「それで――刃はこの前の事件がらみと言ってたが、もう少し具体的なことを聞かせてくれないかな」
パソコンの状態をチェックしながら、聖が切り出す。
「……ああ、君がここで話したことは、もちろん外には漏れないようにしてある」
夢人は一瞬迷ったようなそぶりを見せたが、そう言った聖の言葉にやや安心したのか、あらかたの事情を話していく。
「……つまり、氷浦の街はある方法論にのっとって配置された神社仏閣によって霊的に護られている、と?」
「まぁ、そんなところです」
うーん、とうなってから、聖はコーヒーを口に運んだ。
「考え方としては風水に似たものがあるね。確かあれは、周囲の地形を熟慮した上で、霊的に繁栄するような都市を建設する――そう言うものだったと記憶している。君の言う方法論は、その風水における「龍穴」と「龍脈」を、ある法則にのっとって配置された神社仏閣で代えようとする、そう考えて間違いないかな?」
「はい。俺の考えが間違ってなければ、そういう風に言うこともできると思います」
「なるほど……じゃぁ、一体誰が中心になってそれをやったのか、ということになるが……見当はついてるかい?」
「俺は氷浦藩主秋島家がその中心にいたのではないか、と。氷浦を勢力圏の内とした氏族は歴史上いくつかありますが、その中で氷浦を本拠にしたのは平安〜南北朝の氷浦氏と、江戸期の秋島しかいない。となれば、結界に含まれている神社のほとんどが江戸以降の創建であることも考えて、江戸期の秋島と考えるのが妥当だと思います」
「……なるほど。確かに納得できる話だな」
何度かうなずいて、聖は夢人が持ってきた地図に目をやる。
夢人が導き出した方法論にのっとったものなのか、いくつかの神社が直線で結ばれ、きわめて人工的な、幾何学的な模様が描き出されていた。
「……それで、ここまで来たものの、残り半分が解けなかった、というわけか」
再度うなずくと、聖はキーボードに向かい、ディスプレイの検索画面にいくつかの語句を並べていく。
「……まぁ、こんなところじゃないかな」
「『氷浦郡志』……ですか」
ヒットした文献を見て、夢人は心なし怪訝な面持ちでディスプレイを見つめる。
「ああ。とりあえず君の方法論から行くと、秋島家は有能な霊力者の一族である織姫家を中心に東の結界を組んだ、ということになる。となれば、糺宮以前、あるいは以後、氷浦地方に高名な霊能力者が出ていたかどうか、が鍵になると思うんだ。……もちろん、織姫家出身の霊能者は除くけどね」
「……ああ、なるほど。それもそうでしたね……」
幾ばくかの脱力感を感じながら、夢人はマウスをクリックする。
現れたのは。
「葛城と、綺堂……?」
相田の口をついて出た言葉に、アミアは図らずとも首を傾げた。
「そうだ。いずれも織姫家の祖先・糺宮の後に現れた霊能者の家系だ。両家とも現代までその命脈を保っているが、綺堂家はすでに退魔士稼業から離れている。だが、残る一方の葛城家は今現在も優秀な退魔士を輩出している」
「……それはもしかして、この間の会議で会った……」
「ああ。葛城蒼雲……奴に他ならない」
「……そうですか……」
ほぅ、とアミアはため息をつく。
情報収集を兼ねて出席したJGBAの会議の席で、ひときわ目についた男。そして、相田が示した監視対象のうちの1人だ。相田が示した監視対象――三名坂ゆかり、織姫真、葛城蒼雲の3人の中でも、一番手ごわそうな相手だと感じられたように思う。持っている能力そのもののキャパシティ、という点では真のほうが一歩上を行っているが、経験やその強大な霊力に耐えうるだけの体力など、総合的な面から見れば葛城に軍配が上がるのは明らかだった。相田ほどの使い手がまるで相手にならなかったのも頷ける――アミアは1人、そう納得したものだ。
「それで、だ」
そう切り出した相田に、アミアは視線を戻す。
「前にも言ったとおり、氷浦には神社仏閣を中心とした結界が張られているということはほぼ間違いない。だが、問題はそこからだ」
「と、言うと?」
「神社を配置して結界を張るといっても、ただ闇雲に神社を配置していけばよいわけではない。確かにある程度の効果はあるかもしれないが、万全を期すとなれば、配置していく神社を選別しなければならない――つまり、ある共通点をもった神社仏閣を配置していくことによって、結界はより強固なものになる、というわけだ。つまり逆を言うと、結界を破る側としては、ただ闇雲に封印という封印を破っていくだけでは埒があかない」
「なるほど……そして、そのキーワードになるのが、先ほどの葛城と綺堂、というわけですね?」
「まぁ、そんなところだ。実際にはあと2つある……すなわち、秋島、そして織姫。秋島による氷浦支配が始まった17世紀前後に、現存する氷浦市内の主要な神社・寺院が出揃ったこと、そしてそれらは氷浦城を中心に放射状に建設されていることを見ると、おおよそ次のようなことが言える。
まず1つ。氷浦結界は織姫系、葛城系、綺堂系の3系統の神社及び秋島家と関係の深い神社・寺院を用いて布かれたこと。2つ。それらの神社・寺院には何らかの形で織姫、葛城、綺堂、秋島の四者のうちのいずれかの介入の跡が見られること。3つ。結界を構成する神社や寺院の創建年代から考えて、結界は17世紀初頭に布かれたと考えられること」
相田の言葉にいちいち頷いていたアミアが、不意に言葉を切った相田に先を促す。
頷くと、
「以上のことを検討した結果、出たのがこの地図だ」
と、相田が一枚の地図を広げる。
広げたのは、氷浦市とその周辺部を範囲に収めた地図だ。そのいたるところ位置している神社に4色に色分けされたマーキングが施され、それらを直線で結んである。
それは――
「まさに、碁盤の目……ですね」
驚きを隠せない表情で、アミアは地図上に姿を表した碁盤の目のような規則正しい網目模様を眺める。
「この網目のうち、最も重要視されたと思われるのが、氷浦城の八方位――東西南北に加え、北東、南東、南西、北西を固める神社と寺だ。そして、この八つの神社を直線で結んでできる正方形の内側を府内、外側を府外と言ったのだろう。その証拠に、元禄期の「桜祭り」に参加できたのは「府中七社」と「府外二社」の計九社。このうちの「府中七社」とは文字通り城を取り囲む正方形を構成している神社なのだ」
「……信じられませんね。400年も前にこれだけ正確な結界を張る技術があったなど」
「だが、厳然として目の前に存在している。……もっとも、これは「地図上の話」だがな。実際に町を歩いていれば、まさかここまで正確に神社や寺院が配置されていることなど、思いもよらないことだ。最も、この結界を張った人間は最初からそれを見越していたのだろうがな」
未だもって驚愕の表情を禁じえないアミアに、相田はニヤリ、と笑いかける。
「……さて、行くぞ」
「……どこへ?」
「まずは、東の要、顕法寺へ。夜陰に乗じて結界を破る」
「……これが、君の言っていた結界、ということになるのかな?」
相田がアミアに示した地図とほぼ同じ形の網目模様が引かれた地図を見下ろしながら、聖は傍らにいる夢人に尋ねる。
「ええ……そうなると思います」
神社の名前が並ぶノートと地図とを見比べながら、夢人が頷く。
北の要……綺堂神社
北東の要……糺宮神社
東の要……顕法寺(氷浦藩主秋島家菩提寺)
南東の要……松原神社(境内に糺宮神社の境内社の1つである姫桜神社)
南の要……神津島神社(境内に糺宮神社の境内社の1つである姫桜神社)
南西の要……津田神社(境内に船津八幡神社の境内社である氷浦葛城神社)
西の要……船津八幡神社
北西の要……氷浦神社(境内に船津八幡神社の境内社である氷浦葛城神社)
「この8つが重要な要であることは間違いないと思います」
氷浦城を中心にすえた正方形を描く8つの神社仏閣を、夢人が指でたどる。
「『氷浦郡志』にある「府中七社」「府外二社」のうちの「府中七社」は、すべてこの中にありますからね」
「なるほど……」
「でも、正直言って、ここまで正確に結界を張ってたとは思いませんでしたよ……もちろん、こういう呪術は正確にやらないと効果がないということは知っていましたけど」
どっと疲れた表情で、夢人は椅子に座り、天井を見上げる。
「一体どうなってんだ、この街……」
小さいながらも、はっきりとした声で呟いたその言葉は、夢人の偽らざる思いに他ならなかった。
「結局、何が目的なのか見当がつきませんね」
同じ頃。
桜坂総合警備の資料室にあるパソコンの前で、真がため息混じりに呟いた。
ディスプレイのウインドウに表示された氷浦市周辺の地図には、すでに何らかの形で封印が破られている地点が点滅している。
「規則性がありそうで、ない。相田が絡んでいるとして、彼が何を企んでいるのか、今の状況では分かりませんね。JGBAの内部を飛び交っている情報も、何者かが故意に流した可能性が高いですし。限りなく真実に近い嘘が大部分を占めていると思いますよ」
「……結局、我々は常に後手に回るしかない、ということか」
ひときわ悔しそうな表情で、葛城が唇を噛む。
「そうとも限りませんよ」
つとめて冷静な表情で、真が反論する。
「先の騒動の折、私の家の書庫から彼らはいくつかの書物を奪い取っています。もちろん、それは偶然にしか過ぎないでしょうが……。なくなったのは、いずれも氷浦の歴史について書かれた古い書物です。恐らくは、その中の記述から、相田は先の騒動に関する情報を得たのではないでしょうか」
「……なるほど」
「最も可能性が高いのは、『氷浦郡志』『氷浦郡志拾遺』あたりでしょう。あれには、氷浦地方の歴史や地誌が書かれています。おそらく、そこから何らかの情報を拾っていったのではないでしょうか」
「しかし、それらの書物はすでに相田の手の中にあるんだろう?」
「ええ。確かに、原本は相田の手の内です。しかし、『氷浦郡志』と『氷浦郡志拾遺』は氷浦地方の中世〜近世史を探る上での重要な基礎資料なんですよ。一部は『氷浦市史』の史料編に収録されていますし、刊行本も出ています。後は、相田の手の内をある程度読むことができれば、そこから彼が何をやろうとしているのかが明らかになってくると思いますよ」
真の言葉に、葛城の表情がいくらか柔らかくなる。
「では、行きますか……」
大きく伸びをしながら、真が傍らに置いてあった車のキーを取る。
「さすがに、刊行本はここにはありません。氷浦市立図書館か、あるいは大学図書館あたりまで行かないといけませんよ」
ニィ、と笑みを浮かべる真を、葛城はあっけに取られた表情で見つめる。
「やられてばかりじゃぁ、つまらないですよ」
見つめていると、いつの間にかその中に吸い込まれていきそうな、漆黒の相貌の奥。
その中に、葛城は得体の知れない、あるモノを感じていた。 |