して、明らかに営業妨害である。
 「若い者は元気がいいな。見ていてとても楽しかったぞ」
 校長は柔らかな物腰で言った。だが声はとても渋く、そして低い。
 「しかしこうも予想通りになるとは……待っていた甲斐があったというもんだ」
 そして彼はニヒルに微笑んだ。
 「僕たちを待っていたんですか?」
 剣児はすかさず質問した。
 やはり3人の中では彼が一番立ち直りが早い。
 「秘書長が助言してくれたのさ。『彼等は居酒屋に行くはずです』とね」
 校長は軍服の上に羽織ったコートを整えながら、そう答える。
 そして葉巻を取り出すと、それを口にくわえ火をつけた。
 「ふっ……」
 ダンディズム溢れる彼だったが、意味がわからない3人はお互いの顔を見合わるだけだった。
 「彼女は優秀だ。だがさすがに行動予測までは無理だろうと思っていた。しかし……」
 そう言って校長は生徒達を見る。
 「未成年の少女が一緒という事まで的中していれば、やはり優秀としか言いようがないな」
 校長は声を殺して笑った。
 だがやはりそれも渋く、そして低い。まさしくナイスミドル万歳(?)だ。
 「勿論それは誉め言葉ですよね、長官?」
 後ろに止めてあった車のドアが開き、若い女性の声がした。
 どうやらその優秀な秘書長は、重力制御システムが搭載された最新型の運転席にいるらしかった。
 「ん、聞いていたのか秘書長?」
 「あれだけ大声なら、誰でも聞こえます」
 秘書長は車をすっと降りると、そう言いながらこちらに歩み寄ってくる。
 「弥生……さん」
 剣児がポツリと呟く。
 偉王は以前、校長と一緒に居る彼女をニュースで見たことがある。
 夜だというのにボブカットが艶やかに輝いていて、なんというか全体的なシルエットも美しかった。
 理知的に潤んだ瞳は、少し濡れた唇に激しくマッチしていた。この女性を見て偉王は言葉を失った。
 そして今、彼女自身だと確信できた。
 それは明らかにビジョンで見た女性だ、見間違うはずはないほどそのままであったからだ。
 (そうか、このオッサンはやっぱり校長なんだな)
 変なところで身元を確認する偉王だった。
 「おい、剣児の知り合いか?」
 だから偉王はそんな剣児を本気で羨ましく思った。そして頷く剣児。
 しかし何か訳ありにも見えたから、これ以上のことは聞かなかった。
 「……初めまして、偉王君」
 弥生は着ていた黒のフォーマルを整えて言う。
 ドレスよりも派手と言えそうな、その大胆なスリット。弥生の脚が覗き見える。
 (そういえば胸元もなんとなく気になる)
 偉王は弥生の仕草とその容姿に、ゴクッとつばを飲んだ。
 (これぞまさに「美人秘書」……)
 ビジョンと実際に見るのとではやはり破壊力、もとい迫力が違うなぁと偉王は感心した。
 「いてっ!」
 そのだらしない顔が原因で、アリサに腕をつねられてしまったのだが。
 秘書長の弥生は、そんなささやかな抵抗をする傍らの少女を見て、優しく微笑んだ。
 「ふふっ、アリサちゃんだったかしら? 初めまして」
 ペコリとお辞儀はしたものの、アリサはサッと偉王の後ろに隠れる。
 その反応にも微笑んだ美人秘書長は、手に持っていたハンドボックスから何やら取り出し始めた。
 後ろに居ながらもそれに気付いたアリサは、偉王に聞こえるくらいの小さな声で言う。
 「……あれ、何かな?」
 偉王はアリサの言う先を見た。だが彼にもわからなかった。
 「もしかしてあれかな? 校長先生からの贈り物」
 「妙に小さいな? ……なんだありゃ、テレフォンカードか?」
 確かに彼女の手には、その様な板が二つ在った。
 だが、カードの類にしては分厚すぎる。かといって本にしては薄すぎる。
 (アラム戦線配属記念プレートとか?)
 そこまでケチでは無いだろうが、偉王はそれとなく剣児の反応をうかがってみた。
 (さあ何だろう?)
 やはり彼も分からないらしく、偉王に首をかしげて返す。
 「校長、これを」
 校長はそんな生徒達の心情を察したのか、弥生の言葉に「そうだな」と自ら歩み出た。
 そして弥生から銀色に輝く板を受け取り、目の前の偉王と剣児にそれを渡した。
 「これは、もしかして!」
 手にして初めてそれが何かを理解した生徒たちは、互いに顔を見合わせる。
 「もちろん正真正銘の新型だが、本物の『Key』だ」
 校長が低い声でそう言う。
 秘書長の弥生はボックスからさらに文書を取り出し、穏やかな声でそれを読み上げ始めた。
 「目録。戦闘兵器『Mission Doll』コード『Infinity』。第7地球連合軍所属防衛士官大学・アラム戦線初代特別選抜生に、月面軍事教育機関第7地球連合軍・統合総司令兼士官学校長長官より各人に贈与」
 「……以上だ」
 校長が渋い声で文書に判を押す。
 3人の生徒達は、予想もしなかった贈り物への歓声を上げた。
 
 
 <戦闘兵器「Mission Doll」通称「MD」について>
 
 戦う場所を選ばない、必ず戦いに勝つ為の有人兵器の名称。
 総暦215年、地球連合軍兵器開発本部・旧スペイン領マドリードでそのプロトタイプが完成した。
 一般に「Key(キー)」と呼ばれるカードで搭乗者を認識・判別し、それが悪用されることを防いでいる。
 「MD」を説明するには、まずは地球連合軍そのものを説明する必要があると私は考える為、以下による。
 
 今より250年程前に「地球開放戦線」という組織が発足した。
 当初の彼等は、平和を願う16歳の少女「リーン」の下に集まった、世界各国の義勇兵・傭兵の集まりでしかなかった。
 2年間でアフリカ大陸における紛争を、時には協議、時には武力で次々と鎮圧。
 ついに発足から7年後には、宗教と国境を越えたこの組織の総参加者数は世界に2億5000万人とまで言われるようになった。
 そして国連において、ある国からこの「地球解放戦線」を国連軍として迎え入れる提案がなされた。
 つまり「リーン」の意思に基づく彼等が、人道的な方法で世界各地の紛争に介入することが可能になるのだ。
 しかし当時世界で主導権を握っていた経済国家群がこれに反発。
 地球開放戦線をテロ組織と称して連合を組み、一方的に宣戦を布告した。
 これに対して地球解放戦線も各国の支援を密かに受け、後に第三次世界大戦と称される戦争が幕を開けた。
 3年間に及んだこの戦争による被害者総数は、約2億2000万人にも上った。
 だがこの大半は国家群が核兵器を使用したことによる世界市民の犠牲者数であり、並びに人道的手段による戦闘活動にのみ従事した、地球開放戦線兵士の死傷者数を加えたものでもある。
 戦局は圧倒的に大国連合の方が有利であり、地球解放戦線の勢いはまさに風前の灯であった。
 しかし最終的には、大国の軍事力と核兵器をもってしても地球解放戦線に勝ち得ることは出来なかった。
 核兵器を保有することが可能でも保有せず、なおかつ専守防衛にのみ徹し追い詰められていく「リーン」と地球解放戦線兵士達に、世界市民が心を動かされたのだ。
 そして常に正義を主張していた大国連合の政権はクーデターにより崩壊し、第三次世界大戦は終戦を迎える。
 核兵器の恐怖とそれに対する憎しみ・悲しみを訴え続けた少女「リーン」も26歳、代表として国連の終戦協定に参加した。
 またこれに伴い、地球解放戦線の初期中心メンバーたる幹部7人で、新たに中枢機関を設立することが決定した。
 これは、その膨大な人材を第1支部から第7支部までの7箇所の拠点に配分するというものである。
 この終戦協定は別名「世界核兵器絶滅協定」とも呼ばれるように、世界から核兵器が根絶される所以となった。
 同じく国民によるクーデターを恐れた世界各国の首脳が、一様に自国における核根絶を唱え始めたからである。
 そして「リーン」と7つの支部を代表とする地球解放戦線を、世界の独立平和維持軍として迎え入れることに大多数が同意した。
 ここにおいて地球解放戦線は名称を「地球連合軍」と変え、7つの軍により世界各国の支援の元で活動することが決定。
 また所属する兵士には国籍は無く、命令下での活動ならば地球上のどこであっても平和維持活動が容認されるということも、同時に世界に認められた。
 だが自国防衛の為の組織は必要と唱える国も多く、それを保有・維持することに関しては「リーン」も反対しなかった。
 そうして核に変わる手段を求めた結果、新時代の戦闘兵器として開発された1つがこの「MD」である。
 
 現在の「MD」は、汎用性に優れる面からおおよそ人間をモデルに作られたのが主流である。
 中には特殊な形をしたものもあるが、その殆どが特殊形状記憶の準金属関節フレーム、つまり「伸縮する金属」を随所に採用して性能を向上させている。
 またフレーム上に一般に取り付けられている硬化合金製の装甲板は、厚さ5mmレベルでもハンドガンでは傷一つつけることが出来ぬ程、頑強な物である。
 よって「MD」一体でも旧軍隊の一個中隊と十分渡り合い、「MD」に対抗しうるのは「MD」が最も効率的である。
 そのため現段階の軍事力は、国力によって差がでることは否めない。
 「MD」を生産開発するに当たっては、膨大な費用と人材が必要となるからである。
 だが協定に基づくラインを各国が越えない様に地球連合軍が監視している限り、世界の平和はある程度保たれるだろう。
 それは、世界各地の紛争が地球連合軍によって次々と鎮圧されていくことで証明されることではある。
 
                     (American news station ジャン・デニム・シンクレア 著)
 
 「それでは、法学部第3学年・御堂偉王!」
 校長は声を張り上げてそう言った。
 先程までの印象とは全く違って、威厳と階級をひしひしと感じさせる。
 そのせいか、いつもは無い緊張というものが偉王を襲う。
 「は、はい!」
 「二人の代表として目録を受け取ってくれ」
 「はい!」
 偉王は強張った表情でしっかり目録を受け取り、校長の手もぎゅっと握った。
 「ははっ、有り難い」
 そして校長はまだ興奮の冷めない生徒達に、優しい表情をして話しかけた。
 「まぁ疲れるとは思うが、もう少し我慢をせねばな。配属されてからもこうでは、俺が連合軍元帥に怒られる」
 それを聞いて、偉王は頭を掻いていた。
 柄にも無く恥ずかしそうだったのが、アリサには少し可笑しかった。
 弥生も微笑みながら「Key」ケースを偉王と剣児の2人に手渡す。
 そして2人がそれに「Key」をしまいこんだのを確認すると、おもむろにファイルを取り出して
 「それでは任務・その他の説明をします」
 と言った。だが、
 「腹が減った。話は店の中ででも出来る……一杯どうだ?」
 彼女の仕事は、選抜生を居酒屋に連れこむ最高権力者に邪魔されてしまった。
 「…………」
 弥生の辺りを寒い風が吹き抜ける。
 「あの……秘書長さん?」
 取り残されたアリサはどうしていいか分からず、弥生を伺ってみる。
 眉間にしわを寄せ、握り拳がプルプル震えている。
 この人は般若だ、そんな気がした。
 「……ここに居ても寒いだけね。アリサちゃん、行きましょうか」
 怒ったというより呆れたというように、しかし美しい秘書長は溜め息を漏らした。
 「え、でも……。」
 まだアリサは未成年である。
 優等生のアリサは、居酒屋に堂々と入るのも気がひけるのだ。
 「大丈夫、ジュースくらい置いてるわ。それに今日は、ぜ〜んぶ長官の奢りよ!」
 弥生は舌を出しながらハンドボックスを閉じると、アリサの手を引いた。
 「……はい!」
 アリサは、微笑んでそれに応じた。
 店に入ると、結末を知らずに盛り上がっている校長が他の客も巻き込んでいる。
 どうやら校長は太っ腹らしかった。
 そしてその隣には、ご機嫌に食べまくる偉王と飲みまくる剣児がいる。
 それを見ると、アリサはとても嬉しくなった。
 ……そのせいだろうか。
 5分後にはオレンジジュースにウオッカの入ったグラスを持って、その輪の中に溶け込んでいた。
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