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15
 周りを包み込んだ、闇。
 「ここは……どこ……?」
 震える声で、澪は、そう呟いた。
 果たして、自分の目が見えているのか、それとも見えていないのか――それすらの判別もつかないほどの、濃い闇の中。
 ふらふらとおぼつかない足取りで一歩踏み出すごとに、背筋が凍りそうな悪寒が走る。
 何も、見えない。そして、何も、ない。
 自分のほかには何者も存在していない――生まれて初めて感じたその恐怖に、澪は見を震わせる。
 「真……」
 あまりの心細さに、我知らず、澪は真の名を呼んだ。
 「真……怖いよぅ……」
 次第にか細くなっていく、自分の声。
 いつもなら真っ先に駆けつけ、そしていつもそばにいてくれたはずの真は、今、此処にはいない。
 と。
 不意に、小さな明かりが灯った。
 「何、あれ……?」
 はるか遠くに現れたその光は、ゆらゆらと揺らめきながら、こちらへと向かってくる。
 それはだんだんと大きく、はっきりと見えるようになり――そして、澪の少し手前で、止まった。
 「真……?」
 我知らず、澪は呟く。
 明かりの向こうに、無表情で立っているのは、紛れもなく。
 「真? 真なの!?」
 澪の表情に、ぱっと光がさす。
 萎えていた力をもう一度振り絞って、真に駆け寄ろうとしたが――それは、叶わなかった。
 距離が、縮まらない。
 手を伸ばせばすぐにでも届きそうなところにいる真に、触れることすら、出来ない。
 もっと身近で、真を感じていたい。
 それなのに。
 「どうして……どうして……?」
 がっくりと、澪は地面に膝をつく。
 走れるだけ走り、息が上がってしまった身体は、もう、動けない。
 すがるような瞳で見上げる、澪。
 明かりの向こうに見える真の表情はどこまでも冷たく――そしてそのまま、彼は姿を消した。
 「真……?」
 再び包み込まれた闇の中で、澪は目を大きく見開く。
 「行かないで……お願いだから、私のそばにいてよ……!」


 「真!」


 ひときわ大きく叫んだのと同時に、澪は周りの様子が一変しているのに気付いた。
 「目が覚めたようね」
 聞き覚えのない女性の声に振り向くと、そこには青い目をした、妙齢の女性が座っている。
 「悪い夢でも見てたのかしら。ひどくうなされてわね」
 かすかに笑みを浮かべる女性の言葉に、澪はようやく夢を見ていたことに気付く。
 ハッとして周りを見回すと、そこは、道路を猛スピードで走っている車の中。
 (そっか……私、学校からの帰り道に……)
 自分が捕らわれの身になっていたということを、澪はようやく思い出す。
 窓越しに外を見ると、どうやら眠っている間に真夜中になってしまったのか、車もほとんど走っていない。
 氷浦市の中心街を走っているらしい、ということは、矢のように通り過ぎる風景から、何とか判断がついた。
 と。
 「もうすぐだ」
 男の声がしたかと思うと、車が急に減速を始める。
 「分かっているとは思うけど、妙な気は起こさないほうがいいわよ。場合によっては、本当に痛い目を見ることになるわ」
 あまり感情のこもっていない声で、女が何か固いものを澪の身体に押し付ける。
 「………!」
 脇腹に押し付けられていたのは、紛れもない、拳銃の銃口であった。
 「おとなしくしていなさい。それがあなたの身の為よ」
 なおも感情のこもらない女の声に、澪は図らずとも、相手の顔を見つめる。
 「……いいわね?」
 頷いて、目が合った瞬間。
 澪はその場に縫い付けられたように、動けなくなった。
 どこまでも冷たい光を湛えた、その瞳。
 彼女と同じような光を、澪はかつて、真の瞳の中に見たことがあったような――そんな気がした。


 その頃。
 澪が誘拐されたという急報を受けた夢人は、行きつけのファミリーレストランの席で刃と落ち合っていた。
 「……それで、真君はどうしてるんだい?」
 「あいつは……神社に残ってますよ」
 尋ねた夢人に、刃が吐き捨てるように答える。
 「そうか……意外と言うかやっぱりと言うか……こういうときでも冷静だな、彼も。ココでやるべきことをわきまえている」
 「ココでやるべき……ことすか?」
 意外そうに尋ねた刃に、夢人は頷く。
 「澪ちゃんの誘拐は、言ってみれば最も効果的な陽動作戦だ。JGBAにしろ、俺たちにしろ、相手は結界を破壊しにくるものだとばかり思っていた。その隙を突いて、最も関係がなさそうに見える澪ちゃんを誘拐する……見事、としか言いようがないな。こちらの注意をあらかたそちらのほうに向けることが出来るし――何より、真君と相対した時に、最大の武器として使える。そして、真君が逆上して澪ちゃんを探しに出かけようものなら、しめたものさ。糺宮神社の結界を労せずして破壊できるからね」
 「じゃぁ、そこまで読んだ上で、真は神社から動かなかった、って言うんですか?」
 「その可能性が高いだろうね」
 一旦言葉を切ると、夢人は運ばれてきたコーヒーを一口すする。
 「……むしろ、俺はよくココで真君が神社を離れなかったものだ、と感心しているよ。彼の性格からして、とっくの昔にキレてしまっていてもおかしくないと思うんだけどね」
 「確かに……」
 重苦しい表情で、刃は湯気の立つコーヒーカップを見つめる。
 「さて……これからどうするか、だけどね」
 「澪を探すんじゃないんすか?」
 「いや……彼女は探すまでもなく、奴らが連れてきてくれるはずだ。恐らくは、船津八幡神社に、ね」
 「船津八幡神社……」
 「これまでの経緯からして、相田という男は葛城さんに対して相当な恨みを持ってると見ていい。となると……先に葛城さんをつぶしに行くと思うんだが」
 それを聞いて、刃は勢いよく席を立とうとする。
 が。
 「待った」
 「………?」
 「こうなったからには、こちらもそれ相応の準備をしておいたほうがいい。相田の私兵がいるのは目に見えている」
 「でも……!」
 「いいか、刃君」
 いてもたってもいられない、といった風の刃を、夢人が諭す。
 「これは、氷浦に張られた結界を巡る戦いだ。当然のことながら、単純な人と人とのぶつかり合いだけでなく、異なる霊的な力がせめぎ合うことになる。君が武術に優れていることは認めるが、それだけではだめなんだ。せめて、初歩的な霊的防御くらいは施しておかないと、澪ちゃんを助けるどころか、逆に君の身が危ない。……前回のようにいくとは思わないほうがいい」
 「……わかりました」
 憮然とした表情ながらも、浮かせた腰を戻す刃。
 「……それではまず、編集部まで行こうか。あそこなら、何らかの防御対策を講じることが出来るだろうから」
 そう言うと、夢人は残ったコーヒーを一息に飲み干す。
 いつも飲み慣れたコーヒーも、今夜ばかりは、ひどい苦味しか感じられない。


 「……来たようだな」
 正殿の中でじっと瞑想に耽っていた葛城は、かすかに聞こえてきた車のエンジン音に、ゆっくりを目を開いた。
 既に、妻と二人の娘はJGBAの施設に非難させてある。
 残っているのは、葛城と父の俊晴、そして二人の祈祷所員――和美と、稲葉の四人だ。
 「――俊信」
 格子戸の向こうから、俊晴が声をかける。
 「ああ……分かっている」
 傍らに置いてあった日本刀を手に取ると、ゆっくりと立ち上がる。
 「今度という今度は――絶対に許さん」


 「降りろ」
 車を運転していた男にそう命じられて、澪はおぼつかない足取りで外に出た。
 両手を縛られたうえ、長時間車に乗っていたせいで凝り固まっていた足が、思うように動かない。
 「歩くんだ」
 別の男が、澪の背中に拳銃を突きつける。
 月明りすらほとんど届かない、真っ暗闇である。
 時折そよぐ風に、周りの木々がざわめく。それはまるで、捕らわれの身となった彼女を嘲笑うかのよう。
 「……行くぞ」
 傍らにいた男が、低く、そう呟いた。


 「やはり、お前か」
 鳥居をくぐって現れた男に、葛城がはき捨てるように呟く。
 「葛城……前回は貴様のトラップにしてやられたが、今回はそうは行かぬ」
 ニヤリ、と笑いながら、相田がゆっくりと手にした日本刀を抜き放つ。
 「フン……望みとあらば何度でも吹き飛ばしてやるぞ」
 ゆっくりと、葛城が地面に手を付ける。
 「ほう……人質もろとも吹き飛ばすつもりか。それもまた一興というものだ」
 余裕すら伺える笑みを浮かべ、相田がちらり、と後ろを見やる。
 屈強な男にはさまれ、両手を縛られた澪が、怯えきった表情でこちらを見つめている。予想できたこととはいえ、これでは相田もろとも私兵たちを吹き飛ばすわけには行かない。
 「くっ……」
 短く舌を打って、葛城は地面から手を離した。
 「来い。サシで、勝負をつけてやる」
 ニヤリ、と笑い、手招きをする相田。
 「……よかろう」
 意を決したように、葛城が日本刀を抜き放つ。
 「……親父」
 傍らに控えていた俊晴を、葛城は見やる。
 「手出し、無用」
 「承知」
 短く俊晴が頷いた、その瞬間。
 葛城は一気に、間合いを詰めにかかっていた。


 同じ頃。
 糺宮神社の境内では、陰惨な光景が広がっていた。
 地面に倒れ伏しているのは、いずれも相田の私兵である。
 中には、明らかに絶命している者もある。
 いずれにしろ、満足に動けるものは、いない。
 「……どういうつもりです?」
 わずかに首をかしげて、真は尋ねた。
 「単に相田のやり方が気に食わなかっただけよ」
 「それで、造反ですか。それにしては、手ひどいような気がしますけれど」
 かすかに、笑ったように見える。
 深夜にもかかわらずサングラスをかけた真の表情は、こちらからは推し量ることが出来ない。
 「……それよりこの始末、どうつけてくれるんです?」
 ゆっくりと、真は周囲を見渡す。
 まさに、陰惨、の一言に尽きた。
 三十はくだらない数の男が、うめき声をあげながらそこかしこに横たわっている。すべて、目の前にいる女――アミア・ベル・レイジーンの銃弾に倒れた者たちだ。
 相田の私兵どもと時を同じくして現れたアミアを、真は最初、自分に加勢しにやってきたものだと判じた。
 当然である。
 つい先日までJGBAの会議に出席し、相田対策を話し合っていた彼女のこと。真がすべてを悟るまでに、それ相応の時間を要したとしても、この場合は仕方のないことであろう。
 だが。
 それはまず、アミアの銃撃に対する、私兵たちの滑稽とも言える狼狽ぶりによって、疑念を抱くこととなった。
 表情一つ変えず、たった一発の銃弾で私兵を沈めていく彼女の凶行に、私兵たちは何一つ抵抗らしい抵抗を見せることなく、全滅したのである。如何に不意を衝かれたとはいえ、初めから敵と認識していれば、もう少しましな抵抗が出来たはずである。
 しかし、私兵たちはそれすらも出来なかった。そして、事此処に至って、真はようやく全てを理解する。
 つまり、アミアはJGBAに潜入した相田の手先で――それが、何らかの理由で造反したのだ。
 そして、今の状況が、ある。
 「心配する必要はないわ」
 クスリ、と微笑って、アミアは答える。
 「もうすぐ、私が手配した部隊がくることになっているわ。……相田とは別系統の、ね」
 「その部隊が後始末をすることになっている、と?」
 「まぁ、簡単に言えばそういうことになるかしら」
 真偽を判じかねている――そういった風に、真は首を傾げる。
 「……それより、あなたはこんなところで油を売っててもいいわけ?」
 「……何の事です」
 「誘拐された女の子の事にきまっているじゃないの。……彼女、相田に連れられて船津八幡神社にいるはずだけど、助けに行かなくていいのかしら」
 アミアの言葉に真は応えることなく、押し黙る。
 「ああ、此処の封印のことなら、私はどうこうするつもりはないわ。今更相田の酔狂ぶりに付き合う義理はないわけだし。……それとも、善後の為に私を潰していくつもりかしら」
 余裕ともいえるアミアの言に、真は一瞬戦闘体制に入ろうとしたが、やめた。
 「どうしたの? やめておく?」
 真の動きにあわせて、アミアの身体からもとんでもない霊力がほとばしっている。
 それは、真と同レベル……もしくは、上を行くかも知れなかった。
 どう考えても、よくて相打ち、悪ければ……死、或いは、再起不能。
 そう判じた真は、ゆっくりと、身体の緊張を解く。
 「それでいいわ」
 にっこりと、アミアが笑う。
 「アミアさん……この件、借りておきます」


 「チッ、遅かったか!?」
 船津八幡神社の境内に入った刃と夢人は、図らずとも舌を打った。
 地面にはズタボロになった葛城が倒れ伏し、一人の老人と若い男女が私兵たちと戦っている。
 戦況は乱戦模様――ではなく、どちらかと言えば、相田の私兵たちが一方的な戦いを繰り広げていた。数が多い上に、遠慮なしに銃撃してくる。それに対し、老人たち三人は、明らかに不慣れな戦いを強いられていた。タチの悪い霊相手ならばともかく、生身の人間相手となるとどうしても攻撃の手が鈍ってしまう。所詮、三人は退魔士なのだ。
 「おい!! おっさん、大丈夫か!?」
 私兵たちの攻撃をかいくぐった刃が、葛城を抱き起こす。
 「……榊、か?」
 「ああ、そうだ。あんたがこんなざまになっちまうなんて、一体何が起こったんだ?」
 「澪ちゃんが……奴らの手の内にある」
 「澪が!?」
 「人質がいてはどうしようもなかった……最も、言い訳にもならんがな」
 「くっ……」
 ものすごい形相で、刃があたりを見回す。
 「刃君、あそこだ」
 いつの間にかそばによってきていた夢人が、正殿のほうを指し示す。
 「澪……!」
 そこには、両手を縛られ、両脇を屈強な男にはさまれた澪がいた。すでに疲労が極限のところまで来ているのか、虚ろな目でこちらを見つめている。
 「まずいな……かなり疲れてる。あのままだとひどい事になるぞ」
 顔をしかめて、夢人が一人ごちる。
 もう一度、刃は周りの状況を把握しようとあたりを見回した。
 老人たち三人は、ともに私兵の相手をするのに精一杯で、とてもではないが澪の事にまで手が廻るような状況ではない。
 こちらとの距離は、ざっと15mから20m。
 不意打ちをかけようと思えばかけられる距離だったが、すでに向こうも刃たちの存在に気付いている。下手なマネをすれば、それこそ澪の命が危ない。
 それよりも気がかりなのは、相田の所在だった。
 境内のどこを見回しても、相田の姿が見当たらない。
 となると――。
 「奴は、本殿の中だ……」
 再び目をあけた葛城が、刃に告げる。
 「……奴は、本殿の中にある封印を破ろうとしている」
 「封印を……?」
 「……それは、氷浦市内に張られた結界のキーとなる封印ですか」
 ハッとしたような表情で尋ねた夢人を、葛城は暫く怪訝な表情で見つめていたが、やがて
 「そうだ」
 と頷く。
 「じゃぁ、それだけでも何とかして止めないと……。刃君」
 立ち上がった夢人と刃が、正殿に突入しようと身構える。
 が。
 「無駄だ」
 一足早く、相田が格子戸を蹴破るようにして正殿の中から現れる。
 「封印は既にこの手にある」
 「何!?」
 彼の手に握られた、古ぼけた鏡。
 相田はそれを、思いっきり参道にたたきつけた。


 「……風が変わった」
 ふと、咲夜が呟く。
 「覚悟はよいか? この鳥居をくぐれば、もはや後戻りは叶わぬ」
 傍らにいる真を見やり、咲夜は楽しげな表情で尋ねる。
 「………」
 「フン、事此処に至って、面白味のない奴だ」
 その沈黙を肯定の意と取ったのか、押し黙ったまま一言も言葉を発しない真を、咲夜は嘲るように笑う。
 「行くがいい」
 そう言うと、咲夜は真の背を、そっと、押した。


 「フン。JGBAご自慢のアサルトユニットのご到着か」
 単身戦場に姿を現した人影に、相田は唇をゆがめて笑った。
 全身黒づくめの服装に、同じく黒いサングラス。
 真であった。
 それに気付いた私兵たちの幾人かが、手に手に物騒なものを持って間合いを詰めにかかる。
 「死ねっ」
 私兵の一人が、そう叫んだ瞬間。
 「げっ?」
 「がっ!」
 「ぐ……っ」
 と、それぞれ聞くに耐えぬうめき声をあげて、地面に落下した。
 「む……?」
 真に襲い掛かったのは、いずれも腕利きの手練である。
 そんな馬鹿な……という表情が、相田の顔に一瞬浮かぶ。
 「な、何をやったんだ、あいつ……」
 傍らで見ていた刃も驚きの表情を隠せない。
 「……小太刀、か」
 真の手に握られているモノをみて、夢人が呟く。
 彼の言うとおり、真の手には小太刀が握られていた。その小太刀で、飛び掛ってきた私兵たちを一瞬のうちになぎ倒してしまったのだ。
 「………」
 無言のままで、真はその場に佇んでいる。
 その華奢な体躯から、すさまじい霊気がほとばしっているのが分かる。
 「まさか、これほどまでとは……」
 ゾクリ、と、夢人は寒気が走るのを感じた。
 震えが、止まらない。
 と。
 「フフフ……どうした、青年。怖い蛇にでも睨まれたのか?」
 「何?」
 不意に女性の声がして、夢人と刃が振り返る。
 いつの間にか妙齢の女性が現れ、冷ややかな笑みを浮かべている。
 「誰だ、あんた」
 さりげなく身構えながら、刃が尋ねる。
 が、あっさりそれを無視した女は、つかつかと葛城の所まで歩み寄ると、フン、と鼻を鳴らした。
 「やはり、葛城の若当主か。暫く見ないうちに年を食ったな」
 「あ、あなたは……!」
 葛城の目が、大きく見開かれる。
 あの女が――何故、此処にいる?
 「咲夜だ」
 短く、女が応える。
 「さく…や?」
 怪訝そうな面持ちで、葛城は女を見つめる。
 彼女がニィ、と笑う。
 「真がくれた名だ。結構気に入っている」
 「それでは、真君は……!」
 「勘違いするな。確かに、あのしょうもない男には力を貸していたし、私がそっぽを向いたおかげでつまらん死に方をしたのも事実だ。……だが、真の場合は違うぞ。私は一時的に「蓋」をはずしてやったに過ぎん」
 「しかし……」
 何がしかの事を言いかけた葛城に、咲夜は心配するな、とでも言うように軽く首を振る。
 「それより、ここは船津八幡の境内であろう? 若当主のお前がこんなところで伸びていていいのか?」
 さも楽しそうな口調で、咲夜は続ける。
 「……もっとも、人質もろとも吹き飛ばすようなことはできないお前のことだ。最後の最後で人質をたてに取られてこのざま、という見方のほうが正しいか」
 「く……」
 彼女の言うことが全てあたっているだけに、葛城は返す言葉もない。
 「おい、さっきから何をわけのわかんないことを話してるんだ?」
 ニヤリ、と笑った女の後ろから、刃が苛立たしそうな声をあげる。
 が、女はそれには答えず、その隣の夢人に声をかける。
 「そこの青年」
 「お、俺……か?」
 「お前の他に誰がいる」
 冷ややかな目で、咲夜は夢人を見据える。
 「この中では、お前が一番干渉を受けやすい。せいぜい注意しておくことだ」
 「干渉を受ける? 何のことだ?」
 わけがわからない、といった顔で聞き返す夢人。
 「説明する暇などない。始まるぞ」
 咲夜が、形のいいあごをしゃくって示す。
 つられて振り返ると、相田と真が、まさに一触即発の状態でにらみ合っていた。


 これで助かる、と思った。
 ものすごい勢いで駆け込んできた、真。
 きっと、来てくれる。
 ずっと、そう願っていた。そして、その願いは通じた――通じた、はずだった。
 けれど。
 入り口に佇んでいた真は、襲い掛かった男たちを一瞬のうちになぎ払い、沈黙させた。
 あれは、真なのだろうか。本当に、真なのだろうか?
 澪の知らない、「もう一人の真」が、そこにはいた。


 澪は初めて、真に恐怖心を抱いた――。


 「人をゴミのように切り捨てるとは、だいぶ化けの皮がはがれているようだな」
 ニヤリ、と、相田が不気味な笑みを浮かべる。
 「降りかかる火の粉は自分で払わなきゃいけない――たまたま、降りかかったのが人間だった、というだけさ」
 抑揚のない声で、真が応える。
 サングラスの奥にしまいこまれた瞳の色は、窺い知ることが出来ない。
 どのような表情で相田を見据えているのか――それは、真のほかには、誰にもわからなかった。
 「フフフ……これでお前を倒すのが楽しみになってきたというものだ」
 言いながら、相田が手にした日本刀をゆっくりと抜き放つ。
 「勘違いしちゃいけない。この場に倒れるのはあなたのほうだ」
 フフ、と、真が笑う。
 「それに、くだらない御託はもうたくさんだ。……今すぐ倒してしてやるから、かかってこい」
 真が言い放った、その瞬間。
 「こしゃくな!」
 相田が顔をゆがめて、真に襲い掛かる。
 ガキィンッ!
 振り下ろされた刀を、真が小太刀で受け止める。
 「ふん、どうした? 押されているぞ」
 ニヤリ、と相田が笑う。
 やはり体格の差は如何ともしがたいのか、相田の刀が、じりじりと真の顔に近づいていく。
 が。
 真が妙な言葉を口走った、その瞬間。
 「ぐっ!?」
 相田の身体が、宙を舞った。
 そのまま、数メートル離れたところまで、相田は吹き飛ばされる。
 「く……っ。なかなかやるようだな。こうでなくては倒しがいがない」
 よろめきながらも何とか立ち上がる相田に、真はニィ、と笑みを浮かべ、
 「減らず口だけはまわるようだね」
 そういうと、まだ体勢が整っていない相田に向けて、一気に距離を詰めにかかる。
 「そうはさせん!」
 と、相田がとっさにためていた霊気を放つ。
 素人目にもそれと分かる光弾が次々と発生し、真に襲い掛かったが――
 『――散』
 真が呟くのと同時に、相田の放った光が四散する。
 「何ぃっ!?」
 相田の顔が、驚愕にゆがむ。
 「そんな霊弾が通用するわけないだろう?」
 ドゴォッ。
 真の小太刀が、硬直した相田の胴を横なぎにする。
 「ぐ……ッ」
 「さっきまでの余裕はどうしたんだい?」
 ニィ、と、真が笑みを浮かべる。
 「なめるなぁッ!!」
 顔をゆがめながら、相田は真を蹴り飛ばす。
 きっちりとそれをブロックした真は、その勢いに逆らうことなく間合いを離す。
 「失望した。あなたの力とは、そんなものか?」
 立ち上がった真は、余裕すらうかがえる笑みをもらしていた。


 「あれが……真、なのか?」
 呆然とした表情で、刃が呟く。
 「あれが、ではない。あれも真なのだ」
 「あれも真、だって?」
 刃の言葉に、咲夜が頷く。
 「お前の知っている真と、今の真。両方とも真であることにかわりはない。そして、ここにいるほとんどの人間が、今の真を知らなかった――ただ、それだけのコト。そして、それは真自らが選んだことだ」
 「何のことだかさっぱり分かんねーぞ」
 「つまり……簡単に言うと、澪ちゃんが今の真君を見て、それを受け入れることが出来るかどうか、ということさ」
 憮然とした表情の刃に、夢人が答える。
 「身近な人間の豹変――それをすんなりと受け入れることが出来るほど人の心は丈夫じゃない。大方の場合はひどいショックを受けて半狂乱になったり、存在そのものを拒絶したりする。それでもなお、真君はモードを切り替えた……そういうことさ」
 「まさか……澪に限って、そんなことは……」
 「ないと言い切れるのか? 笑わせるな。人の心など、所詮はその程度のモノだ」
 クックックッ、と、咲夜が肩を震わせながら笑う。
 「それじゃぁ、真があんまりじゃねーか! せっかく助けに来ても、澪がそれを受け入れなければだめだっていうのかよ」
 「フン。そのようなこと、私の知ったことではないわ。そもそもお前が出る幕ではなかろう?」
 「何ぃッ!?」
 「よせ、榊!」
 逆上した刃が、葛城の静止も聞かずに咲夜に殴りかかる。
 「どこまでもうるさい奴だ」
 蔑むような目で一瞥したかと思うと、咲夜はたかったハエを振り払うかのように、無造作に振り払う。
 「グ……ッ!?」
 こともなげに、刃が吹き飛ばされる。
 「こ、こいつ……」
 「もうよせ、刃君」
 背中をしたたかに打ちつけ、うめき声をあげながら起き上がる刃を、夢人が制する。
 「梓瞳さん……」
 「事此処に至ったからには……もう、澪ちゃんを信じるしかない。それしか、方法がないんだ」
 「フフフ……物分りがよいのは美徳のうちだ」
 「そりゃぁ……どうも」
 「物分りのよいついでに、そろそろここから逃げ出したらどうだ? お前の身体、だいぶ干渉を受けているぞ」
 「………!?」
 咲夜の言葉に、夢人の顔色がさっと青ざめる。
 「お前の身体、どうやら真の持つ霊力に対して一方的に相性が悪い。そこで伸びていた若当主や威勢だけいい少年ならいざ知らず、お前のような半端なコトしかできない奴には致命的だ」
 「すべてお見通し、ってわけか……」
 冷や汗をぬぐいながら、夢人が呟く。
 「……だが、ここは残らせてもらう。ここで逃げたとなりゃぁ、後で後悔するのが目に見えてるからな」
 ニィ、と、夢人が引きつった笑みを浮かべる。
 「……勝手にしろ」
 付き合いきれん、といった風に、咲夜は視線を戻す。
 「そろそろ決着を付けねば……まずいことになるぞ、真?」
 そう呟いた彼女の瞳は、明らかに、この戦いを楽しんでいた――。


 荒い息をついて、相田がようやく体勢を立て直す。
 「貴様……ただでは済まさんぞ」
 ものすごい形相で睨みつける相田に、真はゆっくりと小太刀を構えなおす。
 「今度は、こちらからだ」
 言うが早いか、一度離した間合いを一気に詰めにかかる。
 キィン、という音とともに、真の小太刀が相田の刀に撥ね返される。
 さらに続く、息をつかせぬ斬撃の数々。
 相田はその全てを受け、流し、あるいは撥ね返すと、真が一度離れようとしたところを逃さず、反撃に転じる。少々危ういところはあるものの、それでも真は相田の太刀筋を読み切り、振り下ろされる刃を受け止めていく。
 「ハッ!」
 澄んだ音とともに、相田の刀が跳ね飛ばされ、大きく体勢が崩れる。
 このままでは埒があかぬと見たか、真が相田の太刀筋を崩し、再び間合いを離しにかかったのだ。
 が。
 ニヤリ、と、相田が笑った。
 「食らえッ!」
 「!」
 ドン、という音ともに、真の身体が吹き飛ばされる。
 相田の誘いの手であった。
 打ち合っても一向に勝負がつかないこの状態を有利に脱するために、わざと隙を作り、真に太刀筋を崩させたのだ。
 真が間合いを離そうと一瞬無防備になる瞬間を狙った、相田の作戦であった。
 「………」
 無難に着地をした真は、ふと、かけていたサングラスがなくなっているのに気付く。
 相田が放った霊弾を受けた拍子に、吹き飛んでいた。
 その瞬間。
 場の雰囲気が、一変する。
 「くっ……」
 真を中心に、禍々しい風が吹き抜ける。
 「な、何が起こったんだ……?」
 思わず目をかばいながら、刃が誰にともなく尋ねる。
 「こ、これは……」
 ようやく立ち上がった葛城が、青ざめた表情で、あたりを見回す。
 「いいか、榊……それから、横の、彼もだ。真君の目を……見るな」
 「真の目を見るな……?」
 「説明している暇はない。とにかく、見るな」
 そう言って、葛城は再び視線を戻す。
 相田の表情が恐怖に引きつったまま、凍りついていた。
 (な、何が起こったというのだ……体が、動かない!)
 彼は、見た。
 真が起き上がったところに、さらに手ひどい一撃を加えてやろうと待ち構えていたところだった。
 だが。
 それは叶わなかった。
 真紅に染まった瞳に見据えられ、そして自ら目を合わせた、その瞬間。全てがその場に縫い付けられたように、指一本、動かすことが出来なくなり、そして――。
 『――斬』
 真が低く、呟く。
 「があぁあぁぁぁァッ!!?」
 その瞬間。
 真正面から、相田は目に見えぬ刃による斬撃を受けていた。
 肩口から袈裟懸けに入ったそれは、まるで虚空を断ち切るかのように、何の抵抗もなく相田の身体を切り抜ける。
 おびただしい血が噴き出し、瞬く間に地面を紅に染める。
 それより数瞬おくれて、相田の背後にいた私兵たちが、次々と血飛沫をあげて倒れ伏した。
 まるでドミノ倒しのように私兵たちは次々と倒れ――そして、澪の脇を固めていた私兵までもが、血みどろになって倒れ伏す。
 一瞬のうちの、殺戮。
 「こんな……馬鹿な……」
 呆然とした顔で立ち尽くす、相田。
 「まさか……全滅……とは……」
 激痛にかすむ視界の中で、真の瞳が、紅く輝いている。
 「このままでは……このままでは、絶対に……」
 終わらんぞ、と、最後は声にならぬ声で呟いて、相田が倒れ伏す。
 その、瞬間。
 静寂に包まれた神社の中に、澪の悲鳴が、こだました。


 血の雨が降った。
 悲鳴をあげる間もなく、次々と血みどろになって倒れた男たち。
 声の限りを尽くした悲鳴をあげて、その場にへたり込む、澪。
 目が、合う。
 表情のない、紅い瞳。
 どこまでも冷たい光しか発する事の出来ぬその瞳は、もはや、人間のものではなく――正視に耐えるものではない。
 我知らず、澪は首を振った。
 「……ないで……」
 震える声。
 「来ないで!」
 搾り出すようにして出した言葉が、周囲を圧するように響く。
 「来ないで…来ないで……どこかへ…行って……」
 呪詛のように繰り返しながら、澪は、泣き崩れた。


 「澪……」
 愕然とした表情で、刃がそれを見つめる。
 最悪の状況だった。
 立ち尽くす、真。
 と。
 「どうやら、邪魔が入ったらしい」
 ポツリ、と、咲夜が呟く。
 「邪魔……?」
 「……どうやら、広特の手がまわったようだな」
 あたりに耳を済ませていた葛城が、軽く舌を打つ。
 やがて、刃や夢人の耳にも、はっきりとサイレンの音が聞こえてくる。
 「行くぞ、真……これ以上ここにいても、何もすることはあるまい」
 そう言うと、咲夜は落ちていたサングラスを拾い、真に投げてよこす。
 「………」
 無言のままそれを受け取ると、真は小太刀を鞘に納め、サングラスをかける。
 「……おい、このまま逃げる気かよ」
 咲夜の後を追うようにして、神社を後にする真。
 その肩を、刃がつかむ。
 「このまま逃げる気か、って言ってんだよ……」
 「……悪いが、その手を離してくれないか」
 「何ィッ!?」
 「今は、あなたにかまっている暇はないんだ。……手を、離してもらおうか?」
 「…………」
 どこまでも冷めた口調の真に気圧されたかのように、刃は肩から手を離す。
 「ありがとう。恩に着るよ」
 微かに笑うと、真はそのまま、闇の向こうへと、消えた。


 この戦い、重軽傷者37人、死者0人。
 死人が出なかったのが不思議なくらいの惨状だった、と、事後処理にあたった氷浦警察署広域特務課の報告書には、そう記されている。


 翌朝。
 まだ日が昇る前にもかかわらず、織姫家のガレージではすでに、車のエンジンがいつでも発進できる状態で温められていた。
 「……傷心の旅にでも出るつもりか?」
 「咲夜……さん」
 何の前触れもなく姿を表した咲夜に、真は驚きの表情を隠せぬまま、立ち上がる。
 「ご丁寧に車まで変えてくるとは、よほど念入りに行方不明になりたいと見える。……この分では、当然愛しの君にも連絡はしていないんだろうな」
 「…………」
 押しだまる真に、咲夜は肩を震わせながら、笑う。
 「お前はやはり、そちらのほうがからかいがいがある。当分、あのようなことはするなよ」
 そう言うと、咲夜は助手席のドアを開けると、済ました顔でシートに滑り込む。
 「咲夜さん?」
 怪訝な顔で窓から顔をのぞかせた真を、咲夜がピン、と指ではじく。
 「人知れずに出る旅であれば……せめて、私が道連れになろう」
 「…………」
 「フフ、柄にもない顔をするな。……それよりお前、あてはあるのか?」
 ニィ、と笑う咲夜に、真も、思わず笑みをこぼす。
 「ええ……あては、ありますよ」
 そう言って、真は運転席のシートに滑り込む。
 「……西へ」
 真はゆっくりと、アクセルを踏み込んだ。
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