聖華高校の帰り道。
降りしきる雨にうたれながら帰る学生たちの群れに澪の姿があった。
学生たちが、澪の横を走り去っていく。
そんな中、一人下を向きとぼとぼ歩いている澪。
周りが一瞬何事かと振り向くが、それだけで走り去る。
雨脚は一向に収まる気配を見せず、それどころかどんどん強くなっていく。
「もっと、降ればいいのに………」
人知れず、そうつぶやく。
そう言うとため息が漏れてくる。
つい先程の光景が目に焼き付いて離れない。
「ハハッ、ナニやってんだろう私」
そう言う澪の顔には、雨なのか涙なのかは分からない水滴に覆われている。
先程の光景、真と唯の姿……。
見たくはなかった光景だった。
気がつけば、自分の意思なのか帰路についていた。
そうしていると、周りの音が変わっていた。
アスファルトを叩く雨の音から、かさを叩く雨の音へ。
「ったく、ナニやってんだ?」
そう声がしたかと思い振り向くと、刃がったっている。
「あっ、刃君……」
そうつぶやくと、ほうけたような顔で刃を見る。
いつも勝気な性格の澪とは思えない表情だった。
(こいつぁ、重症だな)
「風邪ひくぜ、そんな事やってっと」
そう言う刃も、雨に濡れている。
「刃君が濡れちゃうでしょ、私んち…すぐそこだから……」
そう言って先程までよりも早い足取りで歩き出す。
澪の歩調に合わせながら刃も歩き出す。
しばらく歩いて、澪が不意に立ち止まる。
「ほっといてよ…………」
(やっぱ見ちまったか。なにやってやがんだ、アイツは)
「ほっとけるわけ無いだろうが。持っていけ」
そう言うと、傘を半ば強引に澪に持たせる。
一度は手に持つが、その指からは傘が弧を描きながら地面に落ちる。
「…………」
自分の手から落ちていった傘を無言で見つめる。
その傘を刃が無言で拾い上げる。
「まぁ、気持ちは分からなくもねぇけどな。だからってこんな事して何になるってんだ?」
あくまで諭すように話し続ける刃。
「何がわかるっていうのよ!」
俯いたまま叫ぶ。
「あぁ、わかんね―な。だけどな、見てみぬふりもできるわけねーだろ」
かなりの間そうしていたので、刃の身体もかなり濡れてきている。
「とにかく、傘だけは持ってけ。いいな」
もう一度澪の手に傘を持たせる。
今度はしっかりと澪の手の中に収まる。
「やめてよ…、こんな事されたら自分が余計惨めになるだけじゃない・・・・・・」
そう言うと今までこらえていたのか、泣き始める。
「あんまり溜め込みすぎんなよ。どっかではきださね―とたまんねーだろ? 最近は俺でも分かるくらいに無理してたからな」
澪はただ黙って聞いている。
「そんな状況じゃ物事悪い方に考えすぎんだよ。だからこんなバカな事しちまう。今日は黙って帰れ、良いな?」
澪が首を縦に小さく振る。
「ごめんね、あたっちゃって」
そう言うと先程と同じ様にとぼとぼと歩き出す。
その後姿を見ると分かっているようには見えなかったが、これ以上は刃が口を出すわけにも行かない。
言い知れぬ不安が刃を襲うが、去っていく澪をひきとめる事は無かった。
帰路につく澪の姿を見つめるものがいた……。
暗い思惑を持った者達が……。
うつむきながら歩く澪の背後に影が迫る。
あたりには人気が無く、お世辞にも人通りがある道とは言えない。
いつもならば避けて通るはずだが、今日の澪にはそこまで頭が回るはずも無い。
影が一斉に澪に飛びかかる。
澪の叫び声があたりに響き渡る。
それから数時間後、遠野家に一本の電話がなる。
内容は言うまでも無く澪の身柄の拘束。
要求は、何もなかった………。
ただ漠然とした不安だけがその場を凍りつかせた。
真が澪の誘拐の事実を知ったのは、日付が変わろうとしている時間帯だった。
「どう言う事ですか!」
いつもの真とは思えないほどの声量でそう叫ぶ。
目の前には瀬田の姿がある。
「さっき、遠野さんの所から連絡が入ったんだ……」
瀬田の顔も明らかに青ざめている。
「それで、相手側の要求は何なんですか!」
語気を弱めずに瀬田に食いかかる真。
「詳しい事は何も……」
そう言って瀬田が下を向く。
「詳しい事は何もわからないなんてっ」
なおも真が瀬田に食い下がろうとしていると、
「やめんか、真」
そう言って司が姿を表す。
「犯人からの要求は今のところ何も無いんだそうだ。瀬田にあたっても致し方ない」
真が祖父の方へと向き直る。
「でも、……一体誰が……」
真の問いに答えられるものはいるわけも無く、重苦しい沈黙がその場を支配する。
「とにかく、わしはあちらの方に行くことにする。お前はどうする?」
沈黙を破った司がそう口にする。
「私は……、残ります」
先程とは打って変わって神妙な口調になってそう答える。
「……そうか」
司はそれだけ言うと玄関の方へと歩いて行く。
玄関が開くと、外から重低音が響いてくる。
「この音は……」
その音を聞いた真が外に出てくる。
「近所迷惑な音だな」
司が顔をしかめる。
「やっぱり刃ですか」
真がそうつぶやく。
司はしばし考えてから納得したような顔をして去っていく。
司と入れ替わりに刃がバイクを止めてこちらに向かって来る。
「どうしたんですか、こんな夜中に?」
走ってやって来た刃にそう言う。
「どうしたんですかじゃねぇだろ!」
開口一番そう叫ぶ。
「その口調だと、知ってるみたいですね」
勤めて冷静にそう言う。
「あぁ、聖さんから連絡が入った」
そうですか、と言ってから刃に中に入るように促す。
真の後に続いて中に入ると、真の部屋に入っていく。
「で、どうしてここに?」
自分の部屋に刃を招き入れてすぐに切り出す。
「ちょっと聞きたいことがあってな」
畳にどかっと座りそう言う。
「何ですか?」
真も座りながらこたえる。
「犯人の目星はついてるのか?」
刃の質問に首を横に振る。
「そうか……、実は聖さんの情報でちょっと気になる事があってな」
「どういう事ですか?」
刃は一呼吸入れて話し出す。
「あくまで俺の推測なんだが、今回の誘拐の犯人は奴らじゃないかと思ってる。」
「奴らと言うと、あの事件の時の?」
真がそう聞き返す。
刃は軽くうなづき続ける。
「そうだ、奴らだ。最近の事件の黒幕は奴らと見ても間違い無いだろう? 時期的に見ても奴らで間違いない」
「しかし、何故澪なんですか? 澪は前回の事件の時にもほとんど関わってないじゃないですか」
真があくまで冷静に言ってくる。
「そこだ、最近の奴らの動きは無駄がまったく無い。お前達の動きをまるで知ってるようにな……」
「確かに、……スパイが居ると?」
真が半信半疑と言った感じで答えてくる。
「多分な。とすると澪の存在が知られていてもおかしくは無い。でだ、今回の誘拐はこちらがわの動きを制限させるためにやってるんじゃないかとも思ってる。何の為にやっているかはわからねーけどな」
刃の説明を聞き終わって、真はしばし考え込む。
「確かにそうも考えられますね」
「あぁ、まだ推測の域は出ね―けどな。まぁ問題はこれからどうするかだな」
そう言うと刃は立ちあがる。
「帰るんですか?」
「あぁ、調べてみたい事がある」
真も立ちあがり玄関の方に向かう。
外に出てしばらく歩く。
不意に刃が立ち止まり真の方を向く。
「真……」
刃が立ち止まったのにあわせて真も止まる。
「何ですか」
幾分かは落ち着いているが、やはり顔が青ざめているのがはっきり分かる。
「こんな時に言う事じゃないんだろうけどよ、最近どうしたんだ?」
真は不思議そうな顔をして答える。
「何の事ですか?」
「澪の事だ。あからさまに避けてただろう」
刃はそう言うと真を見つめる。
「別に…、そう言うわけでは……」
真の答えを聞いて、ため息をつく。
「まぁ、お前がそう言うんならそれでも良いけどな。これだけは言っとく、今回の事はお前にも原因があるんじゃないのか?」
「どう言う、意味ですか」
真の言葉が冷めたものになってくる。
「言ったまんまだ。お前だって気付いてたんだろう?それだけだ」
言うだけ言うと刃は今度は一人で歩き去る。
刃が帰っていくのを見送りながら、真は立ち尽くしている。
刃のバイクが遠ざかっていく音が聞こえてくる。
「そんな事……、分かっていますよ」
誰に聞かせるでもなくそうつぶやく。
その時、真の周りの空気がざわめく。
一瞬目も眩むような突風が吹き、真の目の前には一人の人物が立っている。
正確には人ではなかった。
「咲夜さん……」
一陣の風と共に現れた女性にそう呼びかける真。
「……お前、本当に分かっているのか?」
忽然と現れた咲夜と呼ばれる女性の双眸に見入られて、真は何も答える事はできなかった。 |