綺堂神社の封印が解かれた、その翌日。
氷浦市郊外にあるJGBAの支部に、真はゆかりや葛城と共に現れた。
ここ数ヶ月の間頻発している霊異事件についての情報交換と、今後の対策を話し合うために、氷浦支部の幹部会が氷浦市下の退魔士を緊急招集したのである。
「それにしても、最近妙なことばかり起こっているな」
渋い顔であたりを見回しながら、葛城がぼやきにも似た呟きを漏らす。
「葛城さんもそう思いますか」
「ああ……。相田がやろうとしてたことを踏まえて振り返ると、ここ数ヶ月、確かに妙なことばかり起こっているような気がする。御霊に手を出すなど、我々ではとても考え付かないようなことを平気でやろうとしてたんだからな。連中とやるには、これまで従ってたルールが違いすぎる」
「確かにそうですねぇ……」
と、ため息を交えながら話をしている二人に、いちいちうなずきながら歩いていたゆかりが、ふと、あらぬ方向を見て立ち止まった。
「どうしたんですか、ゆかりさん?」
会場の入り口とはまったく違ったほうを見つめて立ち止まっているゆかりに、真が首をかしげながら尋ねる。
が。真の問いには直接答えず、ゆかりはいささか興奮した様子で、早足になって歩いていく。
「ベル、ベルじゃない!?」
真が背伸びをしながら、ゆかりの肩越しに向こうを覗き込む。
見ると、そこには長身の女性――しかも、金髪碧眼という、絵に描いたような白人女性が佇んでいたのである。
「やっぱりベルだわ! 久しぶりじゃない!」
「ええ、久しぶりね。半年振りくらいになるかしら?」
愛想のいい笑みを浮かべながら、ベルと呼ばれた女性はゆかりにヒラヒラと手を振って見せる。どうやら、ゆかりの知り合いであるらしい。
「ゆかりさん、お知り合いですか?」
二人がひとしきろ話に花を咲かせ終わったあとで、それまで遠巻きに見ていた真が遠慮がちに声をかける。
「ええ、紹介するわ。アミア・ベル・レイジーン。イギリス人よ。作戦中に知り合って、意気投合したの」
「はじめまして。JGBAにフリー登録しています。アミアか、ベルって呼んでくださいね」
にっこりと、アミアは真に笑いかける。このあたり、数日前に相田をして「無愛想に尽きる」と言わしめた女性と同一人物であるとはまったく想像のつかないほど印象の違う彼女であった。
「あ、桜坂総合警備所属の織姫真です」
「船津八幡神社祈祷所の葛城だ」
「よろしくお願いします」
続けて自己紹介をした真と葛城を握手を交わしながら、アミアは注意深く二人を観察する。相田が示した、織姫真、葛城蒼雲、三名坂ゆかりの3名――ゆかりとは旧知の仲であったのでいまさら調べる必要もなかったが、真と葛城に関しては情報がほとんどない。氷浦市下の主だった退魔士が召集された今回の対策会議に彼女が顔を出したのは、こちらの動きをどれだけJGBAが把握しているかを探るのと同時に、真と葛城の顔を覚え、その力の程を探るのが目的なのである。
「そろそろ始まるみたいよ」
しばらくその場で話し込むと、4人は連れ立って会場の中に入っていった。
同じ頃。
氷浦市郊外にあるサーキット場の駐車場で、梓瞳夢人は1人、張り込みを行っていた。
結局、事故調査への協力以外の接触を拒否されてしまった彼は、JGBAに勤めている先輩の助言に従って、真がマシンテストにきたところにアタックをかけようと姿をあらわしたのである。
「アルシオーネ、マスタング、34GT−RにランサーエボYか……。退魔士の年収っていったいどれだけあるんだ?」
サーキットの中に入っていく車の中で、「JGBA」という小さなロゴが確認できた――それはつい先日目にした、真の車にもつけられていた――車だけでも、そうそうたるメンバーである。
が。待てど暮らせど、お目当ての黒のインプレッサ・スポーツワゴンは、一向に姿を表さない。
「来ないな……今日ははずれか?」
ぼやきながら、夢人はあたりを見回す。同じ頃、目的の人物が別のところで会合に出席していようとは夢にも思っていない夢人である。
と。
「でっ!? なんだありゃぁ!」
甲高いエンジン音と共に姿を表したスポーツカーに、夢人は図らずも間の抜けた声をあげる。
「……あれも退魔士の持ち物かよ」
かなり嫌気のさした声で、夢人は独りごちる。
現れたのは、黒のNSX――とんでもない高級スポーツカーである。
「って、あれは……?」
運転席でステアを握っている人物に、夢人の目が注がれる。
「せ、瀬名政昭!?」
5年前に突然レースを引退したフォーミュラチャンプがどうしてこんなところに!
「もしかして俺、とんでもない連中と事を構えようとしてんじゃねーだろうな……」
怖い予感と共に、夢人の背筋に冷たいものが走る。
「は、はははは……」
独り、乾いた笑いを漏らす夢人。彼の直感はやばければやばいものほど的中率が飛躍的に上がるという代物であり――つい今しがた抱いた予感もまた、それほど時をおかずしてズバリ的中するところとなるのである……。
無意識のうちに、彼はポケットにいつも忍ばせている指輪を握り締めていたが、それは明らかに遅すぎる「おまじない」になったのだった。
「先輩、書庫に保管されてある蔵書って、いつ点検したんでしたっけ?」
糺宮神社に勤める神職・藤堂恭平が、先輩格にあたる瀬田和紀にそう尋ねたのは、日も沈み、夕闇の空に星が瞬き始めた頃のことである。
「蔵書の点検? あれは確か、3ヶ月くらい前のことだったと思うけどな。何かあったのか?」
怪訝そうな顔で尋ねた瀬田に、藤堂は首をひねりながら答える。
「いえね、書庫のほうを見てきたんですがね。どう考えても目録と実物の数が合わないんですよ」
「何だって!?」
「ほら、こないだ何者かに襲撃されたときのどさくさで書庫もわやくちゃになってたじゃないですか。結局、あの時は散乱した本や文書を片付けるのに精一杯だったんで気にしてる余裕もなかったんですけどね。ようやく暇ができたんで見に行ったら、どう目録に載ってても書棚には載ってない奴があるんですよ」
「……おい、そりゃぁまずいぞ。司さんには報告したのか?」
「してないから先輩に聞きに来たんじゃないですか」
「じゃぁ、今すぐ報告してこい! こりゃぁ大事になるかも知れんぞ」
「えぇ!? 俺が行くんですか?」
思いっきり嫌そうな顔で、藤堂が瀬田の顔を見やる。
「お前が見つけたんだ。お前が行くのが当然だろ」
藤堂の恨めしそうな視線から目をそらしながら、瀬田は哀れなる後輩を促したのだった。
「そういえば、この間の人事異動で広域特務課が増員されたそうですよ」
「……お上には逆らえない公務員とはいえ、哀れなことだな」
自販機の前で缶コーヒーを飲みながら、葛城が辛辣な感想を漏らす。休憩中の二人である。
「それにしても、三名坂君にああいった友人がいるとは思わなかったな」
「ああ、アミアさんのことですか?」
「ああ。生まれはイギリスでも日本育ちとあってか、ありがちな「外人っぽさ」がない。腕もよさそうだ」
「「外人っぽさ」ですか……確かに、ほとんど感じられませんね。葛城さんの言うとおり、腕も確かのようですし」
真が会ったばかりの他人を素直にほめるのも珍しい。
微かに笑って、葛城は別の方向に話題を振った。
「それより、あっちのほうはどうなっているんだい? 情報誌の取材を申し込まれたんだって?」
「ああ……その話なら、断りましたよ。まぁ、向こうはそのくらいであきらめてはくれないでしょうけど」
「まぁ、そうだろうな。だが、君の仕事の特殊性を踏まえて記事を書く、って言っても、君について取材をしていれば、いずれはフォローできない部分が出てくる。面倒なことにならなければいいんだがな」
「それはそうなんですけどねぇ……」
ほぅ、と真がため息をつくと、突然真の携帯が鳴り始める。
「……?」
ディスプレイには、遠野深雪の名が点滅していた。
「すみません、ちょっと話してきます」
「ああ、行っておいで」
うなずいた葛城に軽く会釈をして、真は少し離れた場所で電話に出る。
「もしもし?」
「真君、時間大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ。何かあったんですか?」
「何かあった、っていうほどのことでもないんだけど……この間、澪が妙な男に送られて来たのよ。澪は『聖華学園大に通ってる高校の先輩だよ』って言ってるんだけど……何か、心当たりある?」
「あ、あー……えーっと、ですね」
深雪の言葉に、真は一瞬返答に詰まった。聖華学園大に通っていて、なおかつ澪が知っていそうな男といえば、真の知る限りではたった一人しかいない。
「知ってるのね?」
電話越しにとんでもない圧力を感じて、真は早々に白旗をあげた。さすがは澪の姉。遠野深雪、恐るべき女である。
「……はい。確か『ひうらpress』でバイトしてる人で、梓瞳夢人とか……」
「梓瞳!?」
「……知ってるんですか?」
「知ってるも何も、聖華高校新聞部の後輩よ。ろくでもない原稿しか書かない上に、締め切りを守ったためしがなかったからずいぶんと悩まされたわ。……それはいいとして、どうして梓瞳君が澪を送ってきたのかしら?」
それは真のほうが聞きたいことである。
「さぁ……私にはちょっと……」
「またろくでもないことを考えてなければいいんだけど……」
「そ、そこまで言わなくても……」
確かにろくでもないことを考えていそうな夢人ではあるが、さすがにここまで言われると気の毒に思えてくる。そんな「危険人物」に、まさか澪のほうから電話をかけて会いに出かけたとは夢にも思っていない真と深雪なのであった。
「……まぁ、いいわ。澪に妙なことをしようなんていう命知らずなんて、そうそういるもんでもないだろうし」
かなりヒドイ物言いで自分の妹ではなく、その相手の身を案じた深雪に、真は「ハハハ……」と乾いた笑いで答える。彼女とらぶらぶな関係にあるという某男性の顔を見てみたいと一瞬でも思ったのは、おそらく真だけではないはずだ。
「……あ、それとね」
しばらく世間話をしていた深雪は、ふと、思い出したように真に尋ねる。
「何ですか?」
「最近、澪に元気がないみたいなんだけど……何か、心当たりある?」
「あ、あー……それは、私も気になってはいたんですけどねぇ……」
いきなりとんでもないトコロをついてきた深雪に、真は苦笑いを浮かべながら答える。その原因の大部分が自分にあるとは、口が裂けても言えない状況であった。
「そう? 真君なら知ってると思ったんだけど……まぁ、いいか。澪だってそう四六時中ああやって落ち込んでるわけでもないだろうし。じゃぁ、真君、またね。あ、梓瞳君にはくれぐれも気をつけなさいよ? あんな男に記事のネタにされたら、君の人生棒に振るわよ」
「はぁ……ハハハ」
歯に衣着せぬ言葉、とは、おそらくこのような物言いを指すのだろう。
顔を思いっきりひきつらせ、乾いた笑いを浮かべながら、真は電話を切ったのだった。
遠野深雪――やはり、恐るべき女である。 |