「葛城には下手に手を出すな」
と別れ際に言った、聖の表情が脳裏をよぎる。
彼が顔をこわばらせて言うだけのことはある、と、刃は目の前の男を見て、単純に思った。
身の丈、およそ185cm。
刃とはほぼ同じくらいの身長であるはずなのに、それよりも大きく感じるのは、一体何故だろう。全身を筋肉の鎧で覆っているような、ありがちな身体を持った人間ではない。むしろ、細身といってもよさそうな体躯である。
が。
彼を始めて見た時の澪と同じく、刃は目の前の男に「たくましさ」を感じた。
葛城蒼雲――。
そう名乗った男は、こちらを厳しい目で見つめていた。
「真が倒れたって聞いたが、大丈夫なのか?」
「情報だけは早いようだな。聖の網も大したものだ」
こちらを見向きもせずに、葛城は短く、そう応えた。
「答えになってない」
ふてくされたような表情で、刃は尋ねる。
「命に関わるようなコトにはなってない」
カラリ、と、グラスの中の氷が揺れる。
「だが、少なくとも1週間は目を覚まさんだろう」
「……そんなに、ひどいのか?」
「お前は自分のしでかしたコトの重大さがというものがわからないのか?」
尋ねた刃に、水滴のついたグラスの中身をストローでかき混ぜながら、葛城はため息をつく。
「まぁ、起こってしまったことをいまさらどうこう言っても仕方がない。お前達があそこに踏み込んだせいで最悪の事態は免れたようなものだからな」
さらにため息をついたところで、葛城は氷の溶けかかったコーヒーを口に運ぶ。
「……ひとつ、聞いていいか」
「ああ」
「真が言ってた、詞咲晴憲の怨霊……だっけか。あれって、やっぱり開放されちゃまずいモノなのか?」
「封印されているのが並みの御霊なら、恨みの対象がすでにない現代の世の中に解放されても、思ったほど害は及ばない。だが、晴憲ほどの御霊となると話は別になる」
「じゃぁ、やっぱり……」
「ああ。とんでもないことになるのは間違いない。
だが、司さんは、別宮に封じられていたのは詞咲晴憲の御霊ではないと見てる。俺も同じ意見だがな」
「なんだって!?」
思わず、刃は腰を浮かせる。
「……大声を出すな。店を追い出されたいか」
短くたしなめた葛城の言葉に、刃は慌てて辺りを見まわした。客や店員を含めた店中の人間の視線が、彼に集中している。
「……それで?」
バツが悪そうにすわりなおすと、刃は声を潜めて、葛城に先を促した。
「それでも何も、わかっているのはそれだけだ。……だが、あそこに何が封じ込められているのか、というのはこの際大きな問題ではない。どの道2、3日中には調べがつくことだ」
「……そんなもんなのか?」
拍子抜けしたような刃に、葛城はうなずく。
「ああ。問題なのは、別宮に手を出した連中のほうだ。手を出したのは、お前の住んでる世界の人間だろう?」
「! どうしてそれを知ってる?」
「そのくらいは見当がつくさ。俺達の世界じゃぁ、氷浦に踏み込んで何かやらかそうとしてる奴なんていやしないからな。解放したはいいが、結局扱いきれなくなって自滅するのが目に見えてる。だから、あちらこちらに封印したり、祭ったりするんだ。将門公や道真公とまではいかないが、そういった御霊がこの氷浦には数多く眠っているからな。下手にひとつの封印をといたら、連鎖的に他の封印までも解けかねないんだよ」
至極当然のように話す葛城に、刃は言葉もない。
「………知らなかった。自分の住んでる土地がそこまでヤバイ土地だなんて、な」
フフ、と、葛城は軽く笑みをもらす。
「だから、氷浦には退魔士と呼ばれてる連中が数多く住んでるんだよ。お前の住んでる世界とは別の裏の世界を形成してる」
「なるほど、ね……」
刃は、大きくため息をつく。
「それで、だ。連中が何をたくらんでいてどう出てくるかは見当もつかないが、それだけに対処の仕様がない。こっちは生身の人間を相手にするのは専門外なんでな。昨日の影響で既に外に出てしまったのがいくつかいるが、この段階で封印が解けるような奴はまだ小物だ。だが、真君が張った結界が切れてしまえば、そうも言ってられなくなる」
「大物がどんどん出てくる、ってか?」
「ああ。そうなる前に連中のやろうとしてることを阻止できればそれが一番いい」
「だから、わざわざ俺を呼んだわけか」
「まぁ、な。真君から、お前はそちらの世界ではかなり腕が立つと聞いている。もちろん、聖が氷浦市のことなら一から百まで知っている、ということもな」
そこまで言うと、葛城はコーヒーを口に運ぶ。
つられてコーヒーを飲んだ刃が、思わず顔をしかめる。すでに氷はすべて溶けてしまい、日の光に暖められてぬるくなっていた。
「うーん……わかった。できる限りのことはやってみる。どの道、真がああいうことになったんで、どうしようかと思ってたところだしね。……でも、俺だけの力じゃぁ、自ずと限界がでてくるぜ?」
「わかっている。お前はお前、俺達は俺達でできる限りのことをやればいい」
葛城の言葉に刃は力強くうなずく。
フフ……と軽い笑みを浮かべた葛城に、刃は親近感と同時に、頼もしさを覚えた。
そして、敵に回すと、この上なく厄介な人間であることも。
そうして、封印がとかれて1日目の日は、何事もなく、夜を迎えた。 |