<<Prev.<< >> Next.>> 1 ポツポツと雨が降っている。
ついこの前までの青空が嘘のように、空にはどんよりとした雲がかかっている。
氷浦市街の中心地にある駅の構内でちょっとした事件が起きていた。
駅のホームで、数人がもめているようだった。
「ん、なんだ?」
雨が降っていたため電車で通学していた刃がその騒ぎを見つけ足を止める。
「喧嘩、って分けじゃなさそうだな」
携帯をとりだし時間を確認する。
「うーん、かかわってると遅刻だよなー……、まぁいいか」
あまり悩んだ様子も無くすでに野次馬が集まり始めている現場へと向かう。
「何があったんすか?」
周りを取り囲みつつある野次馬の一人にそうたずねる。
「ん、あぁなんか痴漢がどうのって騒いでいるようだね」
そう言うとすでに興味がうせたのか、はたまた遅刻しそうだったのかは分からないが、説明をしてくれた中年の
サラリーマンはさっていった。
「はぁ、痴漢ねぇ」
そう言いながらも、刃は当事者たちを観察する。
「私は違う!」
そう言う怒声が聞こえてくる。
声を荒げているのは、40歳前後の男だった。ざっと見た感じ、人の良さそうな顔をしている。
「嘘よ! 確かに見たわよ」
そう言って男に反論しているのは、20歳前後の女性だった。
「だから、電車の中ではカバンを持っていたし彼女とは離れていた」
先ほど反論していた女性の後ろに隠れるようにたっている制服姿の女性に向かってそう言う。
「その…、私は……」
女子学生はまともに男の顔を見ることが出来ずに、まともに答えられない。
「まったく、本人が何も言ってないじゃないか。会社があるんで行かせてもらう」
そう言うと逃げるようにその場を去ろうとする。
「待ちなさい! そう言う理屈がまかり通るものですか、私は確かにこの目で見ました」
女性がそう言って男の手を握り引き止めようとする。
「しつこい!」
その後、同じ様な会話が繰り返される。すると、騒ぎを聞きつけたらしく駅員が走ってくる。
「やっと来たか」
駅員の姿を見て刃がその場を去ろうとする。
駅員が来てしまえばすぐに解決するだろうとふんで、学校へ向かおうとする。
(今からなら、走れば間に合うか?)
一瞬そう思ったが、雨が降っていることを想いだし売店の方へ足を向ける。
「どうせ遅刻なら、ゆっくり行くか」
自分に言い訳をしながら売店の方へ向かおうとすると、先ほどの痴漢が走ってこちらに向かってくる。
後ろからは駅員が遅れて男を捕まえようと向かってきている。
「待てー!」
必死にそう叫びながら男を追いかけてくるが、待てと言われて待つはずも無く、痴漢は改札口に向かって逃げようとする。
「うーん、どうするかな?」
あと数歩のところまで男が迫ってきているなか、刃は考え込む。しばし考えたあとに刃はにやりと笑う。
人ごみを掻き分けながら逃げている痴漢が、刃の目の前をとおった瞬間に足を払う。その後、無様に転んだ男の肘関節を極めてしまう。
(遅刻の理由にはぴったりだな)
刃に腕をきめられた痴漢が暴れるが、肘が決まっているのでどうしようもない。
「くそっ、放せ!」
つばを飛ばしながらそう叫ぶ。
「おっさん、観念したほうがいいぜ」
刃がそう言うと、息を切らしながら走ってきた駅員が男を捕まえる。
「助かります」
駅員はそう言うと男を駅員室の方まで連れていってしまう。
「あのー、もう行っていいですか?」
成り行きで駅員室までついてきたが、別に何もする事もないのでそう切り出す。
「あ、すいません。申し訳ありませんがお名前をお聞きしてよろしいですか?」
駅員が聞いてくる。
「あぁ、榊って言います」
そう答える。
「それじゃ榊さん、協力ありがとうございます。この男、かなりの常習犯みたいでして」
取り押さえられている男の方を見た後、そう言ってくる。
「そうなんですか」
「あの……、榊君」
駅員と話していると、先ほど痴漢に会った女子高生が話しかけてくる。
「ん?」
「その、ありがとう」
よく見ると、女子高生の制服は聖華高校のものだった。
「えーと、俺のこと知ってる?」
自分の顔を指差しながら、そう聞く。
「榊君って有名だから」
そう言われると色々と思いつく事がある。とは言っても、自分的に見ても言い噂だとは思わなかった。
「ははは、まぁ色々やってるしな」
苦笑いしながらそう答える。
「あっ、やべぇ!そろそろ学校行かないと……」
「あ、私も……」
二人の反応を見て駅員が少し笑いながら話しかけてくる。
「二人とも、聖華高校のかたですよね?学校の方にはこちらから連絡をいれておきますよ」
「ほんとですか、助かります。出席日数やばいんですよ」
「それは良かったですね」
駅員がそう言って笑うと、電話をするために部屋を出て行く。
「さてと、んじゃ俺も行こうかね。あ、そういや名前聞いてなかった」
「あ、私は工藤沙織です」
そう自己紹介してくる。
「よろしく、俺は榊刃。っても知ってるみたいだけどね」
「私の妹が、あなたと同じ学年ですから。色々聞いてて知ってます」
そう言って、微笑む。
「妹はって……、もしかして先輩ですか?」
今更疑問符を浮かべてしまう。見た感じでは、自分より年下だと思っていたので動揺が隠せない。
「えぇ、そうなりますね」
「それより、そろそろ学校に行かないと怒られてしまいますね。良かったら一緒に行きませんか」
そう言われて、刃に断わる理由も無い。
「いいですよ」
その後二人で学校までの道のりを傘を並べて歩きながら、たわいのない話をする。
「あ、そうだった。ちょっと聞きたい事あるんですけど」
刃が唐突にそう切り出す。
「何ですか?」
沙織は首を少しばかりかしげながら聞き返してくる。
「いや、駅でいたあの女の人は知り合いじゃないんですか?」
「えぇ、そのたまたま隣にいた方なんです。それで……」
「そうなんですか?いつのまにか居なくなってたから気になったんですけど」
そんな会話をしていると、学校の正門が見えてくる。正門をくぐってすでに散ってしまった桜並木を進んでいくと玄関が見えてくる。
「それじゃ、私はここで。さっきはありがとうございました」
沙織はそう言うと、ペコリとお辞儀をして去っていく。聖華学園は学年ごとに校舎が違い、3年である沙織と刃とではまったく校舎が違うのである。
「さーてと、俺も行きますかね」
刃はそう口にすると2年の校舎の玄関へと消えていった。
ちょうどその頃、刃の兄貴分の聖は、自分の古くからの友人がこの繁華街に帰ってきた、という情報を仕入れていた。
タイミング的にはあの『織姫真』と入れ替わるかのようであり、また彼が何の為にここに戻ってきたのかも、いまだ明確ではない。
彼は、少なくとも社会人というカテゴリに容易に分類されうる人間ではないし、その情報の真偽性すらまだ図りかねている段階でもあった。
「……やはり、最近この街で奇妙な出来事が流行ってるせいだろうな」
それで聖は、その報を聞いたときについこう愚痴ってしまった。
『織姫真』の件に関しては、まだこれといった情報をつかんではいない。
だがそれもしばらくの辛抱、そう刃にも、そして自分にも言い聞かせている。
情報屋としての自分の腕と経験には、多少ならずとも自信があるからだ。
だから今は、こうして上等のワインを片手に、旧友の住んでいるらしい部屋に唯一たどり着ける、その雑居ビルの非常階段を一段ずつ、そしてゆっくりと、妹の赤い傘を差してのぼっているところなのだ。
「ふぅ……」
妹の綾香にも言われるが、最近は特に、一人で愚痴ることが多くなってきた。
(全部が全部、刃のせい、ってわけでもないんだろうがなぁ……)
そう思って苦笑する。
見下ろせば、人気の無い、朝の繁華街がある。
雨のせいでもあり、またここは自分の店と同じく繁華街の奥であるから、いつもこうなのかもしれない。
文字通り地下で活躍する聖にとっては、『階段』というものにしても、通常は地下に降りるためだけにあるのだ。
目前に迫ったうっすらと明かりの灯る部屋から、弾んだ明るい声が聞こえてくる。
「……とソノ瞬間ネッ! 痴漢ガ駅員の手を……しかもソノまま……そしてナント! ダッシュで逃ゲたのヨ!」
聖は窓から、ふと覗き込み、耳を澄ましてみる。
「もちろん、私はスグそれを追かけようとしたケド、周りの人達が邪魔! ダカラ、ソコから全然動ケなかったヨ!」
濃紫のチャイナドレスに身を包んだ女性が、その衣装を乱しながら、素足でソファの上を飛び跳ね回っている。
どうやら年はまだ若いらしい。声の感じからしても、二十歳前後といったところであろうか。
ずいぶん情緒あふれているようで、言葉づかいや容姿からしても中国系の出身のようである。
「あら……それでは痴漢さんには、そのまま逃げられてしまったんですの?」
そして向かい側のソファには、同じくらいの年恰好の和服の女性が、対照的に落ち着いた様子で座っていた。
が、おっとりと対応している様に見えて、どうやらその話に真剣に聞き入っているようでもある。
「トコロガどっコイ! 『キヲすく』の前に居タ学生が、逃ゲタ痴漢をバッと押さえたネ! モウそれは見事だったヨ!」
チャイナドレスの女性はそう言うと、ソファから空中を舞うように飛び降り、そしてさっと身構えた。
「ハァッ!」
すると、その衣装からは想像もつかない素早い動きで、痴漢取り押さえの現場の様子を、一人で再現する。
「オッサン! カンネンした方がイイゼッ!」
そして最後にビシッとポーズを決める。
「まるで雑技団だな」
聖がそう呟くと同時に、奥の方で少し仰々しい椅子に腰掛けていた男が、ポツリと何か呟いた。
「…………だ」
「ン? 何て言っタ、シロウ?」
「どうなさったのですか、詩狼さま?」
窓越しの聖には聞き取れなかったが、ついさっきまで賑やかだった部屋が、彼の一言で静寂に包まれた。
「……レイファ、マリ……客だ。」
男はそれを確認すると、くわえていた葉巻で聖が覗いていた窓を示し、同室の二人の女性の視線を促す。
「……長髪の男が覗きをすると……目立つな。」
それを聞いた聖は、目の前のドアをノックもせずに開けて、堂々と中に入ってきた。
「覗きが俺の本業ってわけじゃないぜ?」
そしてそう言いながら、妹の傘を入り口脇の傘立てに丁寧に収納し、先程までチャイナドレスが飛び跳ねていたソファに腰掛けると、今度は抱えていたワインを向かいの和服に差出した。
「お前さんの話はよく聞いてるよ。ここまで噂どおりとは思わなかったがな。」
「……フッ……それが冷えるまで、昔話でもするか?」
「そのほうが好きか?」
「……答えは……『NO』だな。」
すると椅子に腰掛けた男はそう呟いて、普段はまったく見せない笑顔を、聖と二人の美しい相棒に振舞ったのだった。
「これは、日ごろの行い、ってやつのせいなのか……?」
一方、痴漢を撃退した刃は、教室に到着早々、現在は二人の生徒指導教諭にどこかへ連れて行かれている真っ最中だった。
「少なくとも今日の朝のは、善行のはずなんだが……」
連れて行かれる、略して、連行される。
連行先の生徒指導室での説教など、もう飽きているくらい常連さんだ。
でも今日のことは駅員がしっかり電話してくれたはずだから、呼ばれたのは遅刻や出席日数の件ではなく、何かもっと別のことについてなのかもしれない。
そう考えると、大いに思い当たることがありすぎて、最終結論はエスケープに至ってしまうのだが。
「榊、どうした?」
だが担任も後ろに付き添ってきている。
逃げ出すのは簡単だが、後が面倒そうだ。
「……いえ、何でもないっす」
三人も教師が付き添ってきて居るというこの状況。
ということは、停学か退学か、はたまた自主休学でも薦められるのだろうか。
「これはやっぱり日ごろの行い、ってやつのせいかな?」
雨は降るし、朝からこれだし……なんだか今日は厄日だな、と刃は廊下の窓から溜息をついた。
はぁ、と小さなため息をこぼしながら廊下を歩いていると、向こうの方からも一人の教師に付き添われて女生徒が歩いてきている。
「あれ……、工藤先輩か?」
向こうからやって来たのが、今朝知り合いになったばかりの人物だと言う事に気付いた。
向こうのこちらに気付いたらしく軽く会釈してくる。
「ついたぞ。榊? 聞いてるのか」
沙織の方を見ていた刃は慌てて返事をする。
「えっ、あぁ、って生徒指導室は向こうじゃ?」
刃の答えを聞いた教師が顔を見合わせて笑い出す。
「ははは、何を言ってるんだ、榊?」
なぜ笑われたのかまったく分かってない刃はきょとんとした顔をする。
「えっと、いったいなんで笑ってるんすか? ここって生徒指導室じゃないですよね」
そう言って部屋の上に書いてあるプレートを見る。
そこには『校長室』と書いてある
「ほら、生徒指導室じゃって……校長室……、あぁ腹が痛い、保健室に行っていいですか?」
「仮病はよせ。安心しろ、今日の話しは別に悪い事じゃぁない」
担任がそう言ってドアを開ける。
あきらめて担任の後に続いてしぶしぶ中に入る。
その後、佐織も担任に引き連れられて入ってくる。
その後は校長から今朝の事件の事で、駅員から報告があった事を告げられた。その事を誉められただけで、以外にもそれだけで話は終わりだった。
拍子抜けした感じで校長室を出ると真のクラスの担任が外で待っていた。
「榊、ちょっといいか」
真のクラスの担任が話があるからと言われ、結局生徒指導室に行くはめになる。
「何ですか?」
生徒指導室の中に入って向かい側に座るとそう切り出す。
「話って言うのは、織姫の事なんだけどな……。お前、何か聞いてないか?」
ばつが悪そうに聞いてくる。
「何をですか? 何かやらかしたんですか」
逆にそう聞き返す。
「あ、いや別に知らなければいいんだけどな……。これから言う事は他言無用にしてほしいんだが」
そう言って刃の顔をみやる。
刃が無言で頷くのを見ると続きを話し出す。
「昨日の事なんだけどな、警察の方から何人かこられてな。織姫の事を監視対象にするらしい。」
「監視対象って……、具体的にはどう言う事なんすか?」
刃がそう聞くと、教師は首を横に振って一言『分からん』といった後、黙り込む。
しばらくしてから、沈黙を破って教師が話しかけてくる。
「まぁ、話しはこれだけだ。もういっていいぞ」
「そうですか、じゃぁ失礼します」
「あぁ、くれぐれもこの事は…」
教師の問いに首を縦に振る。
(言えるわけねぇじゃねぇか。特に澪あたりにはな)
「それにしても、監視対象ねぇ。……まぁ無理もないか、あれだけの事をしたんじゃな。」
教室にまっすぐ戻る気になれず、校舎をわざと遠回りしながら歩いて行く。
「ふぅ……行方不明、か。……どこにいってんだ、お前」
ここにはいない真に向かってそう問い掛ける。
だが、その問いに答えるものはここには居ない。this page: written by syu, Tanba Rin. <<Prev.<< >> Next.>> ■ Library Topに戻る ■