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7
 「ふぅ……しかし、どうしたもんかな」
 張り込み中に瀬名正昭の乗るNSXの姿を目にした夢人は愛車のシートに身体を沈めながら誰に言うともなく洩らすと手にした缶コーヒーを開ける。プシュッという音をさせてコーヒーの中に溶けている砂糖の甘い香りが車内に漂う。
 それが気に食わないのか少し眉間にしわを作ると窓を開けながら、その甘ったるいコーヒーを胃の中に流し込む。フロントガラスにぐるぐる回る幾つものヘッドライトが反射して夢人の顔を照らす。その光景をもうかれこれ3時間は眺めているだろうか。
 助手席に乗っているノートパソコンに目を移すと瀬名正昭のデータがディスプレイに表示されている……しかしそこには何処をどう見てもJGBAに所属するような特記事項などはない。レーサーとしての経歴……そんなものばかりだ。
 そして何よりもあの車を走らせている中に真ほどのプレッシャーを与えてくる霊力の持ち主が居ない。
 「JGBAって一体なんなんだ……」
 自分の先輩にあたる人間が務めているにもかかわらず、酒を飲んでも何をしてもその組織に関しては何も喋らなかった。
 そしてあの「実を言うと、織姫とはあまり係わり合いになりたくない」と言う言葉。
 「JGBAに務めている人間も、霊力の点ではピンキリって事か……」
 そしてあの線の細い織姫真と言う高校生、深雪先輩の妹で遠野澪の霊力は此処のサーキットで走っている誰よりも強い。ただ夢人は真の方は一部では相手を圧倒する力を持っているがどこかアンバランスなモノを感じていた。先日の取材の時はその力のアンバランスさに端を発しているだろうプレッシャーでいつもの調子で取材が出来なかった。夢人はそう感じている。
 「しかし……深雪先輩の妹だったとはな」
 あの勝気そうな瞳を持った少女の顔を思い浮かべながら「ほうっ」っと息をつく。確かに気をつけていればわかった筈なのだ、苗字が同じ「遠野」でありそして何よりもあの霊力の強さ、質が深雪先輩にそっくりなのだ。
 ただ力の強さ、潜在的なものを見ると澪の方が大きな力を持っているように思える。それにもかかわらず力の使い方を知らないためか、澪の霊力はその感情と共に全身から雰囲気としてこぼれだすだけのようだ。
 そう言った事を考えながら「ぼーっ」としていると不意に窓がコンコンとノックされた。
 ハッとしながらそちらを見るとサーキットを走っているはずの瀬名正昭がこちらを覗いている。夢人はあわててノートパソコンに目を向けるとスクリーンセーバーが起動している、ほっとしてノートパソコンを閉じると、車を降りた。
 「一体なんでこんな所で立ち往生してるんです?」
 瀬名が心配そうに問い掛けてくる
 「ああ、いえ気にしないで下さい。故障とかじゃないんですよ。あのサーキット走ってる明かり見てたんです」
 と、いかにもただ見てただけと言う風を装う。そして恐る恐る、
 「あの失礼ですけど……瀬名正昭さんですよね? F−3000の」
 と聞くと、瀬名はちょっと笑って
 「ええ、もうずいぶん前に引退したけどね。たまにこうして走ってるんだよ」
 「そうなんですか、でも夜も此処やってるんですね」
 夢人はかまをかけるつもりは無く、ふと思いついて言ったのだが瀬名は、
 「そうだね、まあちょっとね」
 と短く返事をする。不自然な沈黙が二人の間に流れた瞬間、夢人の車内からルパン3世のテーマソングが流れ出してきた。
 「あ、すいません。」
 と一言瀬名に言うと車内から携帯を取り出し着信を確認する。
 「あ゛っあー」
 その名前を見た瞬間、夢人の背にはどっと冷や汗が出、顔が青ざめる。
 しぶしぶと通話ボタンを押す。
 「はい、梓瞳です。ただいま電話に出ることが出来ません。御用の方はメッセージをどうぞ。ピーッ」
 「はぁ? 何ふざけた事やってるのよ、梓瞳君?」
 「……あ、すんません」
 一旦素直に謝ってから、
 「でも何ですか? 深雪先輩から電話なんて珍しいですね」
 できるだけ平静を装って聞く夢人。
 「梓瞳君? 澪と会った?」
 夢人の背筋にさっきよりも酷い悪寒が走る。
 「え? ええ……まあ」
 なるだけ話をそらそうとすると、受話器の先からもの凄い殺気が溢れ出してくる。
 「あ゛〜あのぅ……深雪先輩……?」
 恐る恐る口を開く。一拍の間を置いて遠野深雪その人が口を開くのが地獄の釜の蓋をあけるかのように夢人には感じられた。
 「今何処に居るの?」
 「はあ、あの氷浦市外にあるサーキットですけど?」
 「なにかろくでもない事考えてるんじゃないでしょうね」
 確かに夢人は深雪が新聞部の部長をしていた時に部員として活動していて色々な問題記事を書いた事があるが、卒業してまでそんな事を言われるとは……と頭を掻きながらちょっとした言い訳をしてみる。
 「でも高校の頃の記事は嘘っぱちなんて書いてないっすよ?」
 「あんたねぇ、事実をそのまま報道したら大騒ぎになる事だってあるわけでしょう? それが予想できながら事実をそのまま公表する事を『ろくでもない』って言ってるのよ」
 「……はあ」
 深雪先輩の勢いに巻き込まれてるなと感じながら返事を返す夢人。
 「まあいいわ、とりあえず君に釘を刺しておこうと思っただけだから」
 軽く笑いを洩らしながら深雪は言う
 「へ? 釘を刺すって何をですか?」
 頭に「?」マークを幾つも浮かべながらとぼけた返事をする夢人。
 その返事にため息をつく深雪。次にその口から出た言葉は
 「……あんたね、澪に手出したらただ事じゃなくなるからね」
 それを聞き(一応後輩のことを心配してるらしい……)そう夢人は考えると、
 「あーその心配は無いですよ。彼女には彼がいるでしょう? まあ、あまり上手く行ってないみたいですけどね」
 そうさらりと言うと、
 「なんですって? 澪から聞いたの? それっ」
 勢い込んで聞いてくる深雪。
 「いえ、違いますよ。でも彼女の方から避けて無いだろう事はいろいろ話していてわかりますからね。多分彼がなんかやったか、避けて居るかでしょうね。まあ俺の勘ですけど」
 と、勘と言いつつはっきりと言い切る夢人。しばらく間を置いて深雪が、
 「梓瞳君、今からこっちに来るのにどれくらい時間かかる?」
 「あ、大体1時間弱って所ですかね。どうしてですか?」
 「今から家の前に来てくれない?」
 「え゛っ……今からですかぁ……」
 「嫌なの?」
 短く聞く深雪の声。
 「嫌って言うか……えーっとその……色々取材とか調査とか……」
 無言の圧力を掛けてくる深雪。そしてついにその圧力に負ける夢人。
 「ああっもうわかりましたよっ。行けば良いんでしょ、行けばっ」
 そう言う夢人に慌てて言う深雪。
 「あ、いやそんなに忙しいんだったらいいけど」
 その言葉を聞き調子崩しそうになる夢人。
 「……いいですよ、じゃあ今から出ますわ。とりあえず近くまで来たら電話します」
 「わかった、お願いね。気をつけて」
 深雪がそう言うと通話は切れ夜の闇にエンジン音が響き渡るサーキットに夢人の意識は戻ってきた。
 「恋人かい?」
 ずっと近くに居たのだろう瀬名が夢人に歩み寄りながら問い掛けてくる。
 「いえ、そんな色っぽいもんじゃないですよ。」
 そう言うと苦笑を返す夢人。そして、
 「でもちょっと呼び出されちゃったんで……失礼しますね」
 と言うと、ひょこっと頭を下げるとシルビアのドライバーシートに身体を沈める。キーを回し、低い咆哮にも似たエンジン音を響かせると窓を開け、
 「そのうちまたサーキットででもお会いしたいです、それじゃぁ」
 その言葉を聞き軽く頷く瀬名正昭。その反応を見て夢人は車を出した。
 遠野深雪その人が待つ、氷浦市に向かって……


 急いで愛車を遠野家に走らせる夢人が体全体で寒気を覚えたのは船津区のある地点に差し掛かったときだった。夢人が知るはずもないがその地点は先日、葛城と稲葉が調査に来た場所であった。
 「なんだってこんなにやばそうな場所が氷浦市にはたくさんあるんだよ」
 全身に鳥肌を立てながら前を見据えていると道幅が広く、夜間にしては見通しも良い緩いカーブのガードレールに一台の車が張り付いている。
 「ちっ、またかよ。またこんな事に巻き込まれんのかよ」
 悪態をつきながら車を路側帯に寄せその事故車に近寄る夢人。
 車内を覗き込むと見覚えのある若い男がぐったりとして座っている。
 「おいっ、だいじょうぶか? 頭はっきりしてるか?」
 声をかけてみるが、「うぅ……」と声を洩らすだけではっきりした反応は無い。
 仕方なく夢人は警察に連絡し救急車を手配し、男の様子を見る。どうやら、呼吸などは問題ないようなのでそのままシートを倒して車内に寝かしておく。
 救急車が来るまでの間、あたりを見回してみる。と夢人にはなんだか不自然な印象を受ける。風景がと言う訳では無く、空気の流れとでもいうようなもので不自然な所から風が流れ込んでいるような本来在るべき空気の流れが止まっている様な雰囲気。ふと気を引かれて草むらの中を覗き込むと石碑がありそこには「桜坂廃社」と文字が刻まれている。
 まるでその石碑の中からねめつけられているような気分になりながらも車内からカメラを持ち出すとその石碑に向かって3、4度シャターを切る。
 そうこうしてるうちに、遠くから救急車とパトカーのサイレンが聞こえて、到着後直ぐにあの若い男を収容していく。夢人は若い男の顔を明るい所で見てなぜ見覚えがあったのか気付いた。夢人の通う「聖華学園」の去年のMr聖華学園に選ばれた学生だったからだ。
 前回と同じように軽い事情聴取と連絡先を聞かれている際中にまたもルパン3世のテーマソングが流れ出す。夢人は少し離れた場所で通話ボタンを押すと
 「はい、もしも……」
 「梓瞳!! あんた何やってるの? さっきからもう1時間半もたってるわよ!!」
 苛立った時の深雪の、冷静でありながら迫力のある声を聞きながら、
 「いえ、実は……」
 事情を説明する夢人。
 「だったらなんで電話の一つもよこさないのっ!」
 「ああ、それもそうですね。すんません、ちょっとそこまで気がまわらなくって」
 素直に謝っといて、今日は遅いですし、また今度といいかけた所に、
 「この時間からだと家の前にうるさいので乗り付けられちゃかなわないから……。そうだな、梓瞳君は聖華学園前のBaronってCafeBar知ってるよね?」
 「……ええ、知ってますけど」
 「じゃあ、解放されたらそこに来なさい。私は先に行ってるから」
 言うだけ言うと、通話を切った深雪。苦笑しながら頭をぽりぽり掻き事情聴取に戻る夢人。その様子を見ていた私服警官(?)だろうか警察と一緒に来た男性が制服を着た警察官を手で制して,
 「ああ、すまないねぇ。忙しいんだろう? 実際この事故は一人相撲だって事がはっきりしてるし良いよ」
 そう言うとにこやかに笑いかけてくる。夢人もつられて笑い返しながら,
 「そうですか? それじゃぁ失礼します」
 と、車に戻りかけてふと気付いて振り返りその男性に聞いてみる.
 「もしかして此処ってここ1ヶ月の間に事故が増えているとかじゃ……無いですよね?」
 その男性は相変わらずにこやかに笑いながら
 「いや、そんな話は聞いたことが無いな。どうしてだい?」
 「いえ、それなら良いんですけど……それじゃぁ失礼します」
 そう言うと夢人は聖華学園の方向車のノーズを向け、制限速度を守りながらその場所を後にした。


 30分後。
 お洒落な店内で夢人は深雪に問い詰められていた
 「それで? 澪は真君と上手く行ってないとか君に洩らしたの?」
 「いえ、そんな訳じゃないですけど」
 「無いけど何?」
 「何となくわかるじゃないですか。そういうの……」
 「ふーん、勘?」
 「まあそうです、ね。それに上手く行ってたら真君の話題を出す時にあんな顔しないと思いますよ」
 「ああ、梓瞳君が真君をネタに何か書こうとしてることね? その情報収集で澪に近づいたって訳?」
 「あ、それ誤解ですよ。実は偶然真君と澪さんの友達で榊って男の子と知り合いになりましてね。その子も取材しなきゃいけなかったんですよ」
 苦笑しながら事情をなるだけ正しく伝えようと言葉を尽くす夢人。
 「その榊君を取材する時に偶然事務所の近くで澪さんに会って、色々込み入ってたみたいだから一緒に事務所に行ってちょっと話したんですよ」
 目を見据えながら夢人の話を聞いていた深雪が、
 「うん、嘘は言ってないみたいね。でも真君については調査してるんでしょ?」
 「ノーコメントです」
 そう言うとブルームーンを飲み干す夢人。
 「まあその件は良いわ。それで梓瞳君、澪の事なんだけどこれからたまに電話とかで聞いても良いかな?」
 「はぁ? 家で本人に聞けば良いじゃないですか」
 「私たちには話し辛い事だったら梓瞳君に相談する可能性だって在るでしょ?」
 「まあ、そりゃ確かにありますけどね」
 「おねがいしていい? 澪の様子が最近変なのよ」
 「ああ〜、じゃあ俺が言っても良いかな? って思ったことだけで良ければ……」
 「ありがとう、助かるわ」
 そう言うとテーブルの上にある伝票に手を伸ばす深雪。それを横から掻っ攫う夢人。
 「いいわよ、私が誘ったんだから奢るわよ」
 その言葉に首を振り
 「いーんですよ、領収書切りますから。一応俺にとっては取材でよく使う場所でもあるんで」
  レジのところでBarのマスターと冗談を言いながら支払いを済ませると二人は外に出て、
 「それじゃあ、私は今から帰るわ。いいかげん遅くなると大変だから」
 そう言い残すと車に乗ると一度だけクラクションを鳴らし、帰っていった。
 それを確認した夢人は星診に居る弥侘枝葉司の携帯電話を鳴らす。
 「あ゛〜ぃ? 誰っすかぁ?」
 無茶苦茶眠そうな声を聞き「まずっ」っとは思った夢人だが、此処で電話を切るわけにも行かず
 「あ、夢人ですけど……すんません先輩寝てました?」
 「あ゛〜良い良い、いつもなら起きてるもんなぁ。ふああぁ」
 と盛大にあくびをする弥侘。
 「んで? なんだ今度は? 織姫はつかまったのか?」
 「いえ、その件じゃ無くってあの……高校の頃、星診市を調査してたじゃないですか。あの資料送ってもらえませんか?」
 「はぁ? あんなん何に使うんだ?」
 「いえ、ちょっとだけ気になった事があって……星診に関する事のデータは要らないんで。あの封印とか結界に関する詳細資料ですけど」
 「ああ、あれな。んん、確かあったはずだ……からっと、ん送っとくわ」
 「あ、宜しくお願いします。それじゃぁお休みなさい」
 「おい、何やるつもりなんだ? おい、織姫追っかけてたんじゃないのかよ」
 電話口から響く声を聞きながら通話終了ボタンを押し
 「すいません携帯の電池が切れちゃって」
 と悪戯っぽい笑顔を浮べながらメールを打つ夢人。そして携帯電話の電源を切るとまたさっき居たBaronの扉に手を掛け滑るように中に入っていく。
 空にはまだ星が瞬いていた。
this page: written by Akitsu Mitsuhide.
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