「ここか……確かに、嫌な感じがする場所ではあるよな」
車を降りると、葛城は顔をしかめながら同行者に同意を求める。
「そうですね……ココがただの事故多発地帯じゃない、ってことは一目瞭然ですよ」
今回の仕事のパートナーとして同行した退魔士・稲葉晃司が頷きながら、辺りを見回す。
刃と夢人がそろって氷浦市街で夕食を楽しんだ、その翌朝――葛城と稲葉の二人は、氷浦署からJGBAを通じて舞い込んできた「仕事」を片付けるために、船津区にある事故多発地点に姿をあらわしていた。
「ここ1ヶ月の間に物損事故2件、人身事故4件……軽症2人、重症3人、死亡2人、か。確かに何かある、と思っても不思議じゃないよな」
プリントの束を見ながら、葛城が缶コーヒーを口に運ぶ。
「氷浦署もよほど人手不足なんでしょうね。こういう基本的なことを外注にまわすなんて、普段なら考えられませんよ」
「仕方ないさ。先月の末に起こったあの事件の事後処理がほとんど進んでないんだ。外注にまわしたくもなるさ」
大げさに肩をすくめて、葛城は軽いため息をつく。
「さぁ、仕事に移ろうか。あまり長居をしていたい所じゃないからな」
「……そうですね」
頷くと、稲葉は持ってきたカメラで写真を撮り始める。
(道幅が広く、見通しもいい緩いカーブに、割と狭い間隔で立てられた街灯……事故車はそろって制限速度を守っていた。この分じゃ、夜中に真っ暗になって、それで、というコトはまず考えられないな。となると、何か別の力が働いた、ってことか……)
現場付近の地図と見比べながら、葛城は辺りをぐるりと見回す。
(……あれか)
葛城の目にとまったのは、道路の脇に建てられた立て看板だった。
「桜坂廃社……どこかで聞いたことがあるが……」
記憶の糸をたどりながら、立て看板の向こう側を覗いてみる。
草むらの中に埋もれるように、「桜坂廃社」と彫られた古ぼけた石碑が建てられていた。
(あまりいい感じの場所ではないな。原因はこれか……?)
「所長、どうかしましたか?」
あらかた写真をとり終えた稲葉が、遠慮がちに声をかけてくる。
「ああ、稲葉君。一応、ここも撮っておいてくれ」
「わかりました」
頷くと、稲葉はカメラを構え、シャッターを切る。
「後で調べてみるに越したことはないな……」
一人呟くと、葛城は不安そうに空を見上げる。
雲一つない空は、どこまでも青く輝いていた。
「おい真。ちょっと顔かせよ」
昼休み。
唯と二人、ほとんど人がいない図書室の中を歩き回っていた真を見つけるなり、刃はそう言い放った。
昨日のことを考えると当然といえば当然かもしれないが、真は屋上には姿をあらわさなかったのである。
「いいわよ、別に真がいなくたってお弁当は食べられるんだし――」
澪はそう言って強がって見せたが、やはりショックだったのだろう。弁当を食べている間、何度かしゃくりあげていたのを、刃は知っている。
「何ですか?」
「……ここじゃなんだ。中庭に行こうぜ」
唯に目配せをしてやってきた真に、刃は自分でも呆れるほどぶっきらぼうに言ってしまう。
「……わかりました」
背後で真が小さくため息をついたのを、刃は感じた。
「……澪、泣いてたぞ」
自分がこんなことを言っていいのかとずいぶん悩んだ挙句、刃は短くそう言った。
「……そうですか」
真が、軽くため息をつく。
「あんまりこういうことは言いたくないんだけどな。最近、ちょっとおかしいんじゃないのか?」
それが、刃の正直な感想だった。なんとなくではあるが、真と澪との間にギクシャクとしたものを感じていたのだ。
真が澪を避けている――最近の二人には、そう感じられるフシが何度もあった。昨日、屋上で澪があれだけ激昂したのも、恐らくはたまりにたまっていたものが一気に爆発してしまってのものだろう。
「まぁいいや。俺が口を出すようなものでもないだろうしな。それより、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと……ですか?」
無意識のうちに、真が一歩下がる。
「なんだよ、それは。まるで俺がろくでもない頼みしかしてないように見えるじゃないか」
「何言ってるんですか。この間の事件も、元はといえば刃が持ち込んできた話ですよ」
「あー……あれはだな。俺だってあんなことになるとは思ってなかったんだよ」
ズバリ指摘されて、刃は一瞬たじろぐ。
「自分で認めてるじゃないですか」
「うっさいなぁ。とにかく、話を聞いてくれよ」
「まぁ、いいでしょう。聞くだけだったら別に何も起こらないでしょうし」
一瞬の間を置いて、真が答える。
「お前なぁ……」
あくまで「警戒態勢」をとかない真に苦笑いを浮かべながら、刃は昨日のことを話し始めた。
同じ頃。
聖華学園大学の中庭に設けられたベンチで昼食を取りながら、夢人はとある人物に電話をかけていた。
「あ、弥侘先輩ですか?」
『なんだ、お前か。どうしたんだ?』
「先輩をJGBAの職員と見込んで頼みたいことがあるんですけど」
電話の相手は、JGBAに勤めている夢人の先輩だった。去年の夏、故郷で巻き込まれた霊異事件で一緒に行動したことがある。
『なるべく手短に頼むぜ。こっちはこっちでなかなか忙しいんだ』
「今、氷浦にいるんですけどね。糺宮神社の跡取りで、桜坂総合警備に勤めてる織姫真っていう高校生、知ってます?」
数瞬の間。
『……何だって?』
「織姫真です。今度、雑誌のほうの仕事で彼について調べることになったんですけどね。どうもJGBAが絡んでそうな仕事をしてる、って言うんで、先輩に聞いてみようと思ったんですけど」
『お前なぁ……知ってるも何も、氷浦の織姫っていやぁ、その筋じゃぁとんでもない有名人だぞ』
「へ?」
『氷浦って土地は何故か有名人が多いとこなんだけどな。その中でも特Aクラスの有名人だぜ、そいつは』
「じゃぁ、プロフィールとか分かりますよね? 出来れば送ってもらいたいんですけど」
『ばか言え。そんなことしたら俺の首が飛んじまう。氷浦にいるんだったら、自分で調べればいいだろうが』
「もちろんそうしますけどね。どうも本人が大いに嫌がりそうなんですよ」
『そりゃそうだろう。得体の知れん情報誌の取材に応じるほど無用心な人間じゃないさ』
「先輩、それはないっすよ」
『とにかく、今回の話はいくら何でも無理だ。張り飛ばされるのを覚悟で自分でアタックするしかないな。……お前、氷浦市の郊外にあるサーキット、知ってるだろ?』
「ええ、もちろん知ってますよ。何度か走りに行ったことありますからね」
『それなら話が早い。そこで張り込んでれば捕まると思うぜ。桜坂総合警備の連中はよく船津八幡神社の連中とつるんでマシンテストをしてるからな』
「マシンテスト、ですか?」
『ああ。出来ることなら夜がいい。昼間は人目につくし、一般の人間も来るからあまりやりたがらないんだよ』
「一般の人間、って……何なんですか、あのサーキット?」
『何、って。JGBAが経営・管理してるサーキットだよ。最近の退魔士連中はよく車を使うからな。各地にいくつかテスト用のサーキットを持ってるんだ。一般の人間にも解放してるのは、そこくらいしかないんだけどな』
「はぁ……そうなんですか」
『ってなわけで、ポイントは教えてやったんだから、あとは自分でやれ。実を言うと、織姫とはあまり係わり合いになりたくない』
「わかりました。ありがとうございます」
『おう。せいぜい殺されないように気をつけな』
本気とも冗談とも取れない口調で言うと、弥侘は電話を切った。
「サーキット、ねぇ……」
ボソリ、と呟くと、ポケットから真の写真を取り出す。昨日、別れ際に澪がくれたものだ。
恐らくは「桜祭り」の時に撮ったものなのだろう。
白い神主装束に身を包んだ少年は、どう見ても「線の細い美少年」でしかなかった。
「……雑誌の取材、ですか?」
露骨に嫌そうな顔で、真は刃を見やる。
「そんな顔するなよ。そりゃぁ、俺だって最初は驚いたけどな」
「そういう問題ですか。だいたい、その人は私が何をやってるのか知ってるんですか?」
「ああ、それは昨日話したんだ。編集部に向かう途中で、澪と会ってさ。澪も一緒に来て、そこで事情を話したんだそれで、梓瞳さんはそれを踏まえて取材をしたい、って言ってる。一度、会ってみないか?」
「……別に会うのはかまいませんけど、今日は用事があるんですよ。その後ならいいですよ」
気持ちがいいくらいにあっさりと断られると思っていた刃は、真が意外にも誘いに応じたことに、いささか拍子抜けして真を見つめる。
「『ひうらpress』というと、記桜出版ですよね? 6時にそこの前で待ち合わせ、ということにしたいんですけど、いいですか?」
「あ、ああ……梓瞳さんに、そう言っとくよ」
「それでは」
あっけに取られたままの刃をよそに、真は唯を待たせたままの図書館のほうへと歩いていく。
その背中に、刃は何かよそよそしいものが漂っているのを感じた。
「それにしても、よくOKしてくれたもんだな」
「そうなんすよ。まぁ、露骨に嫌そうな顔してましたけどね。『会うだけなら別にかまわない』って」
「ハハハ、『会うだけなら別にかまわない』か」
その日の夕方。
記桜出版が入っているビルの入り口の前で、夢人と刃が立ち話をしていた。
と。
やけに派手なエンジン音と共に、白いスカイラインが目の前を通り過ぎる。
「あ」
と、短く刃が声を上げた。スカイラインを追走してきたスポーツワゴンが減速し、ウインカーを点灯させたのである。
「来たみたいすよ」
「……もしかして、あのインプレッサか?」
唖然とした表情で尋ねた夢人に、刃は苦笑いを浮かべながら頷く。
歩道に出た二人の傍らに停まったインプレッサから、私服に着替えた真が姿をあらわした。
「待ちましたか?」
「ああ、いや……そんなに待っちゃいないんだけど……」
エアロパーツを含め、相当いじってあることが容易に想像できる車と、目の前に立っている半ば「お約束」に近い美少年――この途方もないギャップに、夢人は面食らいつつ。
「……その車、かなりいじってるだろう?」
自他共に認める車好きであるところの夢人は、思わずそう尋ねていた。
「え? ああ……それなりに改造してはありますけど……」
「だろうな。エンジン音からして別物だった。こういう車なら、一気にアクセルを踏み込んだときの衝撃もすごいんだろうな」
「ええ、まぁ……」
純粋に真の車を褒めちぎる夢人の後ろで、刃が苦笑いを浮かべる。
真の乗るインプレッサ・スポーツワゴンはボディから足回り、エンジンはもちろん、トランスミッションに至るまでいささか過激ともいえるチューンを施されている。何度か助手席に乗り、高速道路でも同乗したことがある刃は、夢人ほど素直に誉める気にはなれない。真の車が公道を走れるという事実自体反則なのだというのが、刃の正直な感想なのである……。
「それよりお前、どこ行ってたんだ? 前を走ってたの、葛城さんの車だろう?」
「ああ、氷浦警察署に寄って来たんですよ。広特からJGBA経由で依頼されてた仕事があったんで、その報告書を出してきたんです。で、葛城さんも似たような仕事を請け負ってたらしくて、氷浦署でばったり会った、というわけなんですよ」
「ふーん……意外だな」
「まぁ、この間の事件の事後処理がまだ終っていないようですし、仕方ないところもあると思いますよ。事故多発地点の調査まで手をまわしている余裕がないんでしょうね」
「事故多発地点?」
二人の会話になかなか入れないでいた夢人が、いささか顔を強張らせて尋ねる。
「ええ……。遠野区から氷浦北区に抜ける国道の緩いカーブなんですけどね。そこで不可解な交通事故が多発してるらしいんですよ。今年に入って、もう5件目ですか。いや、昨日私が調査に行った後でまた事故が起こったって言う話ですから、6件目になりますかねぇ……」
真の言葉に、夢人と刃の顔がさっと青ざめる。
「梓瞳さん、それって……」
「ああ……ひょっとしたら、ひょっとするかもな」
「……何ですか?」
「あのな、真。お前が言ってる事故多発地点ってのは、学校の前の交差点を左に曲がった道をずっと行ったところか?」
「ええ」
「血で汚れた『事故多発地帯 要注意』っていう看板があって……」
「ええ、ありますね」
「昨日の夜、車2台の追突事故があった?」
「よく知ってますね。どうしたんですか?」
「ビンゴか……」
額に手を当てて、夢人がゆっくりと首を振る。
「お前が言ってた追突事故……実は、俺達の目の前で起きたんだよ」
「………は?」
刃の言葉に、真の目が点になる。
「まぁ……いつまでもこんなところで話してるのもなんだし、続きは事務所の中で話そうか?」
事態をいまいち理解できず、おびただしい数の疑問符を頭上に浮かべている真を、夢人がそう促す。
(厄介事にならなければいいのですが……)
と、真はそっと心の中で呟いたのだが――その願いは後日、真自身によってあっさりと裏切られることになる。
ふと見上げた宵の空には、一番星が輝いていた。 |