梅雨空幻燈
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4
 平日の昼下がり、昨日から雨が降りつづけている。
 そんな外の様子を横目で見ながら、三名坂ゆかりは憂鬱そうな顔をして外の景色を眺めている。
 「遅いわねぇ、あの子……」
 そうつぶやき、腕時計を見る。
 時計の針はちょうど一時を指そうとしている。
 「すんません、遅くなりました」
 振りかえると、刃が立っていた。
 「あら、約束通りの時間よ。でーも、女性と待ち合わせしてるんだったらもう少し早く来る事ね、特にこんないい女だったらね」
 などとおどけた感じで答える。
 刃はハハハ、と笑いながら席に座りコーヒーを注文する。
 「で、呼び出したのは少し聞きたい事があったからなんだけど………」
 そう切り出した時のゆかりの顔は、少し影が見える。
 「真のこと、ですか……」
 ウエイトレスが運んできたコーヒーを受け取った後、刃が答える。
 「そう……。単刀直入に聞くけど、真君の行方を知らないかしら。葛城さんから聞いたんだけど、結構なネットワークを持っているみたいじゃない」
 「ちょっと待って下さい、それを答える前にこっちも聞きたい事があるんですよね」
 刃が手を前に突き出してゆかりの言葉を遮り、普段見る事が出来ない表情を見せながらそう言う。
 「聞きたい事、って言うのは何?」
 ゆかりは少しむっとしながらもそう答える。
 「まどろっこしいのは嫌いなんではっきり言いますが、ゆかりさん達は真の行方を聞いてどうするつもりなんですか?」
 刃は神妙な顔をしてそう言う。
 「どうするって、どう言う意味かしら?」
 答えるゆかりは、その表情は変わらないが語気が強まる。
 「そのまんまの意味ですよ。真の奴『特別監視対象』ってやつに指定されたんでしょう」
 あくまで冷静にそう言いきる。
 「私達が真君を捕まえるって言うの!」
 それまで押さえていた感情が一気に爆発したようにゆかりが叫ぶ。
 周りが何事かとこちらを盗み見るが、ゆかりの眼にはまったく入っておらずその端整な顔立ちを怒りにゆがめている。
 「その可能性もあるってことです。単純に信用できるかどうかの問題、でしょ?」
 いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もつかない物言いだった。
 「勘違いして無いですか? 俺とゆかりさん達は決して敵じゃないですけど味方、って訳じゃないですよ。今までは真がいたから協力してきましたけど、アイツがいなくなった今では協力する義理は無いんじゃないですか?」
 刃はあくまで冷静に、それでいて有無を言わせぬ迫力を持ってそう言ってくる。
 「じゃぁ、どうしてここに来たのかしら? 協力する義理が無い、って言うのなら始めからこなければいい事じゃないかしら?」
 いつもとは違う刃の言動が、逆にゆかりを冷静にさせる。
 「まぁ、そうなんですけどね。はっきり言いましょう、真の居場所はだいたい掴んでますよ」
 そう言うとコーヒーが注がれたカップに口をつけ、一口飲みこむ。
 「それは本当なの!いったい何処に……」
 勢いよく捲し立てるが、刃の表情を見て言葉を止める。
 「それでどうするんです。無理にでもつれ帰るって言うんですか? あの時のアイツはどう考えても普通じゃなかった。第一、今の澪の状態で真にあった時に記憶が戻るかもしれない。それに、帰ってきたらきたで『特別監視対象』に指定されたって事は普通の生活は出来ないでしょう………。」
 黙って刃の話を聞いていたゆかりが、しばしの沈黙の後口をあける。
 「なるほどね、君の言いたい事は分かったわ。でもね、このままほっとくわけにもいかないでしょう。それに、このまま逃げてたって何の解決にもならないんじゃないかしら?それに、うかうかしてたら監査部のほうに見つかってしまうのよ」
 「何も、逃げてるって訳じゃないんじゃないんですか?ただ一人で考える時間が必要なんでしょ」
 そう言うと先ほどとは違い、いつもの表情に戻っている。
 「まぁ、そろそろ戻ってきてもいいとは思いますけどね。こちらとしては監査部の動きが気になるところなんですよね……」
 そう言って言葉を濁す。
 「要するに、監査部の動きが知りたいって事かしら?」
 ゆかりがそう答える。
 「ぶっちゃげた話そうです」
 笑顔でそう答える刃。
 「なら最初から言えばいいじゃない、まわりくどいことするわねぇ」
 そう言うと刃を睨むが、先ほどとは違ってとげがあるわけではない。
 「ははは、すんません。ただ、ゆかりさん達がどうするのか気になったんですよ。真の敵にはならないだろうけど、どうするかって。しゃらくさい大人の事情に振りまわされるのは面白くないでしょうからね……」
 刃がそう言うと、冷めてしまったコーヒーを一気に飲みほしもういっぱい注文する。
 「大人の事情……か、確かにそれは否定できないわね」
 苦い顔をしながらゆかりがそう答える。
 「でも悪いようにはしないわ、これだけは約束する」
 ゆかりが真剣にそう言うと、刃も納得したように頷く。
 「わかりました、なら情報交換といきますか。こっちが聞きたいのは監査部の動向、それに相田達のその後の動き何ですけどね」
 「監査部……ね。正直言うと、その動向はよく分かってないわね。今のところ真君の行方はつかんでないようだけど、時間の問題でしょうね」
 神妙な面持ちで頷く刃。
 「まぁ、真君の行方に関しては君のほうが先につかんだみたいだから問題は無いでしょうけど、見つけた後どうするかって言うのがあるわね。どっちにしても、こればっかりは真君を見つけてからだけどね」
 「そうっすね」
 刃が考え込みながらそう答える。
 「現時点で分かるのはこの位かしら? それから相田達のほうなんだけど、こっちの方はまったくと言っていい程問題は無いわね」
 「どう言う事ですか?」
 刃が首をかしげる。
 「さすがに、氷浦署もバカじゃないって事ね。立て続けにあれだけの事をしたんですもの、さすがに追いこみをかけてるみたいね。ただ、主犯格の相田があの状態だから前回の事件の目的なんかは分かってないわね。葛城さんへの復讐だけじゃ無いとは思うんだけどハッキリしてないわね」
 こちらの持っている情報はこんなものね、と言った後刃の方に情報を聞いてくる。
 「それでこちらが聞きたい事は、まずは真君の行方ね。それから……、まぁそれは後でいいわ。取りあえず真君の行方を教えてくれないかしら」
 まだハッキリはしてないんですけど、と前置きしてから刃が語り出す。
 「入ってきた情報を推理すると、南に居ると思うんですよね。多分、九州の……星診じゃないかって睨んでるんですよね」
 そう言った後、何か心当たりが無いかゆかりに聞く。
 「星診ね、………あっ、そう言えば確か……真君のお母さんの実家が、星診にある、って聞いたことがあるわ」
 しばし考えた後、ふと思い出したようにそう答える。
 「ビンゴ! 間違いなさそうっすね」
 パァっとゆかりの顔が明るくなる。
 「そうか…、星診ね。……ところで君はどうするの?」
 ゆかりが不意に聞いてくる。
 「え……、何がですか?」
 「星診には行かないのかしら?」
 ゆかりがそう聞くと、ちょっと考えてから刃が答える。
 「偶然、向こうの方に用事があるんでついでに行くかもしんないっすね」
 刃が少し照れたようにそう答える。
 「あら、考える時間が必要なんじゃなかったのかしら? そうよねぇ、確かに一人で考える時間も必要よねぇ」
 照れた様子の刃を見て、ゆかりが意地悪そうに言う。
 「いや、まぁなんて言うかついでですよ、ついで」
 あくまで誤魔化そうとするが、ドモリまくってしまっては隠しようが無い。
 「ふふふ、冗談よ冗談。で、いつから行くの?」
 真顔に戻りそう聞いてくる。
 「そうですね、あんまりゆっくりしてると監査部に見つけられそうだから今日明日中には行くと思いますけど」
 刃の答えを聞いて、しばらく考えた後ゆかりが口を開く。
 「そう…、分かったわ。どうもありがと、助かったわ」
 そう言うとゆかりが席を立つ。
 「それじゃ、ここはお姉さんがおごっといてあげるわ」
 そう言って伝票を取ろうとすると、先に刃が伝票を手に取る。
 「いえいえ、ここは俺がだしときますよ。いい女を待たせたっすからね」
 そう言うと刃も席を立つ。
 「あら、いい心がけじゃない」
 ゆかりがちょっと意地が悪そうな笑顔で答えた。
 
 
 夕方になっては雨も止む気配をみせたようで、あちらこちらに赤い日光の片鱗が見えはじめている。
 それを窓越しに見つめながら、藤丸詩狼は赤い液体の注がれたグラスを一気に飲み干した。
 「……詩狼さま? あの方はずいぶん無口な……いえ、一般の方と比べてですけれど」
 繁華街のビル6F、『藤丸探偵事務所』のドアが閉まってしばらくして、無音になっていた室内にマリの声がこだました。
 「朝からズ〜っとここに居タのに、仕事ノ話ばかりダったしネ」
 レイファも「カタコト」の日本語でマリの主張に賛同し、先程まで情報屋の聖が座っていたソファに飛び乗って、深く腰掛けた。
 「……あいつは……大成しているからな……」
 詩狼は、グラスを正面の立派な書斎机に置くと、二人にそう呟く。
 「それは情報屋として優れている証拠、ということでしょうか?」
 そして訝しげな表情を見せるマリに、詩狼は静かに頷く。
 「……確かに『情報が多い=信用に値する』とは、必ずしも言い切れませんわね」
 マリの言葉を聞いて、レイファが頷く。
 「そう言われれば、どちらも高レベルで満たして居られたお方でしたわ」
 マリの言葉を聞いて、またレイファが頷く。
 「うん、なっとく!」
 顔を見合わせ、また、合わせたように大声を上げると、美女達は急に晴れやかな表情になった。
 テーブルの上には、詩狼と聖だけで開けてしまった数本の酒瓶がまだ置いてある。
 2人はそれを両手に持ったかと思うと、互いに鳴らしあい、そしてはしゃぎ始めた。
 ガラスのぶつかり合う騒音の最中詩狼は、やれやれ、といった感じで彼女達の方を見た。
 「あら、ところで詩狼さま?」
 いきなり我に帰ったマリが手を休め、満面の笑顔で詩狼に振り返る。
 詩狼は、そこに込められた悪意にも似た何かを感じ取った。
 「ところで今日は……これからどうなさるおつもりですか?」
 マリはゆっくりと辺りを見回し、接客用の酒を大量に飲んでしまったこと、そして引越し荷物もまだ片付いていないという事実を、少々気合の入った声で提示した。
 「……俺は仕事だ……すまんが、後は頼む」
 詩狼はそれから目をそらし素早く、壁に掛けてあったジャケットを羽織る。
 「お待ちになって」
 その襟首をむんずと掴むマリ。
 「我要、電光石火ノ緊急退避!ネ」
 レイファはこれからの雰囲気を察したのか、コソコソと酒瓶を持って給湯室に避難した。
 「ねぇ詩狼様?」
 それを確認したマリは、艶っぽい声で詩狼のだらしない結びのネクタイを掴むと、ぐいっと自分の方に引き寄せた。
 「……このまま『旦那様』を送り出したとあっては、妻として世間様に出す顔もありません!」
 そして顔に似合わない大声を出した彼女に、詩狼は強引に身体の向きをこちら側に変えられてしまった。
 それを見てアッ!と声を出して顔を覆うレイファ。
 だが…………詩狼の服装をスッと整え、マリは穏やかな表情でネクタイも締めなおした。
 「これで、善し」
 しばらくは詩狼もレイファも、呆気に取られてそんなマリを見ていただけだった。
 「……『御前様』、気を付けていってらっしゃいませ」
 が詩狼は自分が命拾いしたことに気付くと、「ああ」と咳払いを一つして何かの書類を取り、早足で事務所の入り口に向かった。
 「今日は、何時頃にお帰りになられます?」
 とそんな詩狼の背中に、『妻』が問いかける。
 「……真っ直ぐ、帰る」
 とそんなマリに応えて『夫』はドアを閉めた。
 (『あの』詩狼にプレッシャーを与えるマリって……)
 給湯室の入り口に隠れて一部始終を見ていたレイファだったが、今後は更なる畏怖の念を以ってマリに接しようかな、と心がけた。
 「……さてレイファさん?私達2人でやれば、荷物の整理などすぐに済みますね?」
 今度は自分に投げかけられた人生の選択肢に、レイファはいつもより素早く、2度の返事をしたのだった。
  
 
 「……ターゲットは……2年生、か」
 藤丸詩狼は『藤丸探偵事務所』を出てしばらくして、聖華高校の校門前に辿り着けた。
 さすがに午前中はずっと雨がふっていたせいか、グラウンドで部活をやっている生徒はあまり居ない。
 だがまだ学校の中には生徒がかなり居残っている、そんな時間帯であるようだ。
 「……高校……か……」
 自分が卒業経験のあるのは中学校までであるから、詩狼が下校時の制服姿をみると、それが少し眩しく感じられる。
 だが今更高校に通うような歳でもないな、と思いそれを見過ごして、聖華学園の校長室を目指した。
 職員・賓客用昇降口から上履きに履き替え、そして正面の案内板を見ようと歩き出したとき、廊下を走ってきた生徒とぶつかった。
 「あっ!」
 生徒は進行方向と逆、すなわち来た方向に「何か」に吹き飛ばされるような感覚を覚えた。
 「……無事か?」
 詩狼にとっては何事もなかったようなので、その分生徒にはかなり衝撃がきただろう。
 (……一般人、だな)
 そう思い、紳士的に手を差し伸べる。
 「あ、どうもすみません。」
 詩狼の手を取って立ち上がった生徒は、ペコリと頭を下げる。
 「いや……」
 生徒の無事を確認すると、足早に案内板のところに向かう。
 (……これは……迷路だな)
 あまりに巨大な案内板をみて、素直な感想だった。
 聖華学園は県内でも有数の大きさを誇るが、その造りも複雑で、始めて訪れた者が迷わず目的地に辿り着く事は至難の技である。
 しばし呆然と立ち尽くしていると、先ほどぶつかった生徒が話しかけてきた。
 「あの、どこに行かれるんですか? 良かったらご案内しますけど……」
 遠慮がちにそう言ってくるが、詩狼にとっては幸運だった。
 「校長室……だ」
 どうやら、迷わずに目的地にたどり着く事が出来そうであった。
this page: written by syu, Tanba Rin.
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