「これで、片付いた事になるんだろうか、一応……」
舞い落ちる桜の花びらを眺めながら、刃がつぶやく。
「さぁな。あいつらがこれで引き下がるとはとても思えないが」
傍らに立っていた葛城が、肩の関節をほぐすかのように、腕を回しながら答える。
「やっぱりあんたもそう思うか?」
「ああ。去年の今頃だったか、桜坂公園で幽霊騒ぎがあってな。御霊が封印されているという噂があった神社を荒らした奴がいたんだ。その時はいったい誰が何の目的でやったのかさっぱり分からなかったが、今回のこの事件のことを考えると、犯人は連中のように思えてならない」
「そうか……」
「まぁ、今後も警戒は必要だろうな」
葛城の言葉に、刃はゆっくりとうなずく。
「それにしても……真君も大変だな」
澪に力の限り抱きしめられ、目を白黒させている真を横目で見ながら、葛城が苦笑いを浮かべる。それを目ざとく見つけたゆかりが、呆れた顔でこちらに近づいてくる。
「そんなに意地悪そうに笑ってちゃ、真君がかわいそうですよ、葛城さん?」
「あ、ああ……ゆかり君か。今回はだいぶ迷惑をかけてしまったようだな」
葛城の言葉に、ゆかりが苦笑いしながら小首をかしげる。
「まぁ、こういうことには慣れてますから、それはいいんですけど……。それにしても、御霊に狙いをつけてくるような輩がいるなんて、思いもしませんでしたよ」
ため息をつきながら、祠の方を見やる。
「確かにな……我々の常識では計り知れないことを連中は平気でやってのけようとしたわけだ。今後とも警戒が必要だな」
「ええ……JGBAにもそう報告しておかなければなりませんね」
「そうだな」
厳しい表情で、葛城がうなずく。
「それじゃぁ、そろそろ帰りましょうか、榊君?」
「そうだな」
うなずいた葛城が、ゆかりと共に刃を見やる。
「え、俺?」
いきなりゆかりに声をかけられ、刃は思わず自分を指差す。
「ええ。私が送っていくわ。葛城さんはこの後氷浦署の人たちと事後処理について話し合いがあるし、真君と澪ちゃんは、当分そっとしといたほうがよさそうだしね」
言いながら、ゆかりは後ろのほうを振り返る。
つられて刃と葛城がそのほうを見ると、今度は澪に何やらお説教されている真の姿があった。
「……なるほど。活発な女の子だとは聞いていたが、真君を説教するとは大したものだ」
いささかずれた葛城の感想に、刃はこけそうになる。
「……じゃぁ、行きましょうか」
うらやましそうに二人を見つめていたゆかりは、何かをあきらめたような笑みを浮かべ、車のキーを取り出した。
「それじゃぁ真君、私達はこれで帰るけど、ちゃんとメディカルセンターでチェックを受けるのよ。本当はかなりきついんでしょ?」
車の窓に顔を覗かせた真の額を、ゆかりはツン、と指でつつく。
「やっぱり、ばれてましたか?」
苦笑いを浮かべながら、真がぽりぽり、と頬をかく。
「何年一緒に仕事してると思ってるのよ。そのくらい、分かって当然だわ」
「ははは……。ちゃんとチェックを受けますから、心配しないで下さいよ」
「じゃぁ、指きり、ね」
うなずくと、真はゆかりが差し出した小指に、自分の小指を絡ませる。
「それじゃぁ、これで」
「あ、ちょっと待って」
絡まった指が解けて、車から離れようとする真を、ゆかりが呼び止める。
「え、なんですか?」
真が、思わず身を乗り出した、その瞬間。
ゆかりの唇が、真の頬に触れた。
「え?」
「あ?」
助手席で見ていた刃と、思わず頬を押さえた真が、そろって間の抜けた声をあげる。
さらには。
「あーッ!!」
と、傍らで葛城と何やら話していた澪が叫び声をあげる。
「ふふふ、じゃぁ、またね」
なんて事をしてくれたんだ! とでも言いたげに顔を引きつらせた真に、ゆかりはいたずらっぽい笑みを浮かべて車を発進させる。
刃が慌てて後ろを振り向いたときには、すでに真が澪に詰め寄られている。
「……あんたも鬼だな」
姿勢を直して、刃はボソリ、とつぶやく。
「そうかしら」
「そうかしら、って……」
シャラッとした顔で答えたゆかりに、刃は大きくため息をつく。
「あ、それより……」
「何?」
「さっき、あんたが真に言ってたことなんだが」
「さっき、って……ああ、メディカルチェックの事?」
「ああ。真を見る限り、そんなに辛そうには見えなかったんだが」
刃が言ったとたん、それまで笑っていたゆかりの表情が、一編に厳しくなった。
「……それ、本気で言ってる?」
「え?」
「本気で言ってる、って聞いてるのよ!」
車を運転しているために露骨にこちらをにらみつけはしないものの、ゆかりはともすれば刃につかみかからんばかりの勢いで詰問する。
「……あ、ああ」
と、刃が短く答えた瞬間。
ゆかりは、ブレーキを目一杯踏んで、車を止めた。
急ブレーキの反動で刃の身体が前のめりになり、車が停止したところで、今度はシートにたたきつけられる格好になる。
「あなた、馬鹿じゃないの!?」
「え?」
ゆかりのあまりの変わり様に、刃は間の抜けた声しか出ない。
「馬鹿って言ってるのよ! あれだけのことをやっておいて、たった1日で元気になるなんてこと、あるはずがないでしょう!?」
「………」
「あなた、本当に大馬鹿よ!」
まるで悲鳴を上げるように叫ぶと、ゆかりは再び車を発進させる。
一方的に怒鳴りつけられた刃だったが、不思議と反発しようという気は起こってこない。
(……泣いてる……?)
ゆかりの瞳に、ちらり、と光るものが見える。
それっきり、2人は互いに言葉を発することなく、家路についたのだった。
「ああ、織姫君なら、ホームルームが終わるなり急いで教室を出ていったわよ」
教室の入り口で真を探している澪に、真のクラスメートが告げる。
数日後。
JGBA所有のメディカルセンターでチェックを受けた結果、入院を余儀なくされた真が退院し、登校してきたと聞いた澪は、午後のホームルームが終わるなり、真の教室に現れた。
おりしも、今日は土曜日である。
普段どおりの生活には戻れたものの、退魔士として復帰するにはまだドクターストップがかかっているために、真にとっては久しぶりの休日になる予定だった。
学校が終わったらどこかに遊びに行こうと誘いに来たところを、澪は見事にすかされた形になったようだ。
「あれ、こんなとこで何やってんだ?」
教室の入り口付近で頬をふくらませていた澪を見つけて、刃が声をかけてくる。
「ああ、刃君。真がどこに行ったか知らない?」
たったいま姿をあらわした刃に聞いても無駄と思いつつ、澪はたずねる。
「ああ……あいつなら、別宮の方に行ったぜ」
「別宮……?」
首を傾げる澪に、刃がうなずく。
「でさ、ちょっとやることがあるから、文芸部の部室の前で待っててくれ、とさ」
「文芸部、って……あ、もしかして、藤根先輩の事?」
「だと思うぜ」
刃があいまいな返事をするところを見ると、彼も詳しい事は知らないらしい。
「とにかく、行ってみよう」
刃の言葉にうなずいて、澪は文芸部の部室へと向かった。
同じ頃。
遠野別宮では、とある儀式の準備が厳かな雰囲気の中、進められていた。
神主姿で準備を取り仕切っているのは、司である。
「それにしても、真君も大掛かりなことを思いつきますね」
やはり神主姿になった葛城が、かたわらで腕組みをしながら尋ねる。
「まぁ、事情が事情だからな。こうしてやるのが一番よいのかも知れぬよ」
桜祭り以外には儀式などほとんど行われることの無いこの別宮で何かが行われるらしいと聞いた地元の住民達が、生垣の向こうで興味津々といった雰囲気で準備を見守っている。
そこへ、葛城の携帯電話が鳴った。見ると、グリーンのバックライトの中で、真の名前と電話番号が点滅している。
「真君か。そちらの首尾はどうだい?」
『ええ。大丈夫です。今からそちらに向かいます』
「わかった。それでは、部室にいる人たちを呼んでこよう」
『お願いします』
短く答えて、真が電話を切る。
電話を懐にしまうと、司に会釈をして、葛城は文芸部の部室に向かった。
「それにしても、あの子がそんなに悩んでるなんて思いもしなかったけどなぁ……」
車の助手席で、若い女性が窓の外を見ながらつぶやく。
「まぁ……いろいろ大変みたいですからね」
答えたのは、車のステアリングを握った真である。
「そうねぇ……。確かに、大変ね」
「我々もできる限りのことはやりますが、やはり最終的にはあなたから直接言ってもらったほうがいいか、と思いましてね」
「そうね……そうかもしれないわ」
そう言って、彼女は自分に言い聞かせるように何度もうなずく。
「飛ばしますよ」
一言断ってから、真は車のアクセルを踏み込んだ。
「ああ、榊か。そろっているな?」
神主姿で現れた葛城に、刃はしばし唖然として彼を見つめた。
「……あんた、一体何やってんだ、そんな格好で……」
目一杯不審そうな目つきで下から上まで眺めてから、刃はこれまた思いっきり不審そうな声で尋ねる。
「何、とは妙なことを聞く。私は元々神職だぞ? こういう格好をしていて何が悪い」
「ああ……なるほどな」
憮然とした表情で言われて、刃はなんとなく納得したようにうなずく。
「それで、藤根君は?」
「あ、ああ……中にいるぜ」
「ふむ……では、始めるか」
うなずいて部室の中に入ると、しばらくして、彼は藤根みやを伴ってあらわれた。
「それでは、行こうか?」
みやはゆっくりとうなずくと、葛城の後について行く。どうやら、これから別宮に向かうらしい。
「どうするの?」
「どうするって……ついていくしかなさそうだぜ」
いまいち状況が飲みこめていない澪は、同じく状況を良く理解できていない刃の袖を引いて尋ねる。
「みたいね……」
ほぅ、と、澪は憮然とした表情でため息をついた。
二人が別宮に着くと、すでにそこでは儀式が始まっていた。
別宮の社の前に築かれた祭壇で、神主姿の司が祝詞を上げ、その後ろで、神妙な顔つきでそれを見守るみやの姿があった。
ゴクリ、と、二人は生唾を飲み込む。
額にうっすらと汗を浮かべながら祝詞を上げていく司と葛城の雰囲気に、別宮全体が飲み込まれている。あれほど集まっていた野次馬でさえ、身じろぎ一つせず、声一つあげることなく見入ってしまっている。
司と葛城が刻む、独特の祝詞のリズム。
時折吹き抜ける、風の音。
それに舞い落ちる、桜の花びら。
そして――。
熱気が最高潮に達した後で、そのリズムは徐々にゆっくりとしたものとなり、やがて、静寂へが再び辺りを包み込む。
ややあって、司が後ろを振り向き、側に控えていた瀬田から幣を受け取ると、それで、みやの頭を掠めるようにして――いわゆる、「お祓い」と聞いて誰もがイメージするようにして――左右に振り払う。
と――。
静寂の中で、笛の音色が響いた。
「………?」
澪が、刃が、そして野次馬達が、それぞれに笛の音の元を探して視線をめぐらせる。
「あ、あれ………っ」
「え………?」
目ざとく音色の元を見つけた澪が、鳥居のほうを指差す。
つられて、刃が首をめぐらす。
「真……」
つぶやいて、彼は目を見張った。
司や葛城と同じ神主姿になった真が、伏し目がちになってゆっくりと歩きながら、横笛を口に当て、ゆったりとしたメロディを奏でる。
後ろには、真と同じ年頃の巫女姿の少女が、やはり目を伏せて、真とまったく同じ足取りで鳥居をくぐる。
踏み出した左足に右足をつけ、次いで踏み出した右足に左足をつけ、また踏み出した左足に右足をつけ――、と、まるで片足を引きずるような独特の歩き方で、二人はゆっくりと、境内の中ほどまで歩いてきて、そこで止まった。司と葛城、少女と真が、ちょうどみやをはさんで相対する形になる。
そして――。
ドン……と、太鼓の音が響き、それと同時に少女が、手にしていた小さな幣を天空に放り投げる。
ゆったりとした笛の音色が力強さを増し、それにあわせて、少女が舞を舞い始める。
ほぅ、と、その場に居合わせた誰もが、思わずため息を漏らした。
少しうつむいて目を閉じ、横笛を奏でる真と、ゆったりとしながらも、動きにメリハリを利かせて舞い踊る少女。風にひらめく桜の花びらの中、ぴったりと息の合った二人の姿は、まるで舞と音楽の神々が降臨したかのように神々しく、美しい。
「綺麗………」
ほぼ時を同じくして、澪の、周りを囲んでいる野次馬の、そしてみやの口が、まったく同じ言葉を紡ぎだす。
「そうね……とっても綺麗だわ」
思いもかけぬ相槌の声に、みやははっとして後ろを振り向く。
振り向いて、みやの瞳が、大きく見開かれた。
「センパイ――」
と、彼女の口唇が声にならない声を紡ぐ。
そこには、女性――憧れの先輩が、秋津文子が、いた。
こちらを見つめる漆黒の瞳が、優しく微笑む。
「秋津センパイ――」
無意識のうちにつぶやいたみやの瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
そっと文子の手がみやの肩を触れ、そして、みやの頬を伝っていく涙を拭う。
無言のまま彼女はうなずき――そして微かに首を振って、真たちのほうを見やる。
つられて、みやもまた、少女の舞へと視線を戻す。
それと時を同じくして、真がうっすらと目を開いた。
―――星は巡り 月は満ちる
現を吹き抜ける風はかように激しくとも
胸の内に秘めしこの夢は 永遠に変わらじ―――
「え……っ?」
目が合ったのは、ほんの一瞬。
だだ、その一瞬の間に、みやは笛の音色の中に、誰かの歌声を聞いたような、そんな気がした。慌ててもう一度真を見ると、彼の目は、既に閉じられている。
「現を吹き抜ける風はかように激しくとも、胸の内に秘めしこの夢は、永遠に変わらじ……」
いよいよ笛の音色が力強さを増していく中、みやは聞こえてきた歌の一節をつぶやいてみる。
「その意気よ」
肩をポン、と叩いて、文子がニッコリと微笑む。
「センパイ……」
「自分を、そして胸に秘めた夢を信じて、歩いていけばそれでいいのよ――」
「胸に秘めた、夢……」
力強く、文子がうなずいてみせる。
(現を吹き抜ける風はかように激しくとも、胸の内に秘めしこの夢は、永遠に変わらじ……か……)
心の中で何度も反芻しながら、みやは今までの自分を思い返してみる。
(ちょっと……消極的だったのかな……)
「大丈夫よ、みや。誰だってはじめの一歩は恐いものだから……。でも、その一歩を踏み出せれば、後は自分の気の赴くままに歩いていけるわ」
心なし肩を落としたみやに、文子が言葉をかける。
「そう、ですよね……」
「そうよ。だから、もっと自信を持って。ね?」
「……はい!」
はにかんだ笑みを浮かべながら、みやが力強くうなずく。
「そうこなくっちゃね!」
もう一度肩を叩くと、文子は再び少女の舞に目を向ける。そして、みやも。
―――星は巡り 月は満ちる
現を吹き抜ける風はかように激しくとも
胸のうちに秘めしこの夢は 永遠に変わらじ
現の風よ
そなたがいかに冷たき風となりて我が身に吹き寄せようとも
この胸に抱いた熱き思い
燃え盛る夢の炎はとこしえの灯火となりて
遥か遠き道程を照らさん
星は巡り 月は満ちる
現を吹き抜ける風はかように激しくとも
胸のうちに秘めしこの夢は
永遠に 永遠に変わらじ―――
桜舞う、春の氷浦市の街並。その街並の中を、真の奏でる笛の音色が、そして歌声が、風に乗ってどこまでもどこまでも流れていくのだった。 |